妄想、愉悦。


拾漆


  

 この日の養生所での蘭丸の仕事は薬草の仕分けと天日干しだった。

「健吾殿、これはこっちで合ってます?」

 蘭丸の手に持った葉を見せると健吾は頷く。蘭丸は網を敷いた木枠に置いた。

「では、こちらとこれは?」

 二つ見せると、健吾は一つは木枠を指し、もう一つは屑籠を指した。

「え?違いますか?」

 健吾は頷くと、耳元まで来て葉の名称を教えてくれた。そして、「中ちゃんもたまに間違えるよ」と付け加えた。

「よく似ていますね…。見分けるこつってあります?」

「根と花の色」

「けれど、これに花と根は残っていませんよ?」

「あと茎の断面」

「ああ、確かに」

 蘭丸が感心していると、健吾は何かを見つけ、手を伸ばした。

「ひゃうあっ」

 思いがけず首に触れられ、驚いて蘭丸は身を竦めた。まずい。反射的に妙な声を漏らしてしまった。健吾は目を大きく開くと、部屋の向こうへ走って行ってしまった。

「健吾殿!」

 脅かしてしまっただろうか。蘭丸はため息をついて薬草を置く。健吾が触れたのは、間違いなく源太郎に噛まれた箇所だ。

「……」

 目立つのだろうか。自分からは見えない。朝、源太郎の首を確認した時は薄く赤みが残っていたが、直視しなければ分からない…と思う。けれど、正直なところ、誰かが発見したことを想像してうずうずしてしまった。
 康から鏡を借りようか考えていたら、ちょうど健吾が戻ってきた。健吾は包帯やら塗り薬を持っていた。

「健吾殿?これは怪我では…」

 傍らに来ると、健吾の唇が「じっとして」と動いた。打ち身に使われる軟膏を蘭丸の首に塗る。指の動きが大きいが、痣も同じ大きさなのだろうか。健吾は手慣れた様子で貼り薬にして、その上に包帯を宛い、巻き付ける。手当てを終えると、健吾は蘭丸に抱き付いてきた。甘えると言うよりも慰めるような抱擁だった。

「有難うございます」

 蘭丸が応えると、健吾はにこりと笑ってまた隣に座って薬草の分別を始めた。

「干して来ますね」

 蘭丸は枠を一つ抱えて庭に下りた。枠を日光の下に翳していると、塀と家の狭い隙間から物音がした。

「ああ、居た」

 現れたのは昨日のあの少女だった。少女は蘭丸と目が合うと、昨日と同じように意地悪な目をして笑った。

「ここは裏庭ですが。養生所は正面の入り口からお入り下さい」

「患者じゃないから。あなたに用があって来たの」

「私に?」

「そう」

 少女は蘭丸の顔をじっと見てから、また口を開く。

「源太郎さんとあなたがここに来た時、結構騒がれてたの。何でか分かる?」

「騒がれていたことすら気付きませんでした」

「感じ悪いね。周りのことなんか目に入ってないんだ」

 目だけではなく早速口からも敵意が零れている。しかし、彼女の意図はまだ見えない。

「そんなことはないですけれど」

「騒いだのはね、あなたが人より綺麗だからだよ」

「はあ…」

「興味なさそうだね」

 正直その通りでどう言って良いかも分からない。すき好んで少女のような顔立ちになった訳でもないし、努力で手にしたものでもない。そんなものを称えられても、蘭丸の心は少しも動かない。ただ一人を除いては。

「実のところ見た目だけを誉めそやされてもさほど嬉しくはないです」

「私は嬉しいよ」

「そうですか」

 蘭丸の反応に、少女は眉間に皺を作った。何故彼女が怒っているのかも蘭丸には分からない。

「話ってそのことですか?」

「違う。ねえ、あなた、源太郎さんとどういう関係なの?」

「家族です」

「兄弟ってこと?」

「伴侶です」

「男同士なのに?」

「ええ」

「じゃあ、夫婦がするようなこともするの?」

 頬が熱くなって、空気が冷たく感じた。早く彼女を納得させて切り上げたい。蘭丸は無言で頷いた。しかし、彼女は蘭丸の反応を見てかな切り声を出して笑い始めた。その声に驚いた健吾は不安げな目をして作業を中断し、様子を窺っている。

「気持ち悪い。子供が出来る訳でもないのに、夫婦の真似事して馬鹿みたい」

「小さな子がいる前で、かようなことを言わないで下さい」

「でもね、私は源太郎さんと夫婦になれるよ。子供だって生める」

「…なれませんよ」

「どうしてよ」

「源太郎様が貴方を愛していないからです」

「それはどうかな。源太郎さん、私のこと好きって言ってくれたよ」

「貴方が言う好きとは別の類いのものです」

「どうして言い切れるの」

「あの人は、同時に複数の相手を愛せる程器用ではありません」

「自信があるんだ」

 少女は小さく舌打ちをした。言い返す言葉が見つからないのか黙っている。

「お話はそれだけですか?」

 蘭丸の言葉が切っ掛けになったのか、少女は踵を返し、塀と家の隙間へ入っていった。蘭丸はひき止めず、少女の小さな背中を見送った。
 蘭丸が枠の薬草の列を整えていると、健吾が縁側から降りてとことこ駆け寄ってきた。蘭丸の腰にしがみつき見上げる。「大丈夫?」と唇が動く。蘭丸は笑顔を作って頷いた。手を繋いで縁側に戻ると、康がやって来た。まだ診察時間は過ぎていない。

「あの子、怒りながら取り巻き連れて帰っちゃったけど喧嘩でもしたの?」

 あの子と言うのはさっきの少女だろう。

「私と彼女は喧嘩をするような間柄ではありません」

「やだー。蘭ちゃんと友達になったって言ってたわよ」

「いえ、彼女とは昨日初めて会って、挨拶をしただけです」

「そうなの?ごめんなさい、話があるって言うから裏に通しちゃったの。何か言われた?」

「大したことでは…」

 健吾が蘭丸の服を引っ張り、眉を吊り上げ頬を膨らませた。誤魔化そうとしていることに納得していないようだ。

「どうしたの健ちゃん」

 康がしゃがみこんで健吾と目線を合わせると、健吾が何やら耳打ちした。

「うん、そうなの…」

 康は一瞬考える表情をして、健吾に笑顔を向ける。

「健ちゃん、少し蘭ちゃんを借りてもいい?昼食の仕度を手伝って貰いたいの」

 健吾の了承を得ると、蘭丸は康に促されて勝手口から入って行った。中から台所の土間に康が降りて待っていた。

「康殿、何を手伝いましょうか?」

「ううん。実は、朝のうちに殆ど仕込んであるの」

「では…」

「あの子のことが気になってね」

「先の女性のことですか?」

「そう。あの子、見た目が綺麗でしょ。だから、小さい頃から周りから誉めそやされて、少しわがままなところがあるの」

「わがままですか?」

「うん。あの子との話って、源ちゃんが関わってる?」

「はい。どういう関係なのかと聞かれて、正直に答えました」

「そうしたら?」

「男同士なのに夫婦の真似事するのは馬鹿げてると笑いました」

「酷い…。そんな子の言うことに傷付くことないよ」

 康の方が傷付いた顔をしている。正直、さっきの出来事よりも康のこの優しさの方が胸に刺さる程嬉しい。

「はい。思ったより大丈夫でした」

「え?」

「私、源太郎様に傷つけられたこともあります。それは源太郎様が悪かった訳ではないです。源太郎様の傍に魅力的な人がいた時で…」

「あの子も可愛いけど不安にならない?」

「気分は良くないですが、不安に駆られる程ではないですよ」

「余裕ね。あり得ないだろうけど、あの子が中ちゃんに付きまとったら、私絶対平静でいられないわ」

「中哉殿なら大丈夫ですよ。康殿のこと大切に想ってますから。それに、余裕なんてないです」

「そう?」

「はい。もし、康殿と中哉殿が一緒になってなかったら、私は不安でいられないと思います」

「どうして?」

「康殿が魅力的な人だからです」

「恩を感じているからってお世辞言わなくてもいいのよ?」

「お世辞ではないです。康殿は働き者だしお優しいし、明るいし、皆救われています。ご自身を不器量だと仰いますが、決してそんなことはありません。内面の優しさも清らかさも愛らしさもお顔に出ていて…」

 康は頬を染めた。本心だが、そんな奥ゆかしさも康の魅力だと思う。

「分かった。もういいよ照れくさいから。蘭ちゃんの言い分はこうね?仕事も不真面目で、高慢で、見た目だけしか取り柄のないあの子では、源ちゃんが惹かれることはまずないから不安にはならないと」

「そんな直接的に…」

「そう言うことでしょ?」

「蘭の言い分も随分失礼で高慢ですね」

「でも、その通りだと思う。器量が良いだけのあの子に蘭ちゃんが傍にいる源ちゃんが惹かれる余地はないよ」

 康は蘭丸以上に確信があるのか、口調がきっぱりとしていた。

「康殿はあの方をご存知なのですか?」

「え?」

「いえ、知っているように感じたもので」

「直接関わったことはないけどあの子、綺麗だからちょっとした有名人なのよ。でもそれを鼻にかけているとこがあって、同じくらいの女の子の友達はいないみたい。綺麗だから持て囃す男の子はいるけど」

「そうなのですか」

「あと、自信があるから好きな人にも積極的になれるみたい」

「……」

 優しい源太郎は、彼女が気を引こうとしても拒めるのだろうか。彼女が何気なく源太郎の体に触れたり、顔を近付けて話したりするのを想像してたら胸が痛みだした。

「蘭ちゃん?」

「具体的に想像したら、何だか苦しくなってしまいました」

「具体的…?」

 蘭丸は頷く。

「日常的によくある、小さなやり取りでもです」

「それは仕方ないよ。私は若い時もっと酷かった。中ちゃんの周りにいる女の子全員に嫉妬してたよ。あの子みたいに付きまとってなくても」

「中哉殿はお優しいですから、あらぬ誤解を生みかねませんね」

「そうそう。でもね、私は中ちゃんの特別だって自覚してから、些細な嫉妬はなくなったかな。そもそもこの仕事してたらそんなことで嫉妬してたらきりないし」

 特別なのは、蘭丸だって自覚している。けれど、割りきれないこともある。だから苦しいのだ。

「けど、やっぱりあの頃の蘭ちゃんと私とじゃ状況が違うの。さっきも言ったけど、綺麗であんなに図々しい女の子が付きまとってたら苦しいもの。蘭ちゃんはあの子に言うべき」

「言うって…?」

「源太郎様は蘭のものだから付きまとわないでって」

「え…?」

「源ちゃんにもね、あの子は下心あって源太郎様に付きまとっています!迷惑だと伝えて下さい!って」

 息を荒げている康に、蘭丸は目を丸くする。

「それに今日直接来て嫌味言われたことも言った方がいい……、何ぽかんとしてるの?」

「康殿が何だかご自身のことのように怒っているので…」

「だって心配なの。蘭ちゃんは自分の気持ちを相手に押し付けられないから」

「気持ちは押し付けるものではありません」

「でも、蘭ちゃんが一人で苦しむより、源ちゃんは本心を言って欲しいって思うんじゃない?」

「……そうですね」

 康の言う通りだ。けれど、蘭丸の本心は康が思うよりずっと我儘で欲深い。本心を源太郎にぶつけても、源太郎を困らせることにしかならない。

「ごめん。私、お節介だからつい余計な言っちゃって」

「いえ、康殿のお気持ちは嬉しいです。けれど、私は康殿のように可愛げもなく、欲張りで…」

 康は声を出して笑った。

「何言ってるの。蘭ちゃんが可愛くない訳ないでしょ?そうだ!」

 康はぽんと手を叩いた。

「山菜沢山貰ったから、夕餉に作ってあげたら?源ちゃん喜ぶよ」

「いえ、今日の献立はもう決めていますから」

「遠慮なんかしないで。余るくらい貰ってるんだから」

「本当に康殿はお節介ですね」

「自覚してる」

「けれど、有難う御座います」

 蘭丸が笑うと、康も健吾と似た顔で笑った。



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