弐拾肆
源太郎に養生所に送り届けられると、康が出迎えてくれた。
「じゃあ、お蘭のこと頼むな」
「うん。朝食は?」
「お康が持たしてくれた料理食べただ。旨かっただよ有難う」
「お重洗っておきました。台所に持っていきますね」
「待ってて。握り飯包むからお弁当に持って行って」
康が蘭丸から受け取った重箱を持って戻って行く。源太郎は勝手口で待ちながら言った。
「お蘭、寒いから中で待ってな」
「いいえ。少しでも一緒に居たいですから」
源太郎は笑いながら少し悲しげに目尻を下げ、蘭丸の頬に触れた。蘭丸はその上に手を重ねる。すぐ後ろで康の気配を察し、手を下ろした。
「お待たせー」
康が戸を開けて握り飯の包みを源太郎に手渡した。
「いつもすまんな」
「ううん。また後でね」
「ん。ところで、中哉いるだか?」
「中ちゃんならまだ寝てるけど、用事があるなら起こして来るよ」
「わざわざ起こさんくていいだよ。おらもう行くから」
蘭丸は康の隣で手を振って見送る。源太郎の姿が見えなくなると、康が蘭丸の肩を抱いた。
「今朝は寒いね。入ろうか」
「はい」
台所は火鉢で温められていた。
「珍しいですね、中哉殿がまだお休みとは」
「中ちゃん、あまり寝付けなかったみたい」
「私のことでですか?」
「多分ね。それはそうと、源ちゃん、中ちゃんに何か用だったのかな」
「中哉殿に謝りたかったんです。昨日は感情的になって、中哉殿に当たってしまって」
「そっか…」
康は口元だけで笑みを作った。そして、蘭丸の視線に気付くと話題を変えた。
「その服寒そうだね。今日買いに行こうか?」
康は普段身に付けているものより薄手の蘭丸の服の袖を捲った。
「その必要はないです。実は、昨日取られた服が戻って来ました。洗って今干していますが」
「え?」
「うめ殿が落ちていたと届けに来ました。何処で拾ったのかは教えてくれませんでしたが」
「うめってあの子よね?」
「はい」
康は神妙な顔をする。
「…昨日、私が思い当たることがあるって言ったの覚えてる?」
「はい」
「蘭ちゃんを連れてった二人組の特徴とぴったりなの。あのうめって女の子が連れてた男の子に」
「え…?」
「けど、証拠がある訳じゃないから言えなかった」
「うめ殿、私が家に居ると驚いていました」
「じゃあ、蘭ちゃんが拐かされたのを知っていたってこと?」
「そうなりますね。拐かしは知っていても、見付かったことは知らなかったからあんなに驚いていたのだと思います」
蘭丸は朝のことを思い返した。源太郎は蘭丸の服を受け取ると、また虚ろな目に戻っていた。源太郎はうめが関わっているかも知れないことに勘づいているのではないだろうか。
「私、源太郎様が心配です。果樹園へ行って参ります」
「待って蘭ちゃん」
康に手を握られ引き留められる。
「私も行くわ。当事者同士だけじゃ心もとないもの」
「けれど…」
女性の康が付いてきてくれるのは心強いが、それでは走って追い掛けられない。源太郎は大丈夫だろうか。
「早く行きましょう」
返答に迷っていると、康に手を引っ張られた。
康の足は存外速かったが、源太郎に追い付くことは出来なかった。果樹園は既に農夫が集まっていて、仕事を始める者もいた。源太郎の姿を探すが見つけられず、康は近くを歩いていた若い男に声を掛けた。
「ねえ、源太郎って人は何処に居るの?」
「源太郎?」
「まだ新入りの、貴方と同じくらいの年で、背が高い人なんだけれど」
「ああ、おうめの…」
「うめちゃんがどうかしたの?」
「おうめが付きまとってる奴だろ。なら、みかん畑の方に行ったぞ」
「有難うございます」
蘭丸は会釈をしてみかん畑へ向かった。まだ人気はそれほどなく、あの端の木の下に源太郎の背中が見えた。向かい合っているのはうめのようだ。
「あの二人…」
うめのすぐそばにいる二人組。遠目に顔までは見えないが、蘭丸を祠に閉じ込めた二人に間違いない。やはり、あの出来事はうめが少なからず関わっていたことになる。
「源太…」
蘭丸が声をかけようとすると、信じられない出来事が起こった。源太郎がうめの頬をひっぱたいたのだ。
「源太郎様…!」
蘭丸は駆け寄る。源太郎の元へ着くよりも先に、源太郎の怒鳴り声が届いた。
「もう二度とおらたちの前へ現れるな!」
倒れたうめの元に二人組が駆け寄り、蘭丸は源太郎の背に抱き付いた。
「源太郎様、何をなさってるのです、女性に手を上げるなど…」
「お蘭…」
振り返った源太郎の顔は涙に濡れていた。
「もう、お前を危険な目に遭わせたりしないから…」
身を引き裂かれたような痛々しい声。昨日の出来事は、確実に源太郎の心に深い傷を作っていた。骨が軋む程強く抱き締められながら、蘭丸も同じくらいの強さで源太郎にしがみついた。
「源太郎様、蘭は大丈夫です」
蘭丸は顔を上げ、源太郎の涙を拭った。源太郎の背中越しにうめの悲鳴のような泣き声が聞こえる。蘭丸は源太郎の腰を抱いたままその姿を見下ろした。うめは痛い、どうして?あんたたちのせいよ!と本音を隠さず泣き喚いている。二人もどうしていいのか分からず困り果てていた。騒ぎに段々と人が集まってきた。
「どうしたんだ?」
近くにいたらしい男性が駆け寄ってきた。
「こいつがおうめを殴ったんだ」
二人組の大柄の男が源太郎を指さした。源太郎は何も言わず、蘭丸の肩を強く抱き、三人に冷たい視線を送った。源太郎のこんな冷酷な目付きは見たことがなく、蘭丸は源太郎の腰に回した手に力を込める。
「ちょっと」
人垣を抜けて、康がやって来た。
「うめちゃん、顔を見せて。手当てをするから」
「触らないで!」
うめは康を突き飛ばした。蘭丸は咄嗟に康の肩を受け止める。康は短く礼を告げると、すぐうめに向き直る。
「良いから見せなさい。自慢の顔腫らせたままじゃ嫌でしょ?君も手伝って」
近くにいた男性に声をかけ、男性がうめに近寄るとうめはその男性も突き飛ばした。しかし、男性は少しよろけただけでまたうめに手を伸ばし、強引に肩を掴んだ。
「痛い、離して」
「ほっぺたの方が痛いでしょ?」
癇癪を起こしていてとりつく島もない。蘭丸は早くこの場から過ぎ去ってしまいたい気持ちになった。しかし、そうもいくまい。蘭丸はうめの背後の二人を見詰めた。大柄な男は不貞腐れているように暴れるうめを睨み、小柄な少年は分かりやすく項垂れていた。
「どうした?何があった!」
ようやく桃太がやって来た。誰かが呼びに行ったようだ。
「兄ちゃん!」
うめは男性の手を払い、桃太の胸に泣き付く。
「どうした?顔が腫れてるじゃないか」
「おらが叩いた」
間髪入れず、源太郎が割って入る。
「なっ…」
桃太は妹の肩を抱きながら、源太郎に驚愕の眼差しを向けた。
「すまないな、お前には良くして貰ってたから、面倒任されても世話焼いた。でも、駄目だ。そいつはお蘭を危険な目に遭わせた」
「私じゃないったら!あいつらが勝手にやったのよ!」
うめが喚いて源太郎の声を遮る。桃太が落ち着かせようとうめに優しい声で訊ねた。
「おうめ、一体どうしたんだ?あの子に何かしたのか?」
「私はしてない!あいつらが…」
同じ文言を繰り返すばかりで埒があかない。桃太は少年らに訊ねる。
「何か、したのか?」
大柄な男は口を真一文字に閉じ、小柄な少年の方が俯いたまま蘭丸を指差した。
「うめちゃんが、あの子が邪魔だ、いなくなれば良いって言ったから、連れ出して、殴って気絶さして、林の祠に閉じ込めた…」
「え!?」
桃太の顔がみるみる青くなる。
「お前…」
「本当にやれなんて言ってないわ!」
うめの反論に、少年は続けた。
「でも、そのことを伝えて、閉じ込めた証拠の脱がした服を渡したら喜んでた。朝一で確かめに行ったら家にあの子が戻ってたから、うめちゃん、また怒って…」
「嘘よ!」
「嘘じゃない」
割って入った源太郎の静かな声が場をしんとさせた。
「朝からこの女はうちに来て、お蘭の服を持ってきた。嬉しそうだった。でも、お蘭が居るって知った途端、不機嫌になって帰った」
「確かに、お前は朝から出掛けていたが、源太郎の所に行ったのか?」
「違う、それは…」
桃太が問い詰めると、うめは弁解しきれずに黙ってしまった。気まずい沈黙が流れる中、壮年の男性がやって来て、大きく手を叩く。
「何してる、早く作業に取り掛かれー」
傍観していた者らが散って、各々の持ち場に戻った。男性は康に歩み寄る。
「お嬢さんは養生所のお医者さんだね?」
「はい」
「すまないがうめの手当てを頼む」
「はい。うめちゃん、こっちいらっしゃい」
康に連れられるうめの後ろ姿を見ながら、男性は溜め息をついた。
「何やら揉め事みたいだが、仕事にならないようなら話し合いなりなんなりしてくれ。だが、ここではするな。皆の邪魔になる」
「話し合い?おらはあいつらもあの女も許すつもりはない」
普段穏やかな源太郎の怒りの籠った声に、周りの空気がまた張り詰めた。
「もしかしたら、頭殴った時に打ち所が悪くて死んじまったかも知れない。先生が見付けていなかったら、半裸のままあの箱の中で凍えて死んじまったかも知れない。お蘭がお前らに何をした?なして、そげん酷いことが出来る?」
源太郎の眦に涙が溜まってきた。源太郎は壮年男性に向き直り、頭を下げた。
「すんません、長。おら、もう彦六、留吉とうめの顔も見たくないだ。もう関わりたくない。此処での仕事は楽しかったが、もう、一緒には働けないだ」
一気に言うと、桃太は狼狽えながら源太郎の名を呼んだ。殆ど無自覚であるかのように。源太郎は蘭丸の肩を抱いたたまま桃太に顔を向けた。
「今迄有難うな、桃太。帰ろう、お蘭」
桃太に挨拶をしてすぐに踵を返した。
「けれど、康殿が」
「大丈夫、あの女医さんは責任持って俺が帰すから」
「すまね」
背後からの桃太の声に、源太郎は振り向かずに返してそのまま進んだ。
「桃太だったら大丈夫だ」
源太郎に連れられ、果樹園を出て行った。源太郎に肩を抱かれながら、少し前を歩いている為に源太郎の顔は見れない。
「源太郎様、何故このような自体になったのです?」
「…おら、うめに今朝のこと聞こうとしただよ。したら、見付けたうめはあの二人…彦六と留吉にどういうことだって怒鳴ってた。閉じ込めたって言ってたのに何でお蘭が居るんだ、話が違うって。おら、直ぐに何のことか分かった。でも問い正したら、あいつは自分がしたんじゃない、二人が勝手にやったことだって言い張って。気付いたら、殴ってて、お蘭が抱きついてた」
「そうだったのですね」
「おら、ずっと怖かった。何か一つ違っていたら、お蘭はこうして隣に居なかったかも知れん。許せないだよ」
「許す必要はないです。けれど、蘭が今隣に居るのに、心此処にあらずではつまりません」
「そげんこと…」
「あります。今朝だって、一度も…」
「え?今朝?一度もって?」
蘭丸は口を抑え、口ごもった。頬が熱い。上から源太郎は覗き込み蘭丸の顔を見て、何のことか気付いて「ああ」と呟いた。
「確かに、今日は一回も出さなかった。不安にさしちまったか?」
「責めている訳ではありません。けれど、こんなことは初めてで…」
「まあな。だが、起つものは起つし、お蘭の中でずっと突き続けているのもそれはそれでいいもんだな」
源太郎は蘭丸の反応を見て笑った。
「先にこの話をしたのはお蘭からだよ?」
「分かっています」
顔を見られたくなくて、蘭丸は源太郎の手を引きながら前へ歩いた。
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