弐拾伍
二人は報告の為に養生所に向かった。母屋に入る前に、開業準備をしている康太郎が慌てた様子で出迎えた。
「どうしたんだ?康も蘭丸もいないし、源太郎は戻って来るし」
「昨日、お蘭を浚った奴が果樹園にいた」
「はぁ!?」
源太郎の返事に康太郎の声が大袈裟に裏返る。
「すまね、おら、かっとなって騒ぎにしちまって…。長に帰るように言われただ。話し合えって言われたが、そげん気分になれんくて」
「康は一緒じゃないのか?」
「…お康はおらが叩いた奴の手当てをしてくれてる」
「そうか。で、蘭丸を浚った目的は何だったんだ?窃盗か?」
「否。目的は、お蘭自身がいなくなることだ」
康太郎の眉間に皺が寄る。
「蘭丸は人から恨まれるようなことはしないし、そもそも果樹園の人間とは関わりがないだろう?」
「だが、顔見知りではある。恐らく、お蘭が自分より可愛いことを嫉妬して…」
「はあっ!?」
今度は蘭丸が素頓狂な声を出してしまった。
「源太郎様、それは誤解なさっています」
「否、あいつは自分の顔の良いのを鼻に掛けてるっておなごらに言われてただ」
確かに殆ど関わりのない康さえ知っていたのだから、それは事実だろう。しかし、第一の感情が抜けている。
「そいつが蘭丸を襲ったって言う二人組をけしかけたのか?」
「ああ」
源太郎は今朝の出来事を具体的に康太郎に説明した。蘭丸は、源太郎の鈍さに拍子抜けしてしまい、漂う緊迫感が却って滑稽に思えた。だが、源太郎らしいと言えばらしくもある。未だに気難しい表情の康太郎が、蘭丸の肩の力が抜けているのに気付き、声を掛けた。
「当事者とは思えない余裕だな」
「いえ、そんなことは…。早く、患者様を迎える準備をした方がよろしいのでは?」
「良い。今日は休業だ。急患以外は受け付けん。中哉に伝えて閉めて来る」
「そんなおおごとにしなくても。もう説明するようなことはございませんよ」
「だがな…」
康太郎は複雑に考えてしまっているようだが、これは至って単純なことだ。
「私達も手伝いますから」
康太郎はやっと納得して頷いた。
「じゃあ源太郎、寝台の布団と枕と敷布と帳簿の綴り紐を持ってきてくれ。蘭丸はこっちで帳簿の整理だ」
二人に指示を出し、源太郎は母屋に向かい、蘭丸は康太郎の後に付いていく。
「先生」
「ん?」
「昨日私が閉じ込められたのは、そもそもは源太郎様が原因です」
「ほう。確かに、源太郎の言い分は随分馬鹿らしいと思いはしたが」
「はい。その人は、源太郎様に好意を抱いています。本人はちっとも気付いていませんが」
「まあそうだろうな。源太郎はお前さん以外は視界に入らないから」
「その人は周りが気付くくらいには主張していたのでしょうが、ちっとも相手にされていませんでした」
「容易に想像がつく。大方、源太郎の自分と蘭丸に対する態度が全然違うから、誇りが傷付いたんだろうな。顔に余程の自信があるなら尚更」
「本人は美辞麗句が嬉しいと言っていましたから、そうなのでしょう」
蘭丸は外見を誉められるのは挨拶程度のものだと思っていたし、わざわざ真に受ける程中身がある言葉だとも思わなかった。
「以前、此処まで来て嫌味を言われたことがあります。私達の関係を嘲笑って。本音か悔しさから出た言葉なのかは分かりませんが…康殿が自分のことのように怒って下さいましたから、それ程落ち込みませんでしたが」
「歪んだ奴だな」
「歪んでるのでしょうか。寧ろ、私は恐ろしく真っ直ぐな人だと思いました」
「源太郎にはその事は言わなかったんだな」
「…あの人の気持ちが源太郎様に知られてしまうのが嫌でした。なので、源太郎様はあの人への態度を変えることはなかったと思います。それも悔しかったのでしょう。けれど、まさかこんなことに」
「あまり思い詰めるなよ。お前は何にも悪くないんだからな」
「はい」
蘭丸は頷いた。すると、養生所と塀の隙間から物音が聞こえた。康が帰って来たのだろうか。蘭丸と康太郎は庭側の出入口から出迎えた。
「兄さん、蘭ちゃんも」
物陰から康が顔を覗かせた。
「良かった、養生所まだ開けてなくて。あのね…」
康は何かを促すように進むと、その後に桃太が続いた。
「やっぱり、話し合った方がいいと思うの。辛いこともあるかも知れないけど、はっきりさせないと気持ち悪いでしょ?」
桃太が唐突に膝を着くと、地面に額を擦り着けた。
「桃太殿!?」
「妹が取り返しの付かないことを…」
「待って下さい!」
物陰からもう一人飛び出して、土下座する桃太に庇うようにしがみついた。
「違うんです、桃太さんは全然関係ない!悪いのは全部俺なんだ」
当事者の小柄な少年だ。少年は目に涙をためていた。
「何だ?」
母屋の濡れ縁に出た源太郎が驚いて布団や敷布を落としてしまった。源太郎は桃太と少年に気付くと布団を放置してつかつか歩いてきて、桃太の手を取った。
「桃太、もう止めてくれ。お前は悪くないんだから」
「源太郎、だが…」
桃太は涙に濡れた顔を上げた。
「それに、お前と妹とは別の人間だ。お前が謝ってくれたって、おらはお前の妹を許すことはないだ」
「そんなつもりじゃ…」
「分かってる。真面目なお前のことだから、いてもたってもいられなかっただな?」
桃太に向ける源太郎の表情はいつものように優しい。しかし、友人のことをこれだけ分かっていながらうめの気持ちに気付かないのは何故なのだろうか。
康が少年の肩に手を置き、立つように促した。
「この子ね、誤解を解きたいって来たの」
「誤解?」
「源太郎様」
蘭丸は源太郎の腕を引っ張る。
「話を聞いてあげましょう。蘭は真実を知りたいです」
「聞いて何になる?こいつがお前に酷いことをした事実は変わらない」
「別に、許す必要はありません。けれど、分からないことがあるのは嫌です」
「分からないこと?」
こんなことを言ったら源太郎は怒るかも知れない。
「この人は、そこまで悪い人には見えません」
源太郎は大きなため息をついた。
「先生はどう思う?」
「源太郎に同感だ。だが、それは感情に走った場合だ。蘭丸程冷静になれたら、話を聞こうと思うかも知れん」
「…分かっただ」
源太郎は身を翻し、母屋に向かった。
「康、この二人を客間に通してくれ。それから、中哉には午前は養生所を休むことと、健吾に客間に近付かせないように相手して貰うように伝えてくれ」
「分かったわ」
康太郎の康への指示を背に、蘭丸は源太郎の後を追いかけた。
「源太郎様」
「ん?」
源太郎は濡れ縁に落とした崩れた布団を畳み治している。
「源太郎様には辛い選択をしてしまいました。もし、源太郎様が怒りを抑えられなくなったら、隣に蘭がいることを思い出して下さい」
「分かった」
源太郎は無理に笑っているような表情を作った。
この家で客間と呼ばれる部屋は康太郎と康夫婦が眠っている部屋の襖を取り、ある程度の広さが確保されるこの空間だった。蘭丸と源太郎が初めてここを訪れた時もここに通された。
康は全員にお茶を淹れてくれた。
「すまないな。喉が渇いてたんだ」
康太郎が礼を言いながら茶を啜る。蘭丸も湯呑みを持って中身を煽る。体の芯から段々と温まる気がして、緊張感が解れた。少年は青白い顔で畳に視線を落としていた。隣の源太郎を確認すると、口を真一文字に結んで少年を睨んでいた。
「あの…」
このままでは埒が明かないと踏んで、蘭丸は沈黙を破った。みんな顔を上げ、蘭丸を見つめた。
「自分が悪いって、どういうことですか?」
少年は視線を落としたまま口を開く。
「俺が勝手にやったことだから…」
「自らの意思でってことですか?」
少年は頷いた。
「俺と六ちゃん…彦六は、うめちゃんと幼なじみだ。うめちゃんは昔から綺麗だから、俺も六ちゃんもずっと憧れてたし、出来る限り言うこと聞いてた」
「うめちゃんがこないだうちに来た時も、二人は付いてきてたわね?」
康の言葉に、源太郎と桃太は顔を上げた。
「此処に何しに来ただ?」
源太郎に聞かれると、康は返答に困っていた。蘭丸が入ろうとすると、少年が答えた。
「その子に文句を言いたかったって。本当は言い負かしてやろうとしたけど、相手にされてなくて、うめちゃん、機嫌悪かった」
「お蘭、何言われただ。なして、言わないだ?」
「いえ…源太郎様の耳に入れる程のことでは。その時は、こんなことになるとは思ってもいませんでしたし」
「その子の言う通りです。実際、翌日の源太郎さんの態度も変わらない。それどころか、みかんの木の下で二人が接吻してるのを見てしまった」
「えっ」
蘭丸は予想外の言葉に思わず声を漏らした。
「うめちゃんは、あんな恋仲の二人のやり取りを見たことがなかったから、戸惑ってた。でも、そのうちいつもみたいに怒り出した。わざと見せ付けてるんだ、嫌がらせだって」
「見せ付けてなんかいないだ。お蘭は果樹園まで来てくれて、嬉しかったからしただけだ。周りに人はいないと思ってただ」
「でも、うめちゃんは何時も自分が世界の中心にいると思ってて…。源太郎さんの中に自分がいないことも認めたくなかったんだ」
「そげんことねえ。あいつは、桃太の大事な妹だ」
源太郎が本人が聞いたら傷付くであろう言葉を返した。
「源太郎、その考えが余計に相手の逆鱗に触れるんだぞ」
見かねた康太郎が口を挟んだ。
「は?」
「お前がそのままだと、もしかしたら痴情の縺れでまた蘭丸が狙われるかも知れん」
「痴情?どう言う意味だ?」
「だからな…」
康太郎は口をつぐんでしまった。桃太の前では断定的には言いづらいのだろう。話が拗れそうなので、蘭丸は少年に問い詰めた。
「それで、私が邪魔になったからあのようなことを?」
少年は頷く。握っていた右手の指が曲がりきれず、小指を出したまま体を震わせ、俯いた。
「うめちゃんは言った。あんな子居なくなればいいって。本気だと思った。俺は、うめちゃんが喜ぶと思って、六ちゃんに頼んだ。六ちゃんは嫌がったけど、何度も頼んだら、承知してくれた」
蘭丸は違和感を抱いた。しかし、ここで問い詰めてはまた話が中途半端に終わってしまいそうで、黙って続きを聞いた。
「それで、その子が寺に通ってるのを知って、人通りがない道があるから、見計らって声をかけた。友達が怪我をしたから助けてって言ったらついてきてくれた。それで、殴って気を失わせて、服を脱がせて祠に閉じ込めた」
「何でわざわざ服を取った?」
源太郎の重たい声が少年を刺す。
「その…、うめちゃんに見せる為です。証拠が必要だから…」
「なあ」
重く、源太郎とは異なる暗い声が割って入った。俯いたままの桃太の声。
「妹は、着物を見せられてどんな顔をしたんだ?」
少年は桃太の問いにすぐに答えられず、一旦上げた顔をまた俯かせてしまった。
「お、驚いていました…」
「…そうか」
桃太のため息は声よりも大きく、静けさの中に響く。
「ごめんなさい!」
少年は畳に額を擦り付けた。
「六ちゃんを巻き込んで後に引けなくて、でも、時間が経つと怖くなって…。何てことしたんだろうって。その子、こんな俺に優しくしてくれたのに…。夜明け頃、祠まで行ったんです。そしたら、もうその子いなくて…」
ひっく、と少年はしゃくり上げた。蘭丸は悲しい気持ちになってしまった。
「その話、本当ですか?」
蘭丸が声をかけると、少年は濡れた赤い顔を上げた。
「信じられなくて当然ですが…」
「いえ、悔いていることが…とかではなく、本当に貴方からこの計画を立てたのですか?」
少年の顔が悲しみから焦りに変わる。蘭丸は確信した。
「私に声を掛けてから道中、貴方はずっと迷っていたように見えました。寧ろ、もう一人の大柄の男の方が楽しそうに実行しているように見えましたけど」
「それは、俺が気が弱いし、六ちゃんは覚悟を決めたから…」
「だから、あんなに一撃が重かったのですね」
蘭丸は頭の瘤を擦った。少年は返答に詰まり、黙ってしまった。
「貴方、お二人を庇っていませんか?」
「違う!俺が本当に!」
少年の金切り声は先の謝罪や泣き声よりも大きい。蘭丸が驚くと、源太郎が冷たい声で遮った。
「なあ、お前、幾つだ?」
「え?十五です…」
「なら分かるよな?気を失わせる程強く頭を殴ったら、死んじまうかも知れない。あんな山奥で、半裸で置いてかれたら凍えて死んじまうかも知れない。例え、翌朝迎えに行ったとしてもだ」
「それは…」
「誰が悪いとか、庇ってるとか関係ないだ。お蘭の優しさを利用して連れ出してあんなとこに閉じ込めたお前も、無理矢理つって気絶するくらい強く殴った彦六も、お蘭がいなくなったと聞いて嬉しそうに確認に来たうめも、おらにとっちゃ赦しがたい罪人だ」
源太郎は立ち上がった。
「……」
少年と数秒視線を絡ませ、源太郎は背を向けた。
「話なら済んだ、もう帰れ」
空気の重い部屋を出て行ってしまった。蘭丸は源太郎の後を追う。
「源太郎様」
裏庭で澄んだ空気を吸っている源太郎に声をかけた。
「いいのか?お蘭は聞きたいこともっとあったんじゃないのか?」
「こちらの方が大事ですよ」
蘭丸は源太郎の手を握った。
「それに、大体の見当は付きました」
「庇ってるってことか?」
「はい。恐らく、皆様も察しはついていると思いますが」
「お蘭、おらは、やっぱり彼奴が許せないだよ」
「許す必要はないです。蘭だって、源太郎様の立場でしたら同じ思いでした」
「そうか」
源太郎は蘭丸の手を握り返した。
「おら、果樹園でもう働けないかも知れん」
「源太郎様…」
「勢いだけで言った訳じゃない。もう、彼奴らとは関わりたくないし、顔も見たくない」
「果樹園以外でも、仕事は見付かりますよ。源太郎様は働き者で体力もありますし」
「そうかなー」
「それに、近頃は文字も読めるようになりましたし、数えも覚えました。商人の手伝い等も出来るのでは?」
「ん…。確かに此処なら商いならいくらでもあるな」
「そうですよ。源太郎様は人当たりが良いからお客の相手も出来ます」
「だが、したら中哉みたいに売りに出たりすることもあるかもな」
「え?」
「堺は賑やかな場所だ。帰りにお蘭に土産を買ってやれる」
「それは嫌です。土産何て要りません。少しでも一緒に居たいです」
「おらも」
源太郎が不意に蘭丸の前髪に口付けた。顔を上げると、源太郎は穏やかに笑っていた。こんな笑顔を久し振りに見れた気がする。蘭丸は嬉しくて源太郎を抱き締めながら胸に顔を埋めた。
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