妄想、愉悦。


弐拾漆


  


 寝苦しさに目を開けると、既に景色が明るくなっていた。

「ん…」

 源太郎が蘭丸の胸を枕して眠っていた。未だに源太郎の肌が熱いことに気付く。蘭丸は一晩経ってゆとりの出来た手首の拘束の結び目をくわえて手首を抜いた。源太郎を胸に抱えたまま起き上がり、源太郎の体を仰向けにしてゆっくり倒した。肌が赤く、汗を浮かべていて息が荒い。額を合わせると、やはり熱かった。

「大変だ」

 蘭丸はすぐさま湯を沸かす準備を始めた。囲炉裏の小さくなった火種を紙に移し、竈へ投げ入れる。桶の水を汲んでいると、誰かが戸を叩いた。

「はい」

「俺だ…あの」

 記憶に新しい声だ。

「桃太殿ですね?今開けます故」

 蘭丸は寝間着の襟を直し、帯を整えて戸を開けた。部屋を冷やしてはならないので外へ出て戸を閉める。

「何か、急ぎのご用でしたか?」

「ああ。源太郎の仕事のことで。おうめ達…、三人は他所に奉公に行くことになった。もう顔を合わせることもないから、源太郎にはこのまま果樹園で働いて貰いたい」

 それは蘭丸にも願ってもいないことだ。

「桃太殿が掛け合って下さったのですか?」

「源太郎は働き者だしな、長の意向だ」

「有難うございます。けれど、今源太郎様は熱を出していて、今日は果樹園には行けません」

「熱は高いのか?」

 蘭丸は頷く。

「すみません、桃太殿。これから介抱しなくてはなりませんので」

「手伝う」

「え?」

 桃太は蘭丸の背後の戸を開け、蘭丸の背を押して中へ促す。一旦外へ出てしまうと、この中に残っていた匂いの濃さが分かってしまう。桃太は気にする素振りもなく進むと、土間に干してある清潔な敷布に触れ、乾いているのを確認して板間に上がった。

「源太郎、大丈夫か?」

 桃太は源太郎の肩に触れながら声を掛けた。源太郎の目が薄く開く。

「ん…。なして、桃太がいるだ?」

「見舞いだ」

「見舞い?どっか悪いだか?お蘭は…」

「ここにおりますよ」

 蘭丸は桃太とは反対側から源太郎の顔を覗き込んだ。源太郎は心配そうに蘭丸に目を向ける。

「お蘭、具合悪いだか?」

「私は元気ですよ」

「良かっただ」

 源太郎は微笑んで深く熱い息を吐いた。桃太が優しい声で訊ねる。

「源太郎、汗かいて気持ち悪くないか?敷布替えるから」

「ん…」

 源太郎は緩慢な動きで布団から出ると、よろけてしまい蘭丸は桃太と二人で受け止めた。桃太は掛け布団で源太郎の体を包んで寝かせると、てきぱきと敷布を替え始めた。其処からの桃太は更に早い。蘭丸に的確な指示を出して源太郎の体を清め、新しい寝間着を着せるのを手伝ってくれた。
 清潔な状態になり、ぐったりと眠っている源太郎に布団を掛けて蘭丸は言った。

「助かりました。随分慣れていらっしゃるのですね」

「うちは親が体が弱くて、よく世話をしていたから」

 こんな境遇まで源太郎と似通っているとは。蘭丸は「そうでしたか」と短く返した。桃太は何の感慨もないように土間に足を下ろして草履を嵌めて、話題を切り替える。

「もう、医者には診せたのか?」

「いえ、まだです」

「なら俺が行ってきてやる」

「そんなご迷惑はかけられません。桃太殿も仕事が始まりますし」

「大丈夫だ。先生に知らせて、すぐ果樹園に向かえば間に合う」

「けれど」

 蘭丸が身を乗り出すと、源太郎が手を伸ばして蘭丸の浴衣の裾を握った。

「源太郎様…」

 蘭丸は源太郎の手を握ったが、顔を上げなかった。意識ははっきりしていないようだ。桃太はその様を見て笑った。

「じゃあ」

「あの…」

 桃太は蘭丸の返事を聞かずに行ってしまった。

「桃太殿は、本当に優しい方なのですね」

 蘭丸は一人ごち、源太郎の手を布団の中に仕舞った。次は自分の身を清めなければ。
 たらいの湯を捨ててもう一度湯を張り、手拭いを絞る。炉端で体を拭いていると、また戸が開いた。桃太か養生所の誰かにしても早すぎる。蘭丸は脱いだばかりの浴衣を慌てて羽織った。

「今、着替えて居ます故、少々お待ち下さい」

 蘭丸の言葉に返事はなく、外からの冷気が部屋に潜り込んだ。蘭丸は前を抑えたまま帯を結びながら土間を降りた。

「あっ」

 戸の前に居たのはうめだった。うめは蘭丸の姿を捉えると、唇を強く結んだまま睨み付けた。相変わらず憎まれているようだ。

「何か?」

 蘭丸は極力顔に出さないように出口へ行くと、うめを外へ促した。

「すみません、まだ休んでいるので、ご用件は外で伺います」

「寒いわ」

「ですので、手短に」

 蘭丸はうめを押しやるように外へ出して、後ろ手で戸を閉めた。うめは仕方なく口を開いた。

「留吉が何言ったか知らないけど、誤解してると思う」

「誤解?」

「貴方を拐ったのも、あの二人が勝手にしたの。私が頼んだ訳じゃない」

「留吉殿もそう言っていましたよ」

「そんなの可笑しい。私は何も悪いことをしていないのに、何故私が果樹園を追い出されなきゃならないの?」

「貴方が役立たずだからでしょう」

「なっ!」

 うめの眉間の皺が深くなった。蘭丸は構わずに続けた。

「仕事も碌にせず、真面目に働いていた兄上や源太郎様の怒りを買った。追放されるのも当然かと」

 うめの体は怒りでわなわな震えだした。蘭丸は敢えて追い討ちを掛けた。

「こんなことになっても、少しも自分の身を振り返ることをなさらないのですね。正直怒りを通り越して呆れました」

「馬鹿にしてるの?」

「いいえ。しかし、かように立派な兄上が居て、何故ここまで裏切ることが出来るのか、私には理解が出来ません」

「あんたに兄ちゃんの何が分かるの!?」

「桃太殿は誠実で真面目で優しい方です。それは分かりますが、何故、貴方が兄上を不幸にし続けるかが分かりません」

「不幸って…」

「先も言いました。自らを省みることもせず、変わらずに他者を攻撃し続けていることです。妹の貴方が変わらない限り、桃太殿は自責の念に苛まれ続けるでしょう」

「兄ちゃんに告げ口するの?」

「しないで欲しいですか?」

「それって脅迫?」

「脅迫なんてしません。貴方じゃあるまいし」

「何ですって!?」

「私が言わずとも、桃太殿はすぐに此所へ戻ってきます。源太郎様が熱を出して、お医者様を呼びに行って下さいました。私に当たり散らす貴方を見たら、桃太殿はまた深く傷付くでしょう」

 うめはまた蘭丸を睨むと、踵を返して背を向けた。どうやら帰宅するか新しい職場にでも向かうのだろう。

「あの!」

 蘭丸はうめの背に声を掛けた。

「お願いですから、もう此処には来ないで下さい。桃太殿は、源太郎様の貴方に対する恨みを知っています。此処へ来ても、互いの為になりません」

 うめは振り返らずに走って行ってしまった。
 言い過ぎてしまったかも知れない。しかし、か弱い女性相手を力付くで追い払っても後々面倒なことになるのは目に見えている。
 間違ったことは言っていない。けれど、胸が痛んで心が沈んでく。

「おいっ」

 隣の家の角から桃太が顔を出した。

「何で着替えずに外で待ってるんだ」

 蘭丸はうめが訪ねて来たことも言えず、誤魔化すことも出来なかった。

「中哉さんがすぐに来てくれるそうだ」

「あ、有難うございます」

「じゃあ、俺は行くから。また後で来てもいいか?」

「はい」

 うめとは別の方向へ桃太は進み、蘭丸はその背中を見送った。





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