妄想、愉悦。


弐拾捌


   


 炉端で冷えた指を温めながら、蘭丸は同じ自問を繰り返していた。桃太の為に自分は何が出来るだろう。答えが出ないまま、中哉が診察に現れた。中哉は蘭丸と短い挨拶を交わし、水桶で手を洗って源太郎の傍らへ座り、額に手を当てた。

「熱が高いね」

 下瞼を引っ張り、粘膜の色を確かめると、源太郎の瞳は焦点を合わせて中哉を捉えた。

「…中哉、どうしただ?」

「源太郎君が熱を出したから来たんだよ」

「なあ、昨夜、お康と風呂に入っただか?」

「え?」

「源太郎様」

 良からぬ質問を唐突に投げ掛ける源太郎を諌める為に蘭丸は名を呼んだ。しかし、中哉は照れくさそうに頬を染めて「うん」と頷いた。

「良かった。おら、心配してただよ。二人とも好きあってるのに、二人になれる時間がないんじゃないかって思ってて」

 源太郎はそれ以上のことは言わず、安堵して目を閉じた。眠ったのかと思ったが、中哉の問診には淡々と正確に答えている。

「症状に合わせて薬を調合するから。朝食はまだだよね?」

「はい」

 蘭丸は源太郎の代わりに答えた。

「粥を作ってあげて。毎食後に飲ませてね」

 中哉は小分けにした丸薬や乾いた薬草を持参した擂り鉢で潰して混ぜた。蘭丸は囲炉裏から竈に火を移して粥を作り始める。調合した薬を包みながら、中哉は蘭丸の背に向かって告げる。

「蘭丸君、今日は休んでも良いって兄さんが」

「え?けれど…」

「この状態の源太郎君を一人にしておけないでしょう?また明日診察に来るけど、何かあったらすぐに来てね」

「有難うございます」

 中哉は薬の包みを置いて席を立った。
 中哉を見送った後、小さな火でじっくりと米を煮立て、粥を作った。器によそって源太郎の元へ行く。源太郎は目を開け、ゆっくり起き上がる。

「大丈夫ですか?」

 盆を床に置いて背中を支えた。

「うん。やっぱふらふらすんな」

「食べるのは少しだけで良いですから」

「ん」

 蘭丸は粥を匙で掬って冷ましてから、源太郎の口元へ運んだ。源太郎は口の中に入れて飲み込む。

「旨い」

「味、分かります?」

「あんまり分からんけど、お蘭が作ってくれたから美味しい」

 源太郎の言葉は素直すぎて嬉しいのと同じぐらい気恥ずかしくなってしまう。蘭丸は返事を出来ずに源太郎の口の中に粥を運び、食事を終えてから薬を飲ませた。

「苦いなあ。なして、苦味は分かるんだろう」

「口直しなさいますか?確か、康殿に貰った菓子が」

「口直しはする」

 源太郎は蘭丸の頬に手を当て、弱い力で引き寄せた。

「ん」

 熱い唇が触れ、入り込んだ舌が口の中をなぞった。蘭丸は、昨夜繋がった時の源太郎の熱い肌を思い出した。

「んん…」

 源太郎が音を立てながら蘭丸の唾液を啜り、唇を離すと、次は蘭丸の額に優しい口付けをして、目を合わせた。

「顔が真っ赤だ」

「源太郎様の方が赤いですよ」

 蘭丸が盆を運ぼうとすると、源太郎は蘭丸の手を引っ張った。

「どうしたのですか?」

「お蘭、添い寝しててくれないか?おらが眠るまででいいから」

「良いですよ」

「有難う」

 源太郎はそのまま蘭丸の体を引き摺り込んだ。向かい合って腕に蘭丸の頭を載せる。

「小さい頃な、こうして風邪引いた時、家族が一緒の布団で寝てくれただ。苦しいのも頭痛いのも、寂しいのも和らいでって、眠れるようになっただ」

「今も苦しいですか?」

「ううん。ぼーっとするし、頭も少し痛いけど、平気だ。でもなあ、具合悪くってこうして布団で天井眺めていると、何でか寂しくなる。自分が一人ぽっちになっちまったような気になって、そのまま眠ると変な夢見て…」

「分かる気がします。体が弱ると、心まで弱ってしまいますね」

「分かってくれて嬉しい」

 源太郎は蘭丸の額に口付け、腕の中に包んだ。話すたびに源太郎の熱い吐息が顔に掛かる。

「おりんはしょっ中熱を出してたから、こうして眠るまで一緒の布団にいただ」

「こんな風に…ですか?」

「小さい頃はな。でも、年頃んなっても、一緒に寝るって駄々こねられて参っただ」

 妹の話をする源太郎の声はこの上なく優しく同じぐらい悲しげで、蘭丸は胸が締め付けられる思いに駆られた。

「おりんは体は弱かったけども、おじいやおとうみたいにきちんと背が伸びた。でも、大きくなっても中身は子供みたいで…、よそに出ることも、自分より小さい子に関わることも殆どなかったし、家では末っ子でみんな可愛がってたからで…」

 高熱でもともと潤んでいた源太郎の瞳がより濡れて、目頭に雫が溜まって零れそうになった。蘭丸が指先で拭うと、源太郎はゆっくり瞬きを繰り返した。こんな風に感傷的になってしまうのも、熱を出して弱っているからなのだろうか。

「けれど、りん殿の心は幼いままでも、誰よりも優しくて、頑張り屋さんでした」

「うん。お蘭みたいに綺麗な心を持ってて、可愛い」

 源太郎は目を閉じた。すると、また薄く開いてゆっくりな動きで瞬きをしている。源太郎にしてあげられることはあるのだろうか。

「お蘭、口吸いして」

 蘭丸は唇を押しあて、源太郎の唇を包み込んだ。繰り返し角度を変えて重ねていると、源太郎は合間に甘い吐息と共に「気持ちいい」「桃源郷みたいだ」と呟いて瞼を閉じた。反応が少なくなり、顔を上げても目を開くことはなかった。



「ん…」

 蘭丸が目を開けると、目の前に源太郎の蕩けた眼差しがあった。源太郎は赤い顔をしたまま微笑んでいる。

「源太郎様…」

「お早う」

「蘭は、眠って…?」

「うん」

 源太郎は蘭丸と額と鼻先を合わせた。

「まだ熱い…。何故、眠らないのですか?怖い夢を見たのですか?」

「ううん。目を開いたら、お蘭が眠ってて、寝顔が可愛かったから勿体なくて眠れんかった」

「またかようなことを…」

 顔が熱くなるのを実感し、蘭丸は布団で顔を隠した。

「眠らなくては、治るものも治らないではないですか」

 蘭丸が言い返しても、源太郎は穏やかに微笑むだけだった。
 蘭丸は布団から出て、気崩れた浴衣を直しながら訊ねた。

「蘭はどれ程眠っていたのでしょうか」

「少し前に、昼の鐘が聞こえただ」

「そんなに…」

「毎日休みなく働いて、おらに抱かれてたら、疲れも溜まるだよ。もうちっと寝てな」

「眠るのは源太郎様に昼の薬を飲んで頂いてからです。源太郎様こそ、溜まった疲れのせいで熱を出したのでは?」

「そうかも知れん」

「昼食はまた粥になりますが、薬を飲んだら今度こそ休むのですよ?」

「うん…。でも、食欲ない。何も食べたくない」

「では、少しだけ食べて下さい」

 蘭丸は朝食の茶碗を洗い桶に浸けて、新しい茶碗に食べやすいぬるさの粥をよそい、源太郎のもとまで運んだ。源太郎はふらふらと起き上がり、蘭丸の肩に寄り掛かった。

「お辛そうですね…。食べられそうですか?」

 蘭丸は粥を掬って源太郎の唇に添えて開いた口の中へ流し込む。源太郎は辛そうに呑み込んだ。今朝の中哉の診察では言っていなかったが、今は喉が痛むようだ。
 結局源太郎は粥を二匙で食べるのを止めてしまった。薬を飲ませて布団に寝かせると、源太郎は当たり前のように蘭丸の腕を掴んで布団の中に引きずり込んだ。密着して体温の高さを実感した。

「……」

 源太郎が寝付いたら、中哉に新たに薬を調合してもらおうと考えていたが、源太郎の腕の中から抜け出したら源太郎は起きてしまうかも知れない。

「蘭はここにおります故、安心して眠って下さい」

「うん」

 蘭丸は源太郎の頭を胸に抱いた。源太郎は蘭丸の背に腕を回し、胸に顔をくっ付けた。

「お蘭、鼓動が速いなあ」

「す、すみません…」

 けれどそれは貴方のせいです、と蘭丸は心の中で付け足した。

「なして謝るだ?」

「煩くないですか?」

「ううん、元気で安心する」

 源太郎は腕の力を少し強めた。

「皆、段々と心音が弱くなって、最後に止まっちまう。だから、このままずうっと続いてる音、聴いていたい」

「源太郎様…」

 蘭丸はもぞもぞと布団の中で、浴衣の襟を開いた。源太郎の短い髪の毛先が肌を刺してくすぐったい。

「良く聞こえますか?」

「うん…」

 源太郎の熱い吐息が段々とゆっくりと深く規則正しくなっていく。蘭丸はゆっくり休んで下さいと心の中で呟いた。
 夜も朝も眠っていたにも関わらず、この状態は眠気を誘われてしまう。布団を出ることも出来ないなら、いっそもう一度眠ってしまおうか。蘭丸は目を閉じた。



 薄い意識の中、鐘の音が聞こえた。蘭丸が目を開けると、すぐそばに源太郎の寝顔がある。汗ばんでいて頬が赤い。蘭丸は布団から出た。
 着替えながら部屋を暖める。髪を括っていると、戸を外側から叩く音がした。

「はい」

 開くと、息を切らした桃太が立っていた。仕事終わりの源太郎と同じ匂いを漂わせている。

「桃太殿。源太郎様はまだ寝ておりますが、良ければお上がり下さい」

「有難う。これ、見舞いだ」

 桃太は大きな塊を蘭丸に手渡した。つるつるとしていて赤に近い橙が鮮やかだった。

「随分上等な柿ですね」

「分かるか?きっと甘いと思う」

「けれど、大丈夫なのですか?土産で柿を頂きますが、こんなに形が良くて大きいものは…」

「だから、内緒な」

「けれど…」

 桃太は蘭丸に大きな柿を押し戻した。

「有難う御座います。けれど、このようなことはこれっきりにして下さい。この品質、献上品とされる物ですよね?」

「其処までじゃない。ほら、ここに傷がついてる」

「けれど、市場に出回ればそれなりの値が付くはずです。わざわざ買ったのですか?」

「否…」

「桃太殿。桃太殿はかようなことをするような方ではないと、私も知っています。ですから、私達の為に、もう商品を持ち出すようなことはなさらないで下さい」

「すまない、俺は…」

「謝らないで下さい。私は怒っておりません。ただ、心苦しくて」

 桃太は傷付いた顔を上げた。

「前にも伝えたと思いますが、桃太殿が悪い訳ではありません。ですから、今までと同じように源太郎様と接して欲しいのです」

「そのつもりだ。柿を持ち出したのはまずかったが。仲間が具合悪かったら心配になるし、手助けだってしたい。迷惑だったか?」

「そんなことないです。うめ殿のことを気にしているから、ここまでしてしまったのかと勘違いしておりました。失礼致しました」

 蘭丸が頭を下げ顔を上げると、桃太は蘭丸をじっと見つめていた。

「桃太殿?」

「お前は本当に源太郎のことを想っているんだな」

「え?」

「何でもない。じゃあ、調子が戻ったら柿食べさせてやってくれ」

「あっ」

 桃太が出ようと振り返ると、蘭丸は袖を掴んで引き止めた。

「実は…」

「ん?」

「今朝、桃太殿が去った後に、入れ違いにうめ殿が此処を訪ねて来られまして」

 桃太の優しかった表情が途端に険しくなる。

「何か、嫌なこと言われなかったか?」

「あの件は、自分は悪くないと、あの二人が勝手にしたことだと言い張っていて。私、つい言い返してしまって…」

「何を言い返したんだ?」

「兄上を想うならご自身を省みるようにと」

 桃太は悲痛に顔を歪めた。顔を抑えて俯く。

「桃太殿…」

 蘭丸は桃太の肩を抱いた。

「どうして分かり合えないんだろうな…。あいつが生まれてから十六年共に暮らしたのに、出会って間もない源太郎やあんたの方が俺を分かっている気がする」

「うめ殿は大切にして下さった桃太殿のいる世界しか知らないのです。きっと、他所を知ればまた別の視点から桃太殿を知ることもあると思います」

 桃太が顔を上げる。涙は辛うじて出ていなかった。

「桃太殿…、少し体を温めて行きませんか?」

「有難う。けど、今日は帰るよ」

「分かりました。今日は有難う御座いました」

「ああ」

「あまり、思い詰めないで下さいね」

 余計なことを言ってしまっただろうか。しかし、桃太は蘭丸に笑顔を向けてくれた。

「じゃあ、大事にな」

 蘭丸は桃太を見送って、源太郎の元へ戻った。傍らで座ると、源太郎は薄く目を開ける。

「お蘭…、桃太が来ただか?」

「はい。柿を持って来て下さいました」

「そっか。何か、あっただか?」

「何かって…?」

「元気なさそうだ」

「源太郎様が元気にならないと、蘭も元気が出ません」

「そういった意味じゃないだ」

 源太郎は手を伸ばして蘭丸の頬に触れた。熱く大きな手に蘭丸は自分の手を重ねる。

「なあ、隠し事はなしだよ?」

「では、源太郎様の体調が戻ったらお話し致します」

「ん。必ずだぞ?」

 蘭丸が頷くと、源太郎はまた目を閉じた。熱く深い寝息を吐く。
 答えは間違っていなかっただろうか。蘭丸は再び自問を繰り返す。




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