妄想、愉悦。


拾陸


  


 満天の星を身に纏い、絵の中の彼女が笑っている。想い人に向けるような、幸せそうで、どことなく艶っぽい、優しい笑み。
 あの刹那の笑顔を掬い取って、紙の上に起こせる小蘭の才能には、改めて驚かされる。しかし小蘭は絵を止めると言った。望んでいたことなのに、何故か小龍は素直に喜べないでいる。

「小龍」

 小蘭が障子からのぞき込んでいた。

「帰ってたのか」

「うん」

「昼は食べたか?」

「まだ」

「じゃあ、作る。待ってろ」

「いいよ。お腹空いてないし、それに、もう自分でする」

「そうか…」

 もう小蘭の面倒を見る必要はなくなった。小龍は、体から色んなものが抜け落ちるような、妙な感覚に襲われた。

「小龍、ずっとその絵見てたの?」

「だって、お前の最後の作品だろ」

「それだけじゃないでしょ」

 小蘭は部屋に入って、寄り添って小龍の肩を抱いた。

「何だよ」

「私ね、これ、最高傑作だと思ってるの」

「そうだな…」

 小龍は視線を絵から放した。小蘭の足首には、汚れた手拭いが巻かれていた。

「小蘭、怪我したのか?」

「ああ…。これ?ちょっと転んで、もう平気よ」

 小蘭は手拭いを取って、大事そうに握り締めた。

「さっきね、源太郎さんのところ行って来たの」

「え?会えたのか?」

「最初は逃げたけど、想像以上にお人好しでね、すぐに話聞いてくれたわ」

「お前さ、そうやって相手の内を読んで計算で行動するのやめろよ」

「そうね、それも止める」

「で、源さんは…?」

「許してはくれなかったけど、分かってくれたわ。お金は受け取って貰えなかったけれど…。あとね、これくれたよ。小龍にって」

「石?随分汚れてるな…」

「うん。綺麗にして大切にしていればいいことあるかもって。御守りじゃないのかな」

 小龍は受け取った石を畳に置いた。

「どうして俺に…」

「可哀相だったからだと思うよ。小龍は何にも悪くないのに」

「可哀相?」

「大事な人をなくしたから」

 大事な人と言われ、彼女の笑顔が浮かんだ。言葉をつまらせると、小蘭はそのまま語り続けた。

「私もあんたも大事な人が出来て失ったけれど、これも成長だと思うのよ。私、お祖父ちゃんが死んでから、あんた以外のこと好きじゃなかったもの」

「大事って、小蘭…」

 小蘭はまだ湿った手拭いを握っていた。

「私が絵にのめり込んだのはね、小龍が喜んでくれたからなの。でも、何時の間にかあんたよりも絵が大事になってた。そんなことすら忘れてたわ。だからもう、絵はいいの。小龍が一番大事よ」

「俺より、自分を大事にしろよ」

「勿論。私、小龍が大好きだから、自分も大事にするわ」

 そこまで話して、小蘭は立ち上がった。

「さてと」

「出掛けるのか?」

「うん。職探ししようと思って」

 小蘭は颯爽と出て行った。濡れた手拭いは置いたままになっている。

「全く…」

 拾うと湿った畳が現れた。
 これからどうしようか。職人に弟子入りしようか、それともまた別の商いでも始めようか。望んでいたはずなのに、いざ小蘭の絵から離れると、どうしたらいいのか分からない。ゆっくりはしていられない。小蘭はもう歩み始めてるのだから。

「あ」

 手が汚れている。あの石に付着していたものだ。石を取り、濡れた手拭いで汚れを擦り取る。

「ん?」

 汚れで隠された彫り物があることに気付いた。小龍は爪を使って埋まった汚れを削ぎ落とす。

「……」

 これに似ているものを、小龍は知っていた。しかし、これには個体差がある。小龍は、小蘭の過去の絵を漁った。

「これだっ」

 思い当たる箇所と見比べる。

「やっぱり…、だよなぁ…?」

 多少の誤差はあるが、仕組みは同じだ。

「何だってこんなものを…」

 これで欲求を満たせと言うのか。失礼にも程がある。一瞬、棄てようと窓に向かって手を上げたが、誠実な源太郎の笑顔を思い出し、躊躇う。

「よく出来てるなあ」

 寝っ転がって石をよく見てみた。その向こうの彼女の笑顔と目が合い、何だか気恥ずかしくなる。彼女の大事な人は、何を考えているのだろうか。

「なあ、蘭…」

 石を絵の箱の上に置いて、立ち上がった。

 しゃおろんどの。

「……!?」

 彼女の声が聞こえた。少しだけ低くて、掠れた声。部屋を見渡す。
 窓の外を見回しても、誰もいなかった。聞き間違いか。当たり前だ。彼女が此処に来る訳がない。
 小龍は部屋を出て、土間に降りた。まだ、彼女の小さい草履がある。裏庭に干した彼女と源太郎の服を、日に当たる前に取り込んで、台の上で畳む。

「小龍殿」

「へっ!?」

 今度ははっきりと聞こえた。彼女の声。小龍は振り返った。

「蘭…?」

 星空の着物を纏い、唇に紅を引いた彼女が、小龍の背後に、ついさっき出て行った部屋に立っていた。

「どうしたんだ?」

「小龍殿の為になればと、参りました」

 彼女の頬は赤く、瞳は潤んでいた。

「へ?ああ…、着物、取りに来たんだな」

 彼女は返事をせず、俯いてしまった。

「蘭?」

 小龍は草履を脱ぎ捨て、彼女のもとに歩み寄る。

「具合でも悪いのか?」

「違います。私…」

 華奢な肩に手を置く。彼女は顔をあげた。瞳が煌めいて、吸い込まれそうな目をしている。

「蘭…、何かあったのか?」

 彼女は小龍の襟を引っ張った。屈んでみる。顔が近付いて来て、唇が寄せられた。柔らかい。

「らっ…」

 すぐに離して、彼女は小龍の胸に抱き付いた。

「蘭…」

 小龍は小さな顎を持ち上げて、顔を近付けると、彼女は目を閉じた。包むようにして唇を押し当てる。彼女は微かに唇を開いていて、隙間に入り込む。彼女は小龍の着物をぎゅっと掴んだ。小龍は、彼女の帯の結び目を引っ張った。彼女は拒まない。

「…蘭」

 唇を離すと、彼女は深く息を吐いた。見上げた瞳は相変わらず潤んでいた。小龍の張り詰めていた糸が更に細くなる。

「後悔しないのか?」

「致しません」

 小龍の、結び目を引っ張る手が震えた。帯を解いて星空の着物を肩から落とした。髪飾りを取って長い髪がはらりと胸に垂れる。彼女は穏やかに笑んだまま、小龍の行動を待っていた。襦袢を震える手で脱がした。露わになった小さな胸が髪に隠れ、下は相変わらず童女のような佇まいだが、彼女は隠したりする様子はない。口付けでよれた紅を指先で拭って、淡い桃色の唇を吸った。吸いながら、彼女の体を組み敷く。今度は歯の間に押し入って、小さな舌を絡め取る。彼女は首に腕を巻き付けてきた。

「は…」

 場数は多くはないと思うが、相手をした女の数はそれなりにいる。しかし、息継ぎが上手く出来ずについ唇を放してしまった。

「蘭…」

 彼女の髪を撫でる手がまだ震えていた。こんなことは初めてだ。

「す、好きな女を抱くのは、こんなに…」

 彼女が小龍の手を取った。震えを止めるように頬に押し当てた。

「私も、あなたのことが好きです」

 彼女が胸に小龍を抱き締めた。直接耳に、早鐘を打つ鼓動が届いた。

「あっ…」

 小龍は胸を撫でた。先端部分を指で刺激すると、彼女は甘く喘ぎながら、首を反らした。細い首筋に吸いつきながら、乳首を摘む。痕を着けないように徐々に首を下にして、乳首に吸い付いた。

「あぁっ…」

 口の中で先端を舌で突くと、ぼやけていた輪郭が粒状に固くなる。濡れて、赤みを増した乳首を両手指でこねると、彼女は涙を浮かべながら、息を荒くした。

「蘭、ここが善いのか?」

 彼女は膝を摺り合わせながら頷いた。愛おしい。こんな感情は、生まれて初めてだった。
 小龍は、足と足の隙間に手を伸ばす。ぴったり閉じた合わせ目から蜜が溢れていた。膝を開いて、中を寛げる。突起は腫れ、内側は充血していた。快楽を知っているこの体は、誰も侵入していないように見えるが、果たして。小龍は身に着けた短袴を脱ぎ、下帯を取った。

「蘭…」

 彼女の間に割って入って行く。熱く、狭く、それでいて滑っていて、まるで吸い取られていくような感覚。奥まで収まると、彼女は泣きながら笑っていた。

「痛いのか、蘭」

「いいえ。幸せで…」

 彼女が手を伸ばす。小龍は彼女に体を被せ、汗ばむ額に口づけた。

「蘭…、俺も、幸せだ」

 彼女の内側がきゅっと締まる。小龍は腰を打ち付けた。

「あっああっ…」

 彼女の喘ぎが荒くなる。ざらついて、波打つような粘膜に擦られて、更に熱が集まる。

「蘭、蘭…」

 名前を呼ぶ度、彼女への愛おしさが深くなる。彼女も同じだったらいいのに。

「小龍…」

 彼女が呟くように名を呼んでくれた。

「蘭…!」

 高まった小龍は、彼女に絞り取られるように吐き出した。あまりの心地よさに呆然として、力が抜けて我に返る。

「…!」

 彼女の中から白濁液と血液が混じったものと一緒に自身が抜け落ちた。やはり、経験はなかったらしい。それなのに、思わず、中に出してしまった。

「蘭…、すまない…、すぐ、出さなきゃ」

「何故ですか?」

 彼女は悲しそうな顔をした。

「何故って、子供でも出来たら…」

「私はこんなに幸せなのに、あなたは幸せではないのですか?」

「蘭…」

 ここに来てから常に濡れている彼女の瞳が、悲しみで陰った。

「そんな訳ない…」

「本当に?」

 彼女が起き上がって、小龍に抱き付いてきた。

「では、次は私が」

「うゎっ」

 彼女が力尽きた白濁まみれの小龍を掴んだ。そして、屈んで小さな舌で舐め始めた。

「ら、蘭、そんなこと、しなくて…」

「嫌なのですか?」

 まただ。彼女は、拒否する度に悲しい目をする。

「嫌じゃない…」

「しても良いですか?」

「うん…」

 彼女は嬉しいそうに、小さな口をめいいっぱい開いて迎え入れる。体とは違った心地よさで、優しく小龍を刺激する。

「蘭…、もういいから」

 彼女の顔を上げさせた。彼女の可憐な唇は、白く汚れていた。

「こんなにして…」

 唇を指で拭う。彼女が舌を出して小龍の指を舐めた。

「蘭の唇は、柔らかいな」

 彼女はにっこり微笑んだ。

「もう一度、していいか?」

 彼女が小龍を組み伏せるようにして被さってきた。柔らかい唇を押し当て、舌が入ってくる。小龍は、初めて自分の体液の味を知った。
 彼女が膝立ちになった。秘唇が白く濡れ、小龍の腰に跨ると、濃い液がぽたりと落ちた。粘着質な音を立てながら、腰を落として、彼女の小さな内部が異物を呑み込んでいた。

「蘭…」

 ぺたんと座り込むと、腰を上下に揺すった。彼女が動く度に空気に晒され、また隠れる。極上の肉壺に、小龍は再び煽られ、次は誤らないよう下腹に力を込めた。

「蘭、退いて、出そうだ…」

「欲しいです」

「欲しいって、意味分かってんだろ?」

 彼女は無邪気に微笑んだ。そして、体を前に傾けて小龍の腰を挟むように膝に力を込める。

「あっん…」

 内部が一際強く震えて、その刺激で小龍は耐えきれず、再び彼女の中で果ててしまった。
 達成感、罪悪感、優越感…。色んな感情が小龍の中に生まれた。彼女が小龍の体から離れると、白い液が抜け落ちた箇所から細い脚を伝っていた。

「蘭」

 小龍は彼女を座らせて、足の間を覗いた。付着した体液の向こう側は、殆ど閉じていて、触れてみると指に少しだけ血が着いていた。

「痛くなかったか」

「痛くありません」

 小龍はたまらず、彼女を抱き締めた。彼女の腕が小龍の背中に巻き付いた。

「どうして、俺なんかに…。大切な人に捧げたかったんだろ?」

「小龍殿が大切だからです」

「源さんよりもか?」

 彼女の返事はなかった。

「悪かった。狡いこと聞いて…」

 彼女の源太郎に対する想いは絶対だ。それはとうに分かっていた。けれど、彼女は揺るぎない信頼と愛情を自分にも向けてくれた。目を見れば分かる。

「蘭…」

 それは、自分自身が今まで恋を知らなかったせいでそう見えたのだろうか。体を離して、確認してみる。彼女の目は澄んでいて、瞳には自分の顔が映っていた。

「蘭、俺の傍にいてくれるか?」

 彼女は困った顔をした。

「その体で、源さんのもとへ帰るのか?」

「……」

「蘭、俺は、あんたを困らせたい訳じゃないんだ。あんたの気持ちに応えたい。俺、あんたの為なら…」

 何だってする。そう言いかけて気付いた。初めてだ。小蘭以外の為に、何かをしたいと思うのは。

「あんたのた為なら、何だってするよ」

 彼女は悲しげな、けれど優しい顔で、小龍の頬を撫でた。

「どうか、お幸せに。あなたを愛し、あなたが愛する方と。あなたなら、必ず見付かります」

「あんたは違うのか?」

 彼女は頷いた。

「私は、もう帰ります」

「やっぱり、源さんの所へ行くのか…」

「いいえ」

「なら、何処へ…」

 彼女は背後を指差した。方角を示しているのかと思った。しかし、その指先には、見覚えのない掛け軸があった。

「え?」

 あそこには彼女の絵を掛けていなかったか?何故白紙なのだろうか。小龍は間近で確認しようと立ち上がった。その瞬間、玄関の戸が開く音がした。

「ただいま」

 小蘭が帰ってきた。

「小龍、小龍いないの?」

 まずい。小蘭は自分を探してる。小龍は彼女の肩に星空の着物を掛け、自分の足元にあった脱いだ服を履いて、下帯を拾って後ろ手に隠したところで、小蘭は障子を開けた。

「やっぱりここに…」

 笑顔の小蘭の表情が引きつった。

「あんた、何してたの…?」

 急いで服を着たところで、この状況は一目見たら分かるだろう。小龍は腹を括った。

「…一人で」

 小蘭の言葉の続きに、小龍は目を丸くした。

「一人?」

 振り返る。彼女の姿はなくなっていた。脱いだ襦袢も、外した髪飾りもない。ただ、畳に白い染みが残っていた。

「え!?」

 窓の外を見てみる。彼女ならば抜け出せそうな大きさだが、外の濡れた土に足跡はない。

「あんた、女、連れ込んでたの?」

「あ」

 隠した下帯もばっちり見られていた。

「これは違…」

「顔拭きなさいよ、みっともない」

 小蘭は冷たい視線を向けて、障子を閉めた。

「顔?」

 姿見の布を取って確認してみた。唇にべっとり赤い塗料が着いていた。彼女の残した色を、手の甲で拭う。
 全く、あの一瞬で彼女はどう逃げたのだろう。

「忍者かよ…」

 一人ごちて、下帯で畳を拭いた。虚しい。彼女の幻覚を見て、自分で慰めていたのだろうか。いや、手の甲には赤い汚れがしっかり残っているからそれはない。彼女の柔らかい唇の感触を思い出した。
 もう会えないのだろうか。
 彼女の指した方角を見てみる。何だ、ちゃんと絵があるじゃないか。絵の中の彼女は相変わらず笑っている。
 小龍は畳に腰を落とす。手が、何かに当たった。貰ったばかりの石だ。

「さっき、磨いたよな…?」

 拾った手にはまた新たな汚れが付いていた。






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