妄想、愉悦。





  


 源太郎の妹の服が既に乾いていて、着ることにしてみた。
 源太郎の妹なのだから、兄に似て恐らく長身だったのだろう。案の定今の蘭丸では丈もついでに幅も少々余り、着付けに四苦八苦したものの、何とか着ることが出来た。胸元も少しばかり心許ないが、さっきまで着ていたものよりはずっと隠してくれている。

 着ていた服を簡単に洗い、干してから家を出た。

 真面目な蘭丸は、迷いに迷って今日中にこの本を彼女に返すことにした。恐らく大事なものだろうし、今頃困っているはずだ。それと少しだけ、他の作品を見てみたいと言う欲もあったのだが。
 それにしても、女性の着物は歩きにくい。裾を捲ることも考えたが、そうすれば下帯の余り布が露出して、女としても男としてもみっともないことになる。早歩きを試みても草履が大きくてままならず、予想より時間が掛かってしまった。

「え…と」

 地図を確認する。目印の油問屋が目の前にある。ここから一つ目の角を曲がり…。歩きながら進んでも、なかなか見つからず、もう一つの目印の団子屋も通り過ぎてしまい、蘭丸は引き返した。

「……」

 道行く人々に見られている気がする。商人も、通行人も、立ち止まる人も。やはり、この着付けは可笑しいのだろうか。それとも、女の成りをして挙動が男っぽいのか、若しくは地図と睨めっこをしている様が田舎くさいのか…。後ろ向きな考えばかりが頭を巡ってしまう。
 歩いていたら、あった、角が。角と言うより、二尺半程の隙間であったが。その隙間を抜けると、道が広くなり、其処からは民家が軒を連ねていた。

「んー…」

 こんな小さい板に詳しく書いてある訳がないか。水まきをしているあの女性に聞いてみよう。

「あの…」

「あの」

 声が重なる。蘭丸は振り返った。今の蘭丸と同じくらいの背丈の少年が立っていた。

「何か、お探しですか?」

「あ、あの、絵描きのしょうらん殿のお宅を探しておりまして」

「しょうらん?ああ…」

「ご存知ですか?」

「ええ、案内しますよ。こっちです」

「わっ」

 強引に手を引っ張られた。しかし、笑顔が爽やかな優しそうな少年だった。十代前半くらいだろうか。手もまださほど大きくはなく、この頃の男性には恐怖心が生まれず、蘭丸はほっとする。
 少年と行く道は段々と人気がなくなってきた。

「随分歩きますね」

「もうすぐですよ」

 少年は板塀の戸の前で足を止めた。

「ここです」

「ご親切に、有難うございました」

「いえ…」

 少年は戸を開け、蘭丸を促した。
 塀の内側にはこぢんまりとした蔵があった。家と言うより物置に見える。少年は前に立って、戸をゆっくり開けた。暗い隙間に光りが差した。

「どうぞ」

 蘭丸が会釈をして顔を上げる時、少年は戸を全開にして、蘭丸の背を勢い良く突き飛ばした。

「あっ」

 蘭丸の体が床に転がり、足音が集まり埃が舞った。
 起き上がる隙もなく手首を捕まれ、腕の上に座られ、両手首をきつく結ばれた。

「何をする、離せっ」

 足をばたつかせていると、足首の上に座られた。その人物は、脚を覆う裾を捲り上げた。

「止めろ!」

 蘭丸が渾身の力で暴れると、一瞬だけ上にいる人物の体が浮いた。するとまた一人、腰の上に誰かが座り、蘭丸は殆ど身動きが取れなくなった。

「綺麗な脚だなあ」

 湿った手が脹ら脛から腿を撫で回す。

「おい、こいつ、褌なんか着けてるぞ」

「本当に女か?」

「確かめるぞ、転がせ!」

 硬い床で無理矢理転がされる。拘束された手首はそのまま敷かれ、脚を無理矢理こじ開けられ、それぞれ腿の上にしゃがみ込んで、下帯に手が伸びる。

「や、止めろ!」

「すす、すげえ美人だな、ああんた」

 幼さの残る顔が卑しく笑いながら蘭丸を見下ろした。まだ十代前半くらいの少年だ。足の自由の奪う少年達も、せいぜい十代半ば程度で、一人は少年期特有の赤い吹き出物が顔中に出来ていた。蘭丸より確実に子供だ。体つきもそれ程大きくない。それなのに、全力で抵抗しても適わなかった。女性のたおやかさに絶望する。

「何故、このようなことを…」

「決まってるだろ」

「やっぱり女だ」

 下帯が剥かれ、一番見られたくない場所を晒された。

「止めなさい!お前らのような子供が、こんなことをっ」

「こんななりして、お前だって十分子供じゃねえか」

「違いねえ。おれの妹とそっくりだぜ。まだ五つだけどな」

 少年達が残酷に笑った。高めの少し掠れた声が響く。頭上の少年が、襟から手を突っ込んで胸を撫で回した。

「へへ、む、胸も、ね、ねえな」

「触るな、私は子供ではない!」

「なら、やっちまっていいよな?おい、腰に座って、足抑えてろ!」

 一人が蘭丸の腹に跨り、片足を持ち上げた。割れ目の肉を捲られる。

「中、こんなになってんだなあ。おい、どこに入れるんだ?」

 晒された粘膜に、異物が触れた。

「止めろ!」

 まだ源太郎に捧げていない。それだけは、避けなければいけない事態だった。

「誰かー!」

 声を張り上げ、狭い蔵に蘭丸の声がこだました。防音されている。

「残念、誰にも聞こえないよ」

 少年が笑った。
 また、汚い男の肉欲の捌け口に使われてしまうのだろうか。それならいっそ、汚される前に死んでしまった方がましだ。
 その時、何かが割れる音がして、何かを叫びながら、少年の体が重くのし掛かってきた。

 顔を上げると、今犯そうとしていた少年が戸の下敷きになり、蘭丸を巻き込んで全員倒れていた。戸があった場所に長身の男が立っていた。逆光で顔は見えない。

「大丈夫か?」

 その人物が歩み寄り、戸板をよけ、少年たちを軽々しく投げ飛ばした。蘭丸の無惨に捲れた裾をさり気なく直し、抱き上げた。

「……」

 切れ長で黒目がちな瞳を持った青年だった。
 青年に抱かれたまま蔵を出ると、道案内した少年が伸びていた。青年は敷地から出て、狭く、人気のない道に歩いて行く。

「歩けますから、下ろして下さい」

「すまないね」

 青年は、蘭丸の体を下ろして、屈んで懐から出した草履を履かせてくれた。脱げていたことに気付かなかった。

「随分大きいの履いてるね。男か、もっと大柄なお嬢さんかと思っていたよ」

 青年は、蘭丸の手首の拘束を解きながら言った。

「す、すみません。あの、有難うございました!」

 蘭丸は頭を下げた。

「気にすんな。もとはと言えば、あんたがこうなったのはこっちのせいだ」

「え?」

「これ、届けようと来てくれたんだろ?」

 青年が懐から冊子と小さな地図を出した。

「草履と一緒に蔵の前に落ちてたよ。全く、こんな雑な地図じゃ読めないよな」

 青年が笑った。似てる、あの女性と。

「あなたは、しょうらん殿のご親族ですね?」

「しょうらん?ああ、あれはしゃおらんと読むんだ」

「しゃおらん?」

「俺の名はしゃおろん。小さい龍と書く」

 蘭丸は、蔵の中で少年が倒れ間際にその名を口にしていたことを思い出した。

「あんたは?」

「私は……、蘭…と申します。小蘭殿と同じ蘭です」

「随分と高貴な名前だね。でも、似合ってるよ」

 蘭丸は賛辞の言葉を受け流して、話題を変えた。

「小龍殿は、何故あの蔵にいらしたのですか?あの蔵は音が漏れないと、あの子供らが言っていましたが」

「商人のおばさんが言ってたんだ、もの凄い美人なお嬢さんが現れたってね。話を聞いたら姉が今日川で出会った少女と同じ人物だと思ったんだ」

「小蘭殿は小龍殿の姉上なのですね」

「ああ。あんたを襲ったあいつ等は、この辺じゃ有名な悪餓鬼共で、あの蔵を溜まり場にして、よく悪さをしてる。女を犯そうとしたのは初めてだろうがな。で、あんたの行方を聞き回ってたらその餓鬼共の下っ端があんたに声かけてるのを見た奴がいてさ」

 蘭丸は手首の縄の跡に触れた。この人が助けてくれなかったら、今頃自分は…。今更ぞくりと背筋が冷えた。

「本当に有難うございました。小龍殿は、私の命の恩人です」

「命?幾らあいつらでも、命までは取らないさ」

「いいえ。あのまま辱めに遭っていたら、私は舌を噛んで死んでいました。大切な方に捧げる前に汚されるなんて、耐えられない…」

 蘭丸は唇を噛んだ。たった二月前のことなのに、源太郎と過ごす日々が、あまりにも優しくて、幸せで、この恐怖を思い出さずにいられた。源太郎と共に過ごす幸せを当たり前と享受していたから、油断して子供相手にあんな事態に陥ったのだ。
 小龍の大きな手が近付いて、蘭丸はびくりと震えた。その手が、優しく頭を撫でる。小龍は、心配そうに蘭丸を見つめていた。初対面の相手に何を言っているのだろう。蘭丸は作り笑いをした。

「すみません、本当に…。何とお礼をしたらいいか」

「いいよ。もとはと言えば、これを忘れて、あんたにこんな適当な地図を渡した姉のせいだ」

「そんなことありません。私がいけないのです。子供相手に、油断した私が…」

「あんたは、子供じゃないのかい?」

「……私、そんなに童顔でしょうか?」

 以前から実年齢より下に見られることは多かったが、それでもあの子供らよりは大人に見えると蘭丸は思っている。

「いや、その姿は十分立派なお嬢さんだ、だが中身は…」

 語尾が小さくなって聞き取れない。小龍が気まずそうに顔を手で覆い、横目で蘭丸の腰の辺りを見たのを、蘭丸は気付かなかった。

「え?」

「何でもねえ!さ、行くか」

「行くって、どちらへ?」

「家だよ。絵、見に来てくれるだろ?」

「いえ。後日、改めて伺います」

 大切な絵はもう返したのだから、見物は源太郎としたい。

「いいじゃないか。もう近くなんだ。時間は取らせない」

 何故、こんなにも自分に絵を見せたがるのだろう。疑問に思ったが、恩人の誘いを無碍に断ることも出来ず、蘭丸は承諾した。


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