玖
姉弟に見送られながら長屋を出て、夜の街を二人並んで抜ける。
酒屋や宿屋はまだまだ活気があって、人通りも少なからずある。源太郎は隣の蘭丸を見詰めた。蘭丸は俯いて、着物で足を広げられない為に小走りして、源太郎の半歩後ろを維持していた。
「お蘭」
源太郎は掌を差し出す。蘭丸は源太郎を見上げてから、照れながら小さな手を載せた。握りしめたら折れそうな程小さい。
今日、仕事を切り上げて長屋に向かう途中小龍と会った。その帰路で、小龍は躊躇いがちに切り出した。
昨日、あの子襲われたんだ。
源太郎は、その言葉で錯乱しかけた。その姿を見て、小龍はすぐ付け足した。大丈夫、俺が助けに入ったから、大事には至っていないと。手を出したのはこの近所に住む悪餓鬼共で、蘭丸が道に迷っている所に声を掛け、人気のない所に呼び出したとのことだった。餓鬼共は騒ぎにならない程度に既に小龍が懲らしめておいたらしい。
そんなことよりも、源太郎は蘭丸が新たな心の傷を作っていないかが心配だった。そもそも、大丈夫とはどこまでが大丈夫なのかが分からない。行為には至っていないにしても、肌を晒されたり、触れられたりするだけでも、辱めに値する。けれど、源太郎は小龍に深く突っ込むことが出来なかった。そんなことを聞いても、自分が冷静でいられるか分からない。蘭丸が言わないでいたのも、自分に心配かけたくなかったからだ。蘭丸の為にも、自分は知らない振りをしていたい。
蘭丸は、街を出て山道に入る頃には前を向いていた。今朝、俯く蘭丸に言った科白を思い出して、自分を殴りたくなった。蘭丸はどう思っているのだろうか。あの姉弟や、絵の仕事を。
「お蘭」
「はい」
「どうだ、今日は」
「どうって?」
「楽しいとか、つまんねえ、とか」
「楽しいとか、そう言うのはないです。禅を組むのと似ています」
「禅、かあ…。おらには出来ねえな」
蘭丸はくすくす笑っていた。
「じゃあ、あの二人、どうだ?」
「どう、と言うのは…?」
「好きとか、嫌いって意味だ」
蘭丸は少しだけ考える仕草をして、すぐに口を開いた。
「まだ、出会ったばかりですけど、あの方たちのことは好きです。小蘭殿は少し変わってますけど、明るくてとても楽しい方です。小龍殿はとても気遣いが出来て面倒見のいい方です」
「そっか。おらも、そう思う」
「源太郎様が蘭のことを考えて下さったのが、とても嬉しかったです。蘭は、このお二人との出会い、大切にします」
「じゃあ、明日も行こうな?朝、早いけど」
「はい。けれど…」
「ん?」
「改めて、気づいたことがあります」
「気付いたこと?」
「蘭は、いつだって源太郎様に守られていることを」
「いつだって?おらが?なしてだ?」
「蘭は、源太郎様の家で源太郎様を待つのを、淋しいと思ったことはありません。けれど、今日はとても淋しくて、不安でした。自分でも驚くくらい」
「え…?」
「どれだけ源太郎様に甘えて、依存していたのかが分かりました。だから、源太郎様は私を小蘭殿の所へ連れてって下さったのですね」
「そんな、お蘭がどうしようもなく辛いなら、別に行かなくってもいいだよ」
源太郎は何時の間にか歩みを止めていた。
「絵だったら、雨の日、一緒に行こう!お蘭のこと、傍で待ってるから」
蘭丸はにっこり笑って首を横に振る。
「せっかく源太郎様が下さったきっかけを、蘭は大切にしたいのです」
蘭丸は源太郎の手を引いて歩き出した。
「このままじゃ、蘭は源太郎様に甘えたきりになってしまいます」
「いいだよ、甘えて。おらだってお前に甘えてる」
「はい、甘えます」
蘭丸は源太郎の逞しい腕に絡み付いた。夜の山道は閑散としていて、誰一人いない。この時を狙っていたのだろうか。
「家にばかりいたら、こうして歩くことも出来ませんでしたね」
「うん」
「明日、朝早く行きましょう。私、小蘭殿の家で、源太郎様を待っていますから」
「分かった。強いな、お蘭は」
「強くありません。強くなりたいから、強くなろうとしています」
「なれる。なっても、おらに甘えていいだよ」
「はい」
二人は寄り添いながら家路を歩いて行った。
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