虹彩のまやかし



さて。
流石に父からの手紙を貰っているのではどうしようもない。
どうせ父と母から事の顛末は受けているんだろう、この目の前の少女はとコナンは全力で睨んでやる。
阿笠研究所まで連行された百合はコナンと哀の痛い視線を全く気にせず、「ホー…」と研究所を見渡していた。中々に肝が据わっている。
コナンが咳払いすると百合は「ああ、すまない」と居住まいを正した。すまないとか思ってねーだろ絶対。

「…で。吐いてもらおうじゃないの。何の用?」
「まあ確かに私だけキミたちの事情を知っておいて私だけシークレットというのはフェアじゃない。50:50が礼儀だ、答えよう。結論から言えば、私もキミたちと同じ…APTX4869という毒薬を飲み、気が付いたら身体が縮んでいたんだ」
「…!じゃあ、貴方…!」
「お察しの通り、私も例の組織とは多少なり因縁があってね」

悪戯の種を観念して明かすかのような軽い空気は一瞬で引っ込んだ。
いまコナンと哀の目の前にいるのは、組織関係者である。エバーグリーンの瞳をきゅ、と細めて見せた。
元組織幹部であるシェリーが、ひどく居心地の悪そうな表情で百合を睨みつけていた。

「毒を飲まされた時は流石に死んだと思ったんだが、何のミラクルか身体が縮んでね。そこを協力者に発見されて私はその協力者のツテで工藤優作先生を訪ねたんだ」
「なんで父さんを…」
「以前、私は優作先生に小説で登場する武器の特徴や詳しい差異についての取材を受けた事があった。その縁だ。事情を話せばすぐに彼は受け入れてくれてね、「お礼は私の新作の小説の感想でいい」と言ってくれたよ。有希子さんも私に快く協力してくれた。…本当に助かった」

彼らに隠されるように日本へと飛び、名前を変え、姿を変え、何もかもを偽りで構築した『小学一年生』として振舞った。
経緯と感謝を語る百合の、静かに伏せられた眼に哀とコナンは、同じだと直ぐに理解したのだ。
彼女も、組織に「殺された」のだ。必死に彼らから姿を隠して、ここまでコナンを頼って日本まで来た。

「…あんたは組織とどういう関わりがあった?」
「私は訳あって組織に潜入していた。まあ要するにあれだ、スパイだ」
「…NOCだったのね。そんなの、ジンにバレたら」
「ああ、バレたとも。私はその日組織から新たに任務を受けるはずだったんだが、ジンに嵌められた」

細く白い手がギリ、とこぶしを握る。
眼は憤怒と憎悪にぎらついて、それを表情に一切出さないものだからひどく、危うく感じた。

「腹や足に何発も銃弾をぶち込まれ、その上で私に毒を飲ませた。そこで、今度こそ死ぬんだと思った。…まあ、結果はこの通りなわけだが」
「…ジンと直接、会ったの」
「会った。本来なら別の人物に会うはずだったものだから、咄嗟に反応し切れなかった…」
「………コードネームは」

哀の声は、硬い。
ジンが直接始末に赴く程の重役だったという事だ。この目の前にいる華奢な少女は。
少女は口を開く。そして驚く程感情の籠らない空っぽの声で。

「――――『ギムレット』。それが私の、組織でのコードネームだ」
「ギムレットですって!?」
「うお、」

思わず立ち上がりかけた哀に、隣に座って話を聞いていたコナンが声を上げた。
哀は咳払いをして再びソファに腰掛けるも、その目が同様に揺らいでいるのは一目瞭然だ。
百合は静かにコーヒーを口に運んだ。
哀の脳裏にあった『ギムレット』のイメージとはあまりに懸け離れた姿に、目を泳がせてしまう。

「…大物だったのか?」
「…大物というより。純粋に、実態が謎だったの。組織内でギムレットの姿を知っているのはジンとベルモットくらいだったもの」
「まあずっと「掃除」していたんだ、顔を見せる理由がない。組織の中での「汚れ仕事」を主に請け負っていたからな」

裏の仕事ばかりの組織の中でも、更に汚れた仕事。
コードネームを持っている分確かに幹部クラスである事に間違いはない。ただその役割が役割なだけに、ギムレットは顔を出す事はなかった。
幹部の中で顔を知っているのはジンとベルモットのみ。司令も主にベルモットから受けていた。
ジンとはほとんど関わりはなかったし関わりたくもなかったが。

「…幹部の中でも、純粋な戦闘能力なら最高戦力だったはずよ。…NOCだった事が救いかしら」
「だからあんなに立ち振る舞いに隙が無かったのか。納得したよ。それだけのプロなら、無意識にでもそうしちまうんだろーな」
「完全に無意識だった。ボウヤに一目でバレたんだ、これからは隙のある立ち振る舞いをするように心がけよう」
「…………オイなんだその「ボウヤ」って」
「?キミ、高校生だろう?じゃあボウヤじゃないか。私はこれでも24だしな」
「然して変わんねーだろ!」
「そうやってムキになるところがボウヤなんだ」

コナンの反発を然して気にも留めずコーヒーを啜っている。
酷く落ち着き払っていて、確かに彼女はこの中では一番「大人」に見えた。

「…組織に潜入してたスパイって、まさか個人的な理由でか?そんなわけないよな」
「まさか。ちゃんと私にも所属していた組織はある。…そうだな、これが一番説得力があり且つ信用に足るものかもしれない」

百合はそう言って徐にランドセルを漁った。
不透明なアクリルファイルに厳重に仕舞い込まれていたそれは、手帳のようなものだ。
彼女は静かにそれを開き、中をコナンと哀に見せた。

「なっ…」
「では改めて自己紹介を。梁川百合改め、リリー・フォーサイス。連邦捜査局―――FBI捜査官だ。いや、『元』と言った方が正しいが」

その手帳に載っていたのは、髪や瞳の色は違えど、その容貌は百合と瓜二つの凛々しい女性だった。
証拠として、彼女は眼鏡を外してカラーコンタクトを外して見せた。
エバーグリーンだと思っていた瞳は、写真の『リリー・フォーサイス』と同じ、アメシスト。髪は染めているのだろう。
差し出した情報を、根拠を持って信じたコナンの瞳が、疑念や不信とはまた別の物に代わっていた。

「…で、だ。FBI捜査官のリリー・フォーサイスは公式では死亡扱いとされている。私はもうFBIとして表立って動けない。そこで、だ。ボウヤとミス灰原に私を傭兵として雇っていただきたい」
「傭兵として?」
「私は情報戦と戦闘は得手だ、ブレインより指示を受けてその通りに動く方が性に合っている。キミ達の知恵を貸して頂きたい。私は自らの身体でキミたちに成果を示そう。一応、組織のお墨付きだ。…どうかな」
「………傭兵だもの、対価はキッチリ取るんでしょう?」
「対価はAPTX4869の解毒剤。これでどうかな?」
「………乗った」
「まあ、いいわ」
「よし。これで私達は対等だ。傭兵にも矜持はある、契約は違えないさ。これからよろしくボウヤ、ミス灰原」

ボウヤという呼び方に未だに反発の声がする中で、哀の「ミス、は外してちょうだい」という注文が下った。
「じゃあ灰原さん」と呼ぶと、彼女は何も言わなくなった。無言は肯定ととらえている。



協力者ができた。共犯者ができた。
組織を壊滅させる事を目的とする共犯者たち。
もうFBIには戻れない、赤井を直接助ける事も、できない。
だが、せめてここから。ここから手助けくらいはさせてくれ。それが、リリーの贖罪の形だった。


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