花群の弔い



この研究所に住んでいる博士、阿笠博士もコナンと哀の協力者であり、哀を匿ってくれているという事なので挨拶を済ませる。
身分を明かし、戦闘職種ということでサポートアイテムを作ってくれるそうだ。
ありがたい事だ、と重ね重ね礼を言う。
こちらも協力者ではあるが表立って動けない、彼の協力は非常に心強いだろう。
ともかく、コンタクトは取れた。出だしはいいだろう。コナンが帰った後息を吐いていると、背後から「ねえ、」と哀に声をかけられた。

「なんだ」
「…アナタ、NOCだったんでしょ。…諸星大って男、知らないかしら」
「…諸星、大」

思い出すのは赤井の顔。やはり、明美の事か。
赤井は諸星大、という偽名を使って組織に潜り込む為、哀の姉・明美と交際し利用した。…明美は、ジンに殺された。
だからこそ赤井はジンを執拗に追っている。哀の目に憎しみの色はないが、それでも得られる情報は得たいのだろう。

「…いいや。だが、名前は知っている。明美の恋人だった男だろう」
「…ええ」
「……彼女とは歪とは言え、友人だった。…彼女をジンから守れなかった事、本当に済まなかった」

明美を守れなかった事。彼女を利用した事。
許される事ではない、許してもらうつもりもない。一生背負い続ける、これは業だ。
そう言うと、哀は静かに目を見開いて見せた。

「…あなた、傭兵の癖に情で行動するわけ?」
「まさか。私は報酬次第で何でもする。ただ、報酬を貰うぶんミスが許せないだけだ」

完璧に依頼をこなしてこその兵士だ。
そこに、些細なミスも許さない。士気に関わり報酬にも関わる。明美の事は完全にミスだった。
彼女を守れなかった。彼女も、哀も。

「だから、今度こそは守りきるさ。…明美からの依頼だ、志保」
「…案外、律儀なのね」
「傭兵業は信頼が命なんでね。依頼者に律儀かつ誠実なのは当然だ」
「ふぅん」

恨む事はない。だが、許す事もない。
FBIが明美にした事を、哀は許さなくていい。

決して許すな。形は違えど見殺しにした身だ。
組織から遺体の「処分」を命令された際、組織には無断できっちりと供養し、その骨を墓に入れた。百合にできた事はそれだけだった。
傭兵のくせに、情で行動する。かつての自分なら鼻で笑っただろうが、FBIに入ってからどうも甘くなった。
自分が甘くなったと、だがそれを悔やむ事すらなかったのは単にFBIの同僚達が好きだったからだ。
…最早自分は、FBIではない。ならば、今度こそは傭兵に徹しよう。

(ならば、)

身動ぎ一つで服の中に仕舞い込んだ指輪が揺れる。

(これは、なんだ)

もうFBIではないというのなら、これはなんだ。
「死んだ」身でこれにしがみつくなんて、まるで亡霊のようではないか。我ながら女々しいにも程がある。
だが頭では分かっていても、手がこれを放棄する事をいたく拒んでいた。
この指輪は、誇りの証だったから。
赤井は、きっともう一つのあの指輪を捨てる事はないだろう。彼ならば、ジンへの憎しみを膨れ上がらせ、突き進むに違いない。全部を原動力に変えられるあの男ならきっと。

(本当に私は、未練ばかりの亡霊みたいだ)

梁川百合という名の亡霊。今まで数々の偽名を使ってきたが、こんなにも虚しく思える名前は久しい。

(ああ、馬鹿馬鹿しい。湿っぽい感情は性に合わない。疲れるだけだ)

「まあ、役には立つから。好きに使ってくれ」
「…そうさせてもらうわ」

まあ、一発目でここまで近づけたのは寧ろ収穫だ。端から信用を得られるとは思っちゃいない。
FBI捜査官の名前と、組織内での役割。それによってこの身体の『使い道』さえ理解してくれただけでも、最高の結果だろう。傭兵に必要なのはその身の信用ではなく、実力に於ける信頼の方が大きい。
報酬で動く兵士など使い捨てなのだから。
そう頭を動かしていると、奥からわざわざコーヒーのお代わりを持ってきてくれた阿笠博士がやって来た。
いいタイミングだ、話を切り上げるには絶妙と言っていい。

「おお、話は終わったのか?」
「ええ、いいタイミングです博士。ありがとうございます」
「そうかそうか。そうじゃ百合君、キミは確か元兵士だと言っておったな?」
「?ええ、そうですが」

徐にそんな事を聞いてきた阿笠博士に僅かながら戸惑いながら返答すると、「ちょっと待っておれ」とまた奥に引っ込んでいった。
今度は直ぐに戻って来た。その手に黒いインナーを持って。

「これじゃよ」
「?なんですこれ。スポーツウェアのようですが」
「儂の発明品での。これを着用すると身体のツボを刺激し、筋力を増強させる素晴らしいアイテムなのじゃ!元兵士と言えど身体が幼児化してしまっては嘗てのようにはいかんじゃろう」
「……ええ、確かに。身体が縮んでからは筋力が最大の課題でしたが…本当にこれを着ると?」

半信半疑だ。こんなスーパーアイテム、本当にあるのかと。
怪しいセールスじゃねーだろうなと半目で見ていると、哀が横から補足してくる。

「安心なさい、博士の発明品は割と本物よ。今日貴方が付けられた発信機と盗聴器、博士のお手製だもの」
「へえ、あれを作ったんですか!あんなMI6顔負けの発明品一体誰がと思ったんですが…あれは素晴らしい。あの形状であのパフォーマンス、シナロア・カルテル潜入時にアレがあればどれだけ楽だったかと密かに息を巻きましたよ」

そ、そんな所にまで潜入を…と博士は顔をひきつらせた。あの潜入はなかなか大変だった。
これからはこの博士と積極的にコネクションを繋げていこうと決心した。

「そのインナーの方の効果が本物なら、是非譲っていただきたいのですが…」
「ああ、元からそのつもりじゃとも。兵士なら身体の使い方も分かっとるじゃろうしな」
「それ以上にその発明品をお蔵入りにしたくないんでしょ?博士」

うっ、と博士が痛い所を突かれたとばかりに顔をひきつらせた。
まあ、それが本当なら哀やコナンには到底使えないだろう。身体の使い方を理解していなければ負担があまりに大きそうだ。下手をしなくとも骨や筋肉繊維、果ては内臓にまで負担をかけかねない。

「試着してみても?」
「いいともいいとも」
「それは有り難い。じゃあ…ちょっと申し訳ありませんが、此のパーカーを少しの間預かってください」
「構わんとも…ん?なんじゃ、これは」

着ていたパーカーを博士に預ける。窓付近のカーテンを試着室代わりに身体に巻いて、インナーを着始めた。
博士は預かってくれたが、そのパーカーの外装に見合わぬ不自然な重さに首を傾げた。
徐にパーカーを裏返すと「うお!?」と驚きの声が出ている。そりゃそうか。

「あ、すみません。それ護身用です」
「護身用にコンバットナイフ二本もパーカーに仕込む奴がおるか!」
「…工藤君が貴方と学校ですれ違った際に変な金属音がしたって言ってたの、これね」
「そうなのか。随分と彼は耳がいい」

そう言っている内に試着を終えた。勿論インナーの上には服を着ているが、二人の反応からして見目はまずまずだろう。
本当にただのスポーツウェアのようだ。着心地も悪くない、サイズもいい。
問題は効果だが。

「博士、無いなら構わないのですがここにサンドバッグのような衝撃吸収材はありますか」
「あるとも、こっちじゃ」

流石研究所。案内された場所は実験場のような広い空間だった。
材料や試作品のようなものが散乱していて、そこに紛れるように衝撃吸収マットが配置されている。
良い素材のマットだ、と内心喜びながら駆け寄って、マットに予備動作無しの拳を叩き込んだ。
けたたましい空気の破裂音がする。ボクシングジムなどで良く聞こえるアレだ。今ので何キロ出ただろう。
手応えは十分、これは本物だ。

「ありがとうございました、もう十分です」
「おお、どうじゃったかな」
「本物ですね、すごい技術だ」

元の身体分の筋力はこれで出せるだろう。恐らくそれ以上も出せるが、元の身体で出せる全力以上を出せば身体に凄まじい負担がかかる。要調節といったところか。
これを貰えるのだから、なんというか。太っ腹だな。
それと、ダメ元でお願いをしてみる。

「あの、博士。これって量産…とまではいきませんが、もう2着ほど作れますか。それとその、トレーニンググローブも…」
「おお、構わんとも。最低でも一週間ほどかかるじゃろうが、それでも構わんか?」
「寧ろ一ヶ月を想定してたんですが…はあ、本当にすごいですね。それで、相場はどれほど?」
「いやいや、お代は結構じゃよ?」
「え!?いえ、払わせてください。その、これほどの便利なものを無償でもらうのはどうも職業柄性に合わないと言いますか」
「いやいや。子供からお金を巻き上げるのは流石にのう」

だ、だめだ。折れる気配がない。
しかし本当にこれはお金を払わない時が済まない、これは職業病というやつだろうか。
お金が価値を決める世界なのだ。銭ゲバではないが、やはり相応の対価は支払わなければ割に合わない。
百合が折れそうにないとわかったのか、博士は「ではこれはどうじゃ?」と提案してきた。

「儂の発明品は百合くんに無償で渡そう。その代わり、元の身体に戻った時に百合くんは使ったワシの発明品を他者にアピールする、というのはどうじゃ」
「つまり、私は広告塔になるという事ですね」
「そうじゃ。それなら儂にも利益になるし、百合くんも儂の発明品を無償で使用できる」
「……まだ割には合わないと思いますが、わかりました。のみましょう」
「これでも割に合わんか。新一が基準だからどうにも落ち着かんのう」

まさかあのボウヤ無償で使えて当然だと思っているのか?なんて事だ。
これだからあの子はボウヤ(Kid)なんだ。クソ、絶対呼び方変えてやらねえ。
元の身体に戻ったら使用したアイテム分絶対金払ってやると固く誓った。

「百合くん、もう時間も遅い。儂が家まで送ろう」
「ン?あ、本当だ。ですが送りは結構、近くにセーフハウスがありますので大丈夫ですよ」
「おお、そうなのか。じゃが一人暮らしじゃないのかね?ここには哀君もおることだし、近くに新一もおる。一人居候が増えた所で問題はないがどうじゃ?」
「ああ…それも、大丈夫ですよ。すみません」

彼女にはまだ警戒されている。彼女の研究を警戒心で邪魔するようなことはしたくない。
それに。

「周りに人の気配がすると、眠れないんです」

もうここに、此の背中を守ってくれる人はいないのだから。



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