無粋なれど貴方は・2
あの一件以来、工藤夫妻はいたく自分を構い倒すようになった。
武器の解説をする時間こそあの二人は真面目にしたものの、それ以外自分がホテルに戻ろうとするなり何かと世話を焼きたがった。
一緒に買い物に行こう。海に行こう。本を読もう。料理をしよう、と。
その行為の一切の意図が分からなかったが、雇用主がそう願うならと、言われる度に付き合った。
外に行くのに、銃は拳銃だけだと条件を付けられた。危険だといったが、あの二人は頑なにそれ以外を呑まなかった。
時には親子に間違えられることもあった。その度に「いや違う」と答えようとしたが、毎度優作と有希子は「ええ、自慢の娘です。可愛いでしょう?」と笑顔で返答していた。あれが一番訳が分からなかった。
何故嘘を言う。契約に含まれてはいないだろう、なぜわざわざリスクを冒すのかと問えば、彼らは少し悲しそうな顔をして。
『私達がそうしたい』のだ、と。その一点張りだった。
不思議な夫妻だと首を傾げた。
当時の自分は物の読み書きができなかった。だから本を読もうと言われても何も読めなかった。
本すら、イラクではなかなかお目にかかれない貴重品だ。触れる事すら躊躇った。
こんな貴重なものを触れない、と言った自分に優作は笑って、読み書きを教えてくれた。「勉強」は自分にとって大変新鮮だった。好奇心旺盛な事は、イラクでは自殺行為だ。だがあの夫妻は、『好奇心旺盛な事は素晴らしい事だ。もっと色んなことに興味を持ち、そしてたくさん勉強しなさい』と褒めてくれた。
そうして、やっと気づいたのだ。
(ああ私は、『知りたい』のか。『知らない事』を、こんなにも沢山)
戦場では知らない事は知っている者に回していた。その後自分でも知識を付けた。生きる為に。
生きる為ではなく、自分の人生を豊かにする為の知識を、あの時は知らなかったから。
勉強は、楽しかった。色んな事を彼らに教えてもらってから、毎日が楽しかった。新しい本を読むのが楽しみになった。料理をして、それが自分の身になる事が、それを食べて彼らが笑ってくれるのが楽しかった。
そして、それは「嬉しい」という名前の感情なのだと教えてもらった。
本を読むのが楽しくて楽しくて時間を忘れて読書に没頭する時もあったが、その度に『もうリリーちゃん!子供は寝る時間よ!』と叱られた。
怒鳴られる事はあれど、叱られる事を知らなかった。
ひどく、満ち足りた生活だった。あの頃の気持ちを忘れた事なんてない。
それでも、その満ち足りた感情に浸る事なんてできなかった。どうやら自分は根っからの兵士だったらしい。
工藤夫婦から、たくさんの選択肢を貰った。
ここにいていいと言ってくれた。契約ではなく、本当の親子になろうと言ってくれた。
それでも。
『いいえ。私はもうたくさんのものを貴方達から貰いました。ここで生きる選択肢も私の中にはありました。…私は、それでも銃を取ります』
あの時確かに自分は幸福を知った。勉強する事の幸福、食べる事の幸福、作る事の幸福。―――愛し合う事の幸福。
それまでの何も知らなかった自分を、不幸だとは決して思わない。
自分の生まれや育ちを、不幸だと思った事は一度もない。だってあの時は不幸というものすら知らなかった。
今ならわかる。
『銃を捨てるという選択肢もある。―――そんな選択肢を生み出してくれた、『私にとっての幸せ』である貴方達を、そしていつか再び現れる別の幸せを守る為に、私は戦いたいんです』
お世話になりました、先生。有希子さん。私は幸せでした。
そう言って、覚えたばかりの笑顔を向けた時、優作と有希子は笑って抱きしめてくれた。
いつでも「帰ってきて」いいと言ってくれた二人に、顔も知らぬ両親を見た。あの二人が自分の帰る場所になった。
あの二人を、そしてあの二人にとっての幸せであるあの幼かった赤ん坊を守る為にアメリカで修練を積み、イラクに戻った。まあ、また直ぐに仕事でアメリカに渡る羽目になったのだが。
「…そういう事だ、ボウヤ」
「……そうだったのか」
「だから、キミを守る。あの子も守る。工藤夫妻は私に色んな事を教えてくれたんだ。…だから、どんな姿になっても、何があっても私は銃を握る事を決してやめない。私には守るものが山ほどあるんだ」
キミも守りたいものがあるんだろう。
だから、私を遠慮なく使うといい。
頭をガシガシと撫でてやる。あの時の赤ん坊が随分と大きくなった。今は小さいが。
やめろよバーロー!と怒られて手を振り払われた。残念。
「お前にとってはガキかもしんねーけど!…俺は高校生だぞ」
「今は小学生じゃないか。私もだが」
「そうだけど!」
「はは、わかったよボウヤ」
「わかってねーだろ!」
(まあ、ボウヤは覚えていないだろうが)
あの時、工藤夫妻にはたくさんの事を教えてもらった。読み書き、料理、読書なんてほんの一部だってくらい。
でも、一番は。
『ほらほらリリーちゃん!この子が息子の新一よ!可愛いでしょ〜!』
『……、ちいさい…』
『ほら、新一が遊びたがっている。遊んであげてくれないか?』
『え、だ、だが』
『大丈夫大丈夫、怖くないから!ほら!』
ひどく、あたたかくて柔らかい。
小さな命だった。奇跡のようだと思った。なんてかよわい、命なんだろう。
戦場ではこの命はひどく邪魔だ。ずっと知らなかった。
こんなにか弱く儚い命が、こんなにも愛おしく感じるものなのだと。
『おねぇ、ちゃ!』
『…!………うん、………おねえちゃん、だよ。ぼうや』
可愛いボウヤ。可愛い可愛い、大切なボウヤ。
大切な人達の大切なもの。自分に命の奇跡を教えてくれた子。
『リリーちゃん。新ちゃんのこと、よろしくね』
手を握ってくる小さなボウヤに、泣きそうになりながら。
『………はい、』
はじめて、何かを守ろうと思った。
キミは、知らないだろうね。それは自分だけの秘密だ。自分だけの宝だ。
「…なんだよ。ニヤニヤしやがって」
「別に?」
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