みえないふりがじょうず
(……ああ、くそ、)
頭が痛い。
決して気持ちのいい目覚めではなく、不快感に耐えかねての目覚めだった。
酷く身体がだるい、全身が火照っている。
(昨日のバスジャック事件が引き金だな…)
病院で治療を受け、検査入院を勧められたのを強引に断ってセーフハウスに戻った。
元より体調が宜しくなかった所で昨日のバスジャック事件だ。
その怪我が原因で熱が出ているらしい。学校がないのが幸いと言ったところか。
睡眠薬で無理に身体を休ませたのが少しでもマシな方に働いてくれただろうか。
脳みそが鐘にでもなったのかと思う程頭の中が響く。気だるさを無視して体温計を取り、体温を測ると38.9度と出た。眩暈がした。
(……これは暫くは下がらんな)
家から出る事も叶わなさそうだ。
明日の学校も無理かもしれない。37度台なら学校に行こうと思いつつ、水を飲もうとベッドから降りた。
「う゛ッ」
ゴン、と全身が硬いフローリングに叩きつけられた。
熱の所為で足元が覚束ずそのままベッドから転がり落ちたらしい。傷が開いたのか、じくじくと痛む足を押さえた。
なんて情けないんだろう、この身体は。
歯を食いしばって足の痛みに耐えていると、ベッドに置いてある携帯が鳴った。
床から手を伸ばして携帯をとると、相手はマルコだった。
『お、Bon soir!そっちは朝だろう?』
「……ああ、そっちはまだ夜か」
『あ!?お前酷い声だぞ』
「…………大声を出すな、響く……」
マルコの言う通り、最悪の声だ。
どうも彼はフランスに一時帰国しているらしい。フランスは現在夜中の3時ごろだろう。
『熱あるのか?何度だ』
「…39度近くある。昨日少し大きな負傷をしたから、そのせいだろう」
『検査入院…は、しねえよなあ。お前は』
「良くお分かりで」
人の密集した気配。薬品の臭いで鼻が利かない。病院は百合にとって安堵できる場所ではなかった。
嘗てならもう少し余裕があったのに、今はこの姿の所為で精神的な余裕もない。
「…で、何の用だ。何か動きでも?」
『…ああ、それなんだがな。いい知らせと悪い知らせ、どっちがいい』
「『いい知らせ』なんてあるのか?お前の情報からそんなもの受け取ったこと一度もないぞ」
『バレたか』
「…で、その悪い知らせと悪い知らせ、さっさと聞かせろ」
気合で起き上がりベッドに腰掛ける。
無理矢理頭を仕事時に切り替え、一句一句逃がさぬように集中する。
マルコの溜息が向こうから聞こえた。
『一つ目だ。組織の幹部が日本に紛れ込んでいる。ビュロウがそれを追ってお前の付近まで来ているらしい』
「…………二つ目は」
『二つ目は、前述と関係性があるのかは不明だが…組織が動きを見せている。お前を殺った『ジン』も腰を上げているらしい。…それにしても、割と冷静だなお前』
「なんせ昨日両方に鉢合わせしたからな」
『はあ!?』
「うるさい」
マルコの良く響く声が脳みそを鐘のように鳴らす。
こいつ、ボリューム下げろよ。夜中だろうそっちは。
『さっき言ってた怪我ってのはその関係か?』
「…昨日運悪く乗っていたバスがバスジャックに遭ってな。その乗っていたバスの中にジョディと少なくとももう一人のFBI、そして組織のメンバーが同乗してたんだ。お陰で酷い目に遭った」
『何だその最悪な状況…』
「それに、最悪な事にジョディに顔を見られた。…何とかその直後私は怪我が原因で病院に担ぎ込まれたんだけどな。同乗していた組織の幹部は大方目安がついているのは不幸中の幸いだ」
『幹部に顔は?』
「見られたかもしれない。だが私の予想が正しければ、ソイツには既に私の顔は割れている。問題ない」
『組織内部にも協力者がいるって?』
「そういうことだ。お前が思っているほどまずい状況というわけでもない」
『そうっぽいな。それよりもお前の体調の方がやばそうだしな』
全くだ。喉も痛いし頭も痛い、身体はだるい、寒い。
身体はやはり子供なのだ。こんなに子供の身体が脆いものだとは知らなかった。
本当に7歳だった時代でもこんなに弱くはなかった気がする。弱い者は死ぬ世界だったのだ、ずっと緊張状態で、風邪なんて引いている暇もなかった。
「…子供の身体って、脆いんだな」
『だから大人ってのは本来子供を守るモンなんだよ』
「……ああ、今、やっとその事を理解した」
『そうだぜ?だからお前だって……』
「ああ。…あの子供達を、守ってあげなきゃな。ボウヤが必死になるのも分かったよ。…私は、大人なんだから…あの子達を……」
『……、』
(そうじゃ、ないだろ)
今の状況で、お前を大人だと思える人間がどこにいる。
どんなに強くても、今のお前は『子供』で、間違いなく守られなければならない側の存在だ。
守られた事はあれど、庇護された事がない。無償の守りを知らない。知らないまま大人になってしまった。
今も尚そんな姿になっても、自分は大人なのだからと、丈に見合わぬ無理をして。
背伸びをしている自覚も、ない。
それでも、状況が彼女の安息を許さない。
「……マルコ?どうした」
『…いや。まあ、貴重な休息だ。いい機会だ、ゆっくり休んどけ』
「?ああ…こんな体調じゃ外に出ても何もできんからな」
『そうだろ。今のお前なら俺でも勝てそうだ』
「それは困る」
少なくとも、あの生意気に戻ってもらわなければ困る。
なあ早くこいつを見つけてやってくれビュロウ。逸る気持ちを抑えてマルコは笑う。
『んで、さっさと身体も戻ってあの良〜い形と大きさの乳に戻ってくれ』
「…アレに戻るなら今の方がいいな」
『何でだ!?お前は素材がいいんだ、隣に置いとくだけで男として箔がつくんだぞ』
「言っておくが、胸が大きいと得する事なんざ情報源が自分から寄ってくる事くらいだ。それも男限定で。女相手には効かんし、動く時も邪魔な上に私の身体に合ったサイズの服が胸周りだけきついんだ。肩も凝る。デメリットの方が多いくらいだ」
『勿体ねーなあ。あの抜群の肢体をハニトラにしか使わねーってのも。使い方は分かってんのに当の本人が価値を分かってねーって。それで自分のスタイルに自信アリアリなのもどうなんだよ…』
「使えるものは使って損はない。それに、自分に自信のない人間が秀の相棒を務められるか」
少しでも、対等でいたかったんだよ。私は。
あの時こそ背伸びをしていた気がする。彼の隣に相応しい人間であろうとした。
別に自分を磨いたのも、強く在ろうとしたのも、彼が少しでも背中を預けてくれる要素を増やそうとしただけだ。
心底惚れていたのだ。あの男の強さに。だからあの男に追いつこうとした。
それだけが、リリーの全てだった。
『ほんと。お前ほど一途な女見た事ねーよ』
「うんざりするだろ」
『いーや。本当にいい女だ、お前は。あのビュロウが羨ましいね』
「重ねて言っておくがお前が思ってるような関係じゃないぞ」
『いやいや。お前はそう思ってるかもしれないが、男ってのはお前が思ってるほどドライな生き物じゃないさ』
「……?少なくともお前ほど単純じゃないだろ」
『はは、この野郎。男ってのはどんなクールガイでも割と単純だぜ?お前はあのビュロウに夢見すぎだ』
「ティーンエイジャーじゃあるまいし…」
『良くも悪くもお前は男を知らなさすぎだぜリリー。だからVierge(処女)だって言われるんだ』
「残念だったな、とうに散ったよ!」
最後の発言にかちんときて通話をぶち切った。そもそも国際電話でいつまで長電話するつもりだ。
どれだけデリカシーがないのか、あのフランス人は。あれでモテるのだからアイツに言い寄る女の気が知れない。
熱が上がりそうだ。軋む身体を叱咤してキッチンに向かい、水を持ってベッド脇の小さな棚に置いた。
冷蔵庫にはまだ食材もある。果物もヨーグルトもあるし、暫くは困らない。
そうと決まれば、さっさと寝よう。眠くなってくる作用のある風邪薬を飲み、毛布を被った。
(…寒い)
昔なら冷たい銃身を握り締めていた方が安心したのに。
平和ボケも大概にしたいものだと、枕下のデザートイーグルに枕越しに頬を摺り寄せた。
「ったく、そういうとこが生娘なんだっつーの」
通話の切れた携帯を仕舞い、所変わってフランスにいるマルコは座っている革張りの椅子の背もたれに体重をかけた。
現在あの生意気娘はその「ボウヤ」とやらのボディガードをしているのだろう。
一体どんなキッドなのかは知らないが、彼女があれ程までに守ろうとしているのだ。余程の鍵なのだろう。
どれだけ窮屈な思いをしているのだろうと心配こそしたが、多少肩の力を抜ける存在はいるようで安心した。
やれやれ、と溜息をついた直後、ポケットに入れたばかりの携帯が震えた。
何だこんな時間にと確認する。非通知だ。
ブチ切ってやりたいところだが、職業柄公衆電話からの仕事報告もある為に、こういう通話には出なければならない。もう一度深いため息をついて、繋げた。
「Bon soir.どちらだい?」
『俺だ。いつも世話になっている、マルコ』
「……ビュロウか?」
そのあまりに馴染みのある声に声が裏返りかけた。
先程まで百合との間で話していた話題の男だった。
――――赤井秀一。何故このタイミングで?
「アンタから直接かかってくるとは珍しいな。何かあったのか」
『ああ、少しばかりお前に聞きたい事がある』
「それ、電話じゃねーと駄目な事か?情報なら機密メールでも…」
『いいや。それではお前に些か有利が過ぎるだろう。俺はお前の声から直接情報を知りたい。何か問題が?』
「まるで尋問するみたいな口振りだぜ?一体何のことかは知らないが、俺は何もしちゃいねーよ」
『本当に、『何』の事かわからないか?情報屋』
「…………アンタ、もっと余裕のある男だと思ってたぜ。bel homme(色男)」
『男は皆短気で単純だ、そうだろう。さて、マルコ。……俺の相棒(バディ)について、少し話そうじゃないか』
(やっと追いつきやがったか、ビュロウ)
思っていたより早かったが、赤井はマルコを追い詰めた。
だが、追い詰められたマルコの口には笑みが浮かんでいる。耳に残る弱り切ったあの娘の声を思うと、笑みを浮かべずにはいられないのだ。
『……何だ、楽しそうだな。マルコ』
「そう見えるかい。いや何、余裕のないアンタ程面白いものはないだろう。それが女絡みなら猶更だ」
『俺の人生を預けたいと思った女だからな。必死にもなる』
「は、そうかい」
ほら、言ったろ。男ってのはお前が思ってるほどドライなモンじゃないってよ。
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