星が消えた夜



『死体はそのままがいい。そう在るべきなんだろう、私の本職では。隠してもらえるだけ儲けものだ』

ふと徐に、仕事で死体の調査をしていた際に漏らした相棒の言葉に、もう憶えてはいないが愛想のない言葉を返した気がする。
同職としてはやや甘さが残るが、兵士としてならばこの相棒以上に頼りになる存在を知らなかった。
そんな、無機質な信頼こそ全幅に寄せていたが。それ以上にあまりに生々しすぎるものとて抱いていた。
己の「信頼」が、並の捜査官にとっては首に巻き付く真綿のような物であることは重々承知していた。どんな話を、していただろうか。だが彼女はいつか、こう言った。

『秀のバカ。貴方の隣で戦える、貴方の背中を守れる、貴方に頼られる。これ以上の誇りなんて私には無いさ。見くびるな』

あのアメシストに穿たれるのは存外に心地がよかった。
総てを見通すような鋭さをしながら、直ぐに「仕方がない、見なかったことにしてやる」とでも言いたげに緩む優しさが。
その優しさのまま、「ああでも、私にせっつかれないと仮眠も食事もサボるのは寧ろ心配だ。ただでさえ不健康そうな顔なのに」とボヤいていた。
自分が他者より行動の幅があるのも、それに並の人間がついてこれないことも知っている。「天才」とは得てして孤独なのだ。
だが彼女は容易くそれを埋めて来た。赤井は頭が非常に切れる、頭脳戦では赤井には敵わない。ならば赤井が一点に集中できるように周りの障害全てから赤井を守るのが彼女だった。
赤井とて截拳道をマスターしている。大抵の相手は赤井とていなせるものの、それが本気の殺し合いとなれば戦闘のプロである彼女には劣った。赤井が決して埋められない穴を埋めてくれるのが彼女だった。
背中は任せるから貴方の背中は任せてほしいと言って、それを体現して見せた彼女が、唯一だった。
思い出せば思い出す程、記憶の中の彼女は、笑ってしまいそうなほどに鮮明で。

「―――――よく聞いて、シュウ。……リリーが、死んだわ」

目の前で、相棒の殉職を伝えて見せた同僚、ジョディはあまりに酷い顔をしていた。
仕方もない。彼女は、リリーを特に可愛がっていた。大切にしていた。危険地帯で誰よりも先に矢面に立つ年下の後輩を。休日はよく服を買いに行こうとリリーを引っ張り出して。
それを突如喪って酷い顔をしながらもそれでも崩れ落ちないのは、この仕事にはこういった件は「良くある」からだ。

リリー・フォーサイスが死んだ。死因は脳天を一発で撃ち抜かれた事による即死。
遺体はかなり損傷していて指紋さえわからなかった。ただ、その死体が尚強く握り締めていたボロボロの拳銃に焼き付いた指紋から、リリーだと断定された。
死亡推定時刻は一昨日の夜。赤井はその時間帯に彼女が何をしていたかを知っていた。
――――組織の仕業である。恐らくNOCだと気付かれたのだ。指示したのは、確実にあの銀髪の男だ。缶コーヒーを握る手に知らず力がこもる。
酷く、心が空虚だった。それを塗り潰すように、銀髪の男―――ジンへの憎しみが胸を焼いていく。あの男は赤井の大切だったものを、次々と奪っていった。
頭の内に引っかかる何かさえ、あの顔を思い出すたびに吹き上がる激情が潰してしまう。
一言も発さない赤井に、ジョディは静かに言った。

「…シュウ、この後緊急の会議があるわ。遅れずに来るのよ」
「ああ」
「………でも、その前に。…頭を冷やしておいて。そんな顔で行ったらすれ違った同僚達が戸惑うわ」

ゆるりと、ジョディと目を合わせた。
自分も、酷い顔をしていながらそれでも赤井を彼女は案じている。
ジョディの目に映った自分の顔。

「今のあなた、まるで怪物のような目をしているもの」

そこには緑の目をした化け物が映っていた。
だが、その目をどうしたら改められるのかもわからない。赤井にできる事はただ考える事だけだった。
資料を、とただ短く言うと、ジョディは資料を渡してきた。それに隅まで残さず素早く目を通す。焼死体の写真が目を引いた。遺留品は拳銃、破壊されたスマートフォン。復元された唯一のデータは死亡推定時刻の数分前に保存されたらしい、厳重なロックの先に仕舞われていたメモに記されていた『5月1日』という文字だけ。
激情に正気を灼かれても尚、赤井の頭脳は引っ掛かりを無視できない。

「……スナイパーが身を隠すような場所もない。野性の獣並みに気配に過敏なあいつが、ロクに姿も隠せないスナイパーの存在に気付かないとは思えない」
「でも現場は当時灯りなんて一切なかったわ」
「あいつは端から眼に頼るような女じゃない。元々眼より耳や鼻の方を信用する女だ、人の気配の一切ない場所で自分以外の存在を感知する事なんてあいつからしたら造作もない」

なんせ、いつかの任務にて狙撃地点でスコープを覗く赤井を狙おうとしていたスナイパーを即座に狙撃してみせた女だ。
南米を始めとしたスラムでの住宅街戦闘に手慣れているのだから、コンテナ群での戦闘などそれこそ目を瞑っていても彼女は敵を殲滅できるだろう。そんな彼女がほぼ無抵抗のままただ大人しく、気配も隠せていないスナイパーに後れを取るなどとはとても思えない。

「そもそも死因が脳幹をブチ抜いた事による「即死」なら、なぜ遺体をここまで損傷させる必要があった」

死体が発見された理由は、コンテナ廃棄場で火災があったからだ。
火災原因は放火と断定。ジンは理由もなくこんな事をするような男ではない。だが遺体を『誰かも判別できない程に損傷させる必要』があったのだとしたら、話は別だ。
誂えたような証拠。不審な死。

『秀とバディを組む事ほど危険な任務なんてないさ。貴方の背中を守るなんて適任、私くらいだ。私なら貴方を、貴方達を守ってやれる。守る為に生き抜いてやれる。諦めて、背中を預ける事を覚えろ。秀』

FBIは市民を守る為、あらゆるテロ行為の矢面に立つ。守る側の人間を守る酔狂な人間などいない。
だからこそ彼女は守ってみせると豪語してみせた。
自分は盾にはなれないが、彼らが銃弾を放つ前に彼らを無力化させることはできる。だから安心して、背中を任せてほしいと。ジョディより小柄な身体があまりに頼もしく映っていた。

(本当に、お前は死んだのか?リリー)

頭の隅に居座った違和感は肥大化していく。
シャツの中に仕舞われたチェーンに通されたリングがチリ、と擦れる。
あまりこういったものを身に着ける事は捜査員としてはよろしくない。それでも、彼女がこの背中を守っている事を、いつもこのリングが確かめさせてくれていた。
別に何ともない、その辺に売っているような安物の銀の指輪。男性が好むような造形も女性が好むような愛らしい装飾もない無機質な、愛想のない指輪が赤井とリリーの関係の象徴だった。
捜査資料にリングの記述はない。

(リリー、)

死んだとは思えない。あの女がそう易々とくたばるタマじゃない事は赤井が誰よりも知っている。
だが、今彼女はここにいない。彼女は『死んだ』からだ。
ひどい、虚しさだった。火をつけた紙煙草は、味がしなかった。


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