意識がブツリと切れた感覚はあった。
強制ログアウトをした様子はない。俺の意識はゆっくりと再び浮上した。俺の身体は何かに浮かんで揺られていた。
眼の存在を確認して、それを開く。視界を確認する。LINKVRAINSの曇天ではない、良く澄んだ青空が見えた。

(……青いな……久しぶりに、見た、気がする………)

デンシティはいつだってよく晴れていた。
それなのに、どうして、久しぶりだなんて思うんだろう。

(……ああ、そうか…俺、いつも、足元ばっか、見てて……空なんて、碌に…)

足を失って、それでも俺は這い続けた。
『あの日』から、俺は、這いあがる事を諦めた。もう二度と己の足で地面を踏む事は叶わないと知った。
いつか「皆と同じ」目線で空を見るのだと希望を抱いていたのも、どれくらい前だったかも覚えていない。
完全に心を折られたんだ。それから、空を見上げる事も、なくなったんだ。
俺の時間はそこからずっと止まったままだったのかもしれない。
遊作はずっと前を向いて生きて来たのに。俺は、遊作を守るなんて言っておきながら同じ目線に立てもしない。
守られてばかりだ。

《じゃあそのまま頽れて、遊作が膝をつくまで背中に庇われ続けるか?》

声が聞こえる。
―――いや、違う。俺の口が、勝手に動いて言葉を紡いでいる。
―――いや、違う。俺の心底にある問いが、俺の口を継いで俺に投げかけられている。他の誰でもない俺自身の言葉で。
俺の中にいる『誰か』じゃあない。

「……嫌だ」
《そうだ。だってLINKVRAINSの『俺』には、立派な足がある》
「俺だって、遊作を守れる。遊作を守らなきゃ、いけない」
《そうだ。だって遊作まで失ってしまったら、今度こそ『俺』には何も無くなってしまう》
「…守られてばかりじゃ、駄目だ」
《そうだ。だって人間は、戦いの準備と防止を同時には行えない》

いつか遊作は俺を守る為に自分のしたい事も十全にできないまま、膝をつく。
それでいいのか。
分かり切った答えだ。分かっているからこそ『俺』が問いかけている。
いつまで経っても煮え切らないまま尻込みして一線を越えられない、臆病な俺を。

《だがそれは俺だって同じだよ。守りたいなら近づけるな。所詮俺も遊作も守る事にも守られる事にも向いてないんだ》
「……………じゃあ、どうしろって」
《自分に聞くなよ。どうして『俺』がいるのか、俺は分かってる筈だぜ》

脳裏に蘇ったのは、ハノイの騎士と戦った時の記憶だった。
負けるのが心底怖かった。負けた瞬間あの白い部屋の中みたいに、電気ショックが来る気がして。
瞬く間にトラウマがフラッシュバックした。どんどん足が動かなくなっていく恐怖を思い出したから。

《それだけか?》
「……え?」
《あの時の俺は、本当にただ負けるのが怖かっただけだったのか?》

『俺』がいる理由。記憶の中の俺は、相手を壊す事を楽しんでいた。
愉しくて、嬉しくて、仕方がなくて。同時に相手が自身も敗北するリスクを抱えて自分を奪いに来たという事実に、―――歓喜、していたんだ。
奪う歓びと奪われる悦びに歓喜して、あの時の俺は、遊作を守らなければという気持ちを、失っていた。

《それが『俺』で、俺の本性だ。もうわかってるだろ?それが俺の復讐の形だ》
「……、嘘、だ」
《自分が正常な人間だって思ってるのか?馬鹿言うなよ、理不尽に全部奪われて正常な人間でいられるほど俺は聖人君子じゃないだろ》

―――――思ったはずだ。
なんで自分がこんな目に遭わなければならなかった?
何も悪い事をしていない。それなのにどうして自分がこんな狭い所に閉じ込められて、ただ痛みと苦痛が伴うだけのデュエルをしなければならなかった?
どうして自分が記憶を失わなければいけなかった?夢を、足を奪われなければならなかった?
もう失ってしまったものは二度と返らない。どれだけ恨んで憎んだって叶わない。だからこそ俺は失ったものを呑み込んだ。なのに、あいつらはまた、性懲りもなく俺からまた何かを奪おうとしている。

「あいつらはまた俺をあの部屋へ閉じ込めようとしている、奪おうとしている」
《遊作を傷つけて、関係のない人も巻き込んで、アイも奪おうとしている。奪われない為にはどうすればいい?じゃあ俺だって、アイツらから奪い尽すしかないじゃあないか》

奪われたくなければ奪え。悪を倒したくば悪にでもなれ。
命乞いをしていたあのハノイの騎士を吹っ飛ばす瞬間の恍惚とした気持ちを思い出せ。―――お前達はあの時こんな気持ちだったのか、と。

《狂っている?上等だ。その狂人を生み出したのは一体誰なのか?だって、狂わなければ頭がおかしくなりそうだったんだ》

勝って奪って負けて奪われる。10年前そんな世界に前触れなく放り込まれて理不尽に全部奪われて、もう何かを奪わなければ正気でいられない!
何も無くなってぽっかり空いた隙間を憎しみで埋めなければ、その憎しみの矛先をどこかに向けなければもう何処にも行けない!
この身体も命も全部擲って、アイツらを呪い尽さなければ気が済まない。そうしないと宙ぶらりんのままで、もう何処に行けばいいのかもわからない。
こんな感情苦しいに決まってる。痛いに決まってる。こんな気持ち不毛過ぎる。

《「だから、俺に奪われたくなければ、今度こそ完膚なきまでに俺から全部、全部奪ってくれ」》

全部打ち捨てて奪い取ってくれ。
こんな不毛な憎しみも狂気も感情も、こんな宙ぶらりんで投げ捨てないで、全部破壊してくれ。
そうじゃなければ俺は、今度こそ神をも呪ってしまう。

《アイツらをブッ壊せるならアイツらにブッ壊されたって良い。今日死んだって良い。始めたのは、アイツらだ》

―――終わらせるのもアイツらだ。

《だから『俺』を否定してくれるなよ。『俺』は俺なんだ。俺の中に潜む『何か』じゃあない》

口が勝手に動いている、なんてもう思わない。これは俺の意志で、言い聞かせるように話している。
全部間違っていない。すべて正しかった。
あの時の狂気も悦びも全部、俺の中にいる『何か』じゃなくて全部俺自身なんだ。ああ、受け入れてしまった。俺は狂ってるんだ。10年前から、ずっと。

《何も間違ってない。俺の10年間の苦しみは本物だ。―――俺の復讐はちゃんと正しい。だから俺はハノイを全部ブッ壊して、…『アイツ』を、助けるんだ》

『アイツ』。
10年前、俺が白い部屋に囚われている最中声をかけ続けてくれた誰かだった。
痛くて苦しくて狂いそうだった(もうその時には狂っていたのかもしれないけれど)俺を繋ぎ止めてくれたあの声は、俺と遊作が助け出された時には、もう何処にもいなかった。
まだハノイに囚われているのかもしれない。あの時の地獄をまだ彼は味わっているのかもしれない。
そう考えるだけで何度も狂いそうだった。
彼がまだ囚われているならば全部破壊して彼を助け出す。もしそうでないのだとしても、一目でいい。
会って礼を言いたい。

その為なら、きっと俺はどこまでだって行ける。

《――――ああ。『檻』が開く》
「檻?」
《もうすぐ俺は目を醒ます。遊作が戦っている》

そう云うなり、青空に罅が入り始めた。
罅が入り、小さく砕け始める。青空の破片が降り注ぐ中、空の向こうから何者かの咆哮が聞こえた。
遊作がスキルでデータストームから連れ出した、あの鳴き声だ。
―――竜の声。お前が遊作と一緒に戦っていてくれたのか。

《竜が俺を呼んでいる。ゴーストガールと草薙さんもだ》
「ああ…そういえば、俺、急に意識が切れたんだっけか…》
《…アバターは修復しておいてやる。ゴーストガールの回復プログラムが阻害されていたのは半分は『俺』の所為だからな》

意識が沈んでいく。
空が完全に砕けて落ちる。――アバターも修復できるなんて、本当に『俺』は一体何なんだろうな。
竜の声がする。それと一緒に、俺のデッキのモンスター達の声だ。変だな、カードの声が聞こえるなんて。
心配かけたみたいだ。

今、行くよ。




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