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死柄木に向けられたそれに、誰かが息を呑む音がした。
思惑も何もない、ぞっとするほどに無邪気なそれがあまりにも透明で。
死柄木は涙一つ零してはいない。
熱に浮かされているはずの彼女の目は、それでも一切揺らがないまま。
「ずっと、いたかった、の」
「……、零仔、」
それは、紛れもなく死柄木を案じるものだった。
彼女が死柄木をちゃんと認識できているのかといえば否だろう。ただ彼女は感じるままに目の前に映った男から感じた痛みを口にしたのだ。
自分もかつてそれを知っていたから。
「―――痛かった、ね」
痛い。痛い。
ああ、そうだ。自分はずっと痛かったのだ。
ただそれを見てみぬ振りし、脇目も振らずに歩き続けて来た。それが今打ち砕かれようとして、進路も退路もなくなって。
それを一体誰が拾い上げる?
死柄木が捨てて来たものを、一々振り返るような真似を誰がするというのだと、ずっと考えない振りをしてきた。
―――この少女は、それを拾って、慈しんで見せたのだ。
《誰も…たすけてくれなかったね…辛かったね…、………志村転弧くん》
蘇るのはあの日の記憶。
全てを憎んでやろうと決めた日。全てを変えた日の事。
「…ふざけるな、……こんな……こんな……ッ、」
《「ヒーローが」「そのうちヒーローが」。皆そうやって君を見ない振りしたんだね。一体誰がこんな世の中にしてしまったんだろう?》
あの日の事を後悔はしていない。寧ろ良かったと思っている。
あの時、掛けられた言葉を胸に今の今まで生きて来た。
「こんな、あっけなく…ふざけるな……失せろ……、消えろ……」
震え始める死柄木の、その後日に徐々に込められていく圧に、爆豪やその他ヒーロー達も異変を感じ取り始める。
子供の癇癪ではない。それよりももっと、根本的な何か。
誰もの心を抉るそれは、全てに対する『怒り』そのものだった。
《君は悪くない》
そう言ってくれたあの人の言葉に全てを預けた。
後悔もなければ未練もない。
―――でも。
「『奴』は今どこにいる、死柄木!!!!」
「黙れッッ!!!!」
オールマイトの怒りと、死柄木の激昂が衝突する。
肩で息をすることさえ忘れ、吐息に怒りを逃がせぬまま、心臓が脈打つままに怒りが全身を駆け巡っていく。
腕の中の少女をきつく抱いた。庇護するつもりはない、だがそれでも意識をせぬままに死柄木は零仔に――寄りかかった。
ああ、そうだ。今、思った。思ったとも。
ヒーローは嫌いだ。正義も平和も嫌いだ。
でも、あの時。正義も平和も捨てきれぬままそれらに轢き潰されて絶望し切っていたあの時、もし。
たった今腕の中で、確かに『あの時の救われなかった少年』を慈しんだ少女に、出逢えていたら。
きっとその少年は、その言葉だけで―――それだけで、よかった。
「私が来た」だなんて、そんな刹那の救いは必要ない。
その刹那が届かなかった。平和の象徴の光は影に差す事はなかった。
あの時の無力な少年へ手を差し出したのは、そんなちっぽけな刹那じゃない。
《もう大丈夫》
「お前が!!嫌いだ!!!」
あの時。刹那に手を差し伸べられる事など終ぞなかった少年に手を差し伸べたのは、
《――――僕がいる》
ただ、無条件に受け入れてくれた。それは「死柄木弔」にとっての掛け替えのない『永遠』だった。
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