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その時だった。
心底極まる、ありったけの憎悪を叫んだ死柄木の周囲の何もない空間に、黒い液体と共に突如脳無が現れた。
死柄木も突如現れた脳無に思わず背後を振り返った。
何もない所から何の前触れもなく次々と現れる脳無に、静まり返っていたアジト内が一気に戦闘の空気へと切り替わる。
「脳無!?何もないとこから…!あの黒い液体はなんだ!?」
「エッジショット!黒霧は―ー―」
「気絶している!こいつの仕業ではないぞ!」
シンリンカムイに拘束されたままの黒霧は未だに気を失っている。
他の面子もこんな芸当ができるような面々ではないはずだ。
黒い液体はどんどん空間を蝕み、その穴から脳無を流し込んでいく。
ヒーロー達が徐々に増えていく脳無に気を取られていれば、その黒い液体が突如爆豪の全身から溢れ、爆豪を飲み込み始めた。
爆豪だけではない。死柄木と、その腕の中の零仔も突如現れた黒い液体に飲まれていく。
「爆豪少年!!栂野少女!!!」
それを皮切りにトガや荼毘などをはじめとした他のシンリンカムイに拘束されている敵連合の面々も、黒い液体に飲み込まれていく。
「マズイ全員持ってかれるぞ!!」
「おんのれ、私も連れて行け!!!」
オールマイトが黒い液体に半分持っていかれかけている死柄木と零仔に突っ込み、手を伸ばすも、その手は液体だけに触れて空を切った。
他の面々も液体に飲まれ、その場から姿を消した。
「すみません皆様ァ!!!」
「お前の手落ちじゃない!俺達も干渉できなかった!黒霧の「空間に道を開く」ワープじゃなく「対象のみを転送する」系と見た!」
血相を変えるシンリンカムイにエッジショットとグラントリノが推測を述べる。
どんどん送り込まれてくる脳無で現場は溢れかえり、エンデヴァー達と警察が包囲する外にも脳無が溢れ返るという地獄がそこには広がっていた。
先程黒霧が脳無を転送できなかったのは、脳無を収納していた格納庫をベストジーニスト、Mt.レディをはじめとしたプロヒーロー達が制圧していたからだ。
だが、今こうして制圧されていたはずの脳無達がここで溢れている。
それはすなわち、ベストジーニスト達の行動が何者かによって妨害され、制圧が失敗した事を意味していた。
***
「ゲッホ!!くっせぇえ…!んっじゃこりゃあ!!」
液体に飲み込まれた爆豪は、気が付けば見知らぬ場所へと放り出されていた。
酷い匂いがする黒い液体を吐き出し、その鼻の奥にこびり付く異臭を振り払うように首を横に振った。
気持ち悪い、吐き気がする。
眩暈さえ覚えた爆豪の耳に、ぞっとするほど優し気な『毒』の声が降って来た。
「悪いね、爆豪くん」
「あ!!?」
その声の主はそこにいた。
全身を黒いスーツでかためている、身体だけを見ればただの男だ。
だが、その首から上は異形のマスクで顔を覆った形相であり、得体のしれぬ不気味さを感じさせる。
その不気味さ以上に―――その男が放つ空気。仕草。呼吸一つにおいてまで、その場を蝕む。まるで『毒』のような生き物だった。
いや、そんな事より。
爆豪が最小限に無駄が無くなるように視線を動かす。
自分が動かされたならいる筈だ。彼女が――――
果たして、いた。
数メートル先だ。毛布に包まれたままぐったりして、力なく無造作に地面に投げられている。
「ッおい!!」
爆豪の伸ばした手がやっと零仔に届いた。
奪い返されぬようにすぐさま彼女を毛布ごと抱き抱えた。毛布のすぐ下は素肌のようで、毛布越しにも感じる体温が、ぞっとするほどに熱い。
高い熱で意識が混濁しているのか、目は再び閉じられ息も荒い。きつく眉間に寄った皺が今尚高熱に苦しんでいる様を雄弁に語っている。
このままでは冗談ではなく、彼女は死ぬ。
高い熱が下がっても、後遺症が残ってしまうかもしれない。
(いや、残っても関係ねえのか…脳無を造り出せるこいつらの技術を見れば、コイツに後遺症が残ろうが何だろうが、傀儡にできる可能性がないとは限らねえ)
後遺症が残り、意識が戻らなくても、彼らほどの技術があれば彼女を『生ける傀儡』にする事など容易いのかもしれない。
そこまでして、彼女を引き摺りこもうとしているのか。あの悍ましい場所に。
それならいっそ、一思いにここで彼女を殺してやった方が、彼女にとって幸せなはずだ。
零仔をきつく抱いて男をねめつける爆豪の背後から、ばしゃばしゃと水音がして、水を吐き出す苦しげな声も聞こえて来た。
敵達もワープさせられてきたのだ。
「また失敗したね、弔」
男はワープさせられてきた死柄木に言葉を投げかける。
その声色に、叱咤の色は微塵も見えない。
「でも決してめげてはいけないよ。またやり直せばいい。こうして仲間も取り返した。…この子達もね…君が「大切なコマ」だと考え判断したからだ。栂野零仔も君が必要だと判断した、だから生かした。いくらでもやり直せ、その為に僕がいるんだよ」
吐き気がする程、深くて不快な、毒だ。
飲み込めば死に至る瘴気。一言一言がそれだった。
「全ては、君の為にある」
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