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ご飯も食べた。お風呂も入った。
課題もやった。

そこに至るまでの記憶はほとんどないが。


これまでのあらすじ。
突如校舎裏に呼び出されて、上級生に告白された。
以上だ。

(……夢では…?)

実感がない。
あまりに実感がない。
あの時、混乱を極めて「……暫く、考えさせてください」と相手にステイを掛けて逃げるように寮に帰って来たのは覚えている。
ご飯中に皆が話しかけて来ていた記憶はないようなあるような微妙な感覚だが、内容はほとんど覚えていない。
どうすんだこれ。明日も訓練あるんだぞ。

皆が入った後、一番最後にお風呂に入ったばかりの身体で共用スペースのソファに座る。
まだ思考が上手くまとまらないまま、ぼんやりとテレビを見ていると。

「風邪引くぞ、お前」
「う゛ぉおッ!?」

突如背後から声がして、びっくりして声を上げてしまった。
同じく風呂上がりの様子である轟だった。

「お前って偶にオヤジみたいな声出すよな」
「今日はやけに喧嘩売られる日ね…」
「まあ、それはどうでもいい。髪びしょ濡れじゃねえか、風邪引くだろ。ちゃんと拭け」
「だって長いから乾きにくくて……」

すると轟は徐に零仔の背中にかかっていたバスタオルを掴むと、それを頭に吹っ掛けて髪を拭き始めた。
突然前が見えなくなったので「!!??」と咄嗟に抵抗したが、轟の力の込め様が有無を言わさぬものだったので諦めた。
数分後、粗方タオルドライが済んだところでやっと解放される。
ハゲるかと思った。

「髪長いと、やっぱり面倒ね。そろそろ本当に切ろうかしら…」
「……切っちまうのか?それ」
「うーん。戦闘で邪魔になるかもしれないし。あんまり長さに拘ってるわけじゃないから。いっそバッサリ切っちゃおうと思って」

手でハサミのポーズを作って、首元でチョキン、のジェスチャーをする。
青白くグラデーションのかかった髪の毛先を感慨もなく弄っていると、轟は一房髪を手に取った。
それに驚いて轟を凝視してしまう。

「こんだけ長いと、勿体ねえな。切っちまうの」
「……そう、かしら」
「そうだろ。綺麗な髪だし、切っちまうのはやっぱり勿体ねえ。お前の髪、好きだからな」
「……、…ッ」

顔に熱が集まるのを感じてサッと顔を背けた。
心臓が五月蠅い。早鐘を打つそれが、顔の熱が言う事を全く聞かない。
ばくばくと心臓が暴れて、あっちに聞こえてしまうんじゃないかと思う。心臓の音は聞こえていない(と信じたい)代わりに、不自然に顔を逸らされた轟は首を傾げた。

「零仔?どうした。気分でも悪ぃか」
「ち、違う。なんでもない」
「何でもなかったら急に顔そらさねえだろ」

何でこういう時だけ鋭いんだこの男は!!普段は感動するくらいに鈍いし天然なのに!!
そしてそういう時、彼はすごく詰め寄ってくる。近い。近い近い近い。
ソファの上で攻防を続け、お互いの距離が無くなりそうなくらいに近くなる。

「……零仔、心臓の音か?これ」
「…………きになるなら、どいて………」

恥ずかしくて死にたい。緊張しているのがバレッバレだ。
こんなの、今零仔がどんな顔をしているのか見なくても分かる。
顔を背けてはいるが、髪から覗く耳は真っ赤だ。白い肌は嘘を吐けないようだ。


(……本気で、嫌がってるって様子ではねえんだけどな)

彼女は、自分が望む事を自分から進んで出来ない。引っ込み思案だと言えばまだ聞こえがいいが、要は臆病なのだ。
本気で怖がっていたり、嫌がっているつもりじゃなくても、逃げの姿勢に入る。
それは保須の病院の時からそうだった。
あれから轟は、零仔が『本気で嫌な事』と『ただ怖いというだけの事』の境目と違いを見分け、ただ怖いだけなら踏み込むようにしていた。
そうでもしないと彼女はどんどん奥へと引っ込んでしまうから。

今回は、どちらだ。


心臓が痛いくらいに跳ねている。
轟の吐息の音を意識してしまうくらいに近い距離。
轟の手が頬に触れた。風呂上がりだからだろうか、いつもより心なしかかさついたそれの温かさに肩が跳ねる。
大して力も入っていないのに、少しだけ顔を持ち上げたがっているその仕草だけで、身体が何故か言う事を聞いてしまう。
ゆっくりと彼と向き合った。

「……嫌か。俺が」
「…え?」
「俺にこういう事されんの、嫌か」

一瞬轟が何を聞いているのか、分からなかった。
でも轟の表情を見て、今朝の下駄箱でのことを思い出す。あの時の轟も、こんな顔をしていた。
こういう事、が指す意味はとても抽象的でうまく表現は出来ないけれど。少なくともこれは、―――ただの幼馴染がするようなことじゃないのは、わかる。クラスメイトだとしてもだ。

(――――どう、すれば、いいんだろう)

轟の気持ちも、自分の気持ちも分からなかった。
どうして轟は、こんなに自分に踏み込んでくるんだろう。逃げようとする零仔の手を引くのだろう。
こんな面倒な女に構ったって、時間の無駄だ。そう言ってやった方が轟の為だと分かっている。分かっている。


「………ッ、…いや、じゃ…ない……」
「……………」


分かって、いるのに。

(怖い、怖いはずなのに。…踏み込まれて、…うれしい、なんて、)

一体自分はどうしてしまったんだろう。どうしたいんだろう。
彼への恋を必死に噛み殺して息をしてきた。それでもこうして彼に触れるだけで易とも容易く凍った初恋は息を吹き返す。

お願い。もうこれ以上、浅ましい心を暴かないで。

どんなに苦しくても、切なさだけじゃ人は死ねないのだと知った。
こんなにも、死んでしまいそうなくらいに苦しいのに。


ゆっくりと、確かめるような動作で轟の腕が頭の後ろに、背中に回る。
きっと彼は、一瞬でも零仔が拒む仕草をすれば、直ぐにでも離れていくだろう。
お互いにとってそれが賢明であり、零仔にとってもその方がずっと楽だ。少なくともこの胸の痛みと切なさに心を痛めつけられずに済むから。
だが、轟に引き寄せられて腕の中に閉じ込められても、その手を振り払えずにいる。零仔がほんの少しでも拒めば終わる行為なのに、寧ろ轟に拒んでいると思われないような仕草を意識してしまう。

あたたかい。
轟の心臓の音が聞こえる。
早く脈打つそれは、少し前の零仔の心臓の鼓動と同じ速さのようにも思えた。


今の自分と轟は、何なのだろう。
幼馴染?クラスメイト?ライバル?そのどれかに当て嵌めようとしても、全てに当て嵌めようとしても、それは違うと違和感が訴えてくる。


(―――きっと私、これが、ずっと怖かったんだ)


進路も退路もないまま気持ちだけが生き急いでいる。
死にきれず殺しきれないままの恋心をずっと持て余している。


そして今も、轟の背中に手を回して、縋るように彼のシャツを弱弱しく握る事で、また零仔は自分の気持ちを殺す機会を失った。

好きだ。―――好きだ。
今にも泣きそうなくらいに。


(好きよ)


お父さんとお母さんもこんな気持ちだったのなら、それはなんて救いのないものだったのだろう。
そう考えれば酷く胸が苦しくなった。
轟の腕の力が強まっていくにつれて感じる息苦しさと、彼の肩に額を擦り付ける事で全部を誤魔化したつもりでいる。
肩口に彼の吐息を感じながら。



(好きよ)



(好きだ)



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