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轟の目が緩やかに見開かれた。
怖いから、彼の手を強く握った。自分が逃げ出さないように。
「…怖かったの。貴方はもう一人で歩いていけるから、私が貴方の未来を侵していい筈がないって。…言ってしまったら、全部終わっちゃうんじゃないかって」
何も知らないままお互いに夢に手を伸ばすだけのライバルなら。
お互いの過去の闇を知っているだけの、気の知れた幼馴染なら。
あの時が何よりも大切で大事で大好きだったから、それがまるで夢幻だったかのようにすべて終わってしまうのが怖かった。
お互いに、お互いの中の「血」が相手を不幸にするんじゃないかと怯えていた。
それ以上に、零仔はずっと自分に自信が持てなかったから。
「貴方は素敵な人だから、私なんかよりずっと素敵な人が絶対現れる。その方がいいって、わたし、」
「……病院でも言っただろ」
轟は手を握り返した。
あたたかな手だった。
凪いでいた目が、真っ直ぐに零仔を射抜いている。
「……お前がいい。お前じゃなきゃ駄目だ」
痛いくらいにきつく強い力だ。
痛いのに怖くない。轟だからだ。
恐怖の象徴だった痛みも、彼に与えられるものなら何も怖くなかった。
(彼となら、不幸になったってきっと構わないんだわ。私)
轟が軽く手を引いた。その次の瞬間に、一瞬傾いた零仔の身体を轟が抱きしめた。
あの夜と同じ体温。引き締まっていて逞しい、少し硬い轟の身体。その背中に手を回せば、彼の腕の力は強まる。
お互いの気持ちがやっとわかった。
同じことを考えていて、同じことを恐れていた。だからすれ違っていたのだ。
そして、ずっと一生この恐怖は付き纏う。でもその恐怖に苛まれるのではなくて、受け入れる事。
「……お前が好きだ」
この一言を言ってしまえば、これから互いを待っているのは地獄だ。
その地獄をずっと恐れていたけれど、今は怖くないと思える。
どんなに地獄でも、お互いがいる。大丈夫だと今なら言える。
そこでやっと理解した。
(お父さんとお母さんも、きっとそうだったんだ)
身寄りのいない母。厳格な家に育った父。
決して祝福されない関係だった。きっと全部幸せに終わる事もないだろうという事も分かっていた。
それでも互いがいればどんな不幸も大丈夫なのだと、全部わかっていて二人は愛し合っていたんだと。
決して祝福されず誰からも理解されずとも二人が紡いだ愛の証明が、きっと零仔だった。
自分は愛されなかったけれど、あの二人は確かに愛し合っていた。
その気持ちが痛い程に分かる。だって零仔はあの二人の娘なのだから。
彼の想いも受け止めよう。
轟は零仔を受け止めた。受け入れた。
ずっとお互いの気持ちがお互いを苛み続け、その度に受け入れ続けるだろう。お互いを幸せにしたいという気持ちで出来たそれは、決して間違いではないのだ。
通じ合った気持ちに身体が追い付かないのか、轟の身体はほんの少しだけ震えていた。
それは零仔も同じだった。安堵か別の何かか。
もうお互いは戻れないし戻る事もないだろう。
でもほんの少しもそれを悔いる事はなかった。
「…はは、情けねえななんか」
「…今更よ」
「それもそうか」
お互いに落ち着くまで、ずっと抱きしめ合った。
心が何度も夢じゃないかと恐怖で訴えかけてくる。その度に相手の体温が現実に引き戻してくれる。
それを何度も繰り返して身体に分からせるまで、お互いずっとこうしていた。
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