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逃げるように電車に乗り込んで、零仔はある場所に向かった。

いつもは下りない駅で降り、まるで昨日の事のように身体が導くままに足を運ぶ。
死柄木に知られた。だからだろうか。
誰かに指摘されて、改めて過去がまるで零仔に覆いかぶさるように蝕んだ。

走って、走って、息切れしながらも走り続けて着いた場所。


「――――――」


そこは、空き地だった。
家一軒分の空き地。都内では珍しい。
ノンストップで走って来たからか、心臓が痛い。それ以上に過去の警告として頭痛が酷くなり、身体の傷が神経中をのた打ち回るような痛みを教えてくる。

そうだ、ここは。

10年前まで、零仔の家だった場所だ。


ずっと避けていた。
日常で父の面影を見ないようにしていた。
だが死柄木から指摘され、まるで反動で突き動かされるようにここまで来てしまっていた。
どうしてだろう。

来たはいいがどうする事も出来ず棒のように立ち尽くす零仔の耳が、ざり、と足音を拾った。
この空き地の前で確かに止まった。顔を上げる。


その足音の主は真っ直ぐに零仔を見ていた。主を見て、その顔立ちの面影にずぐりと心臓が抉られるような痛みを覚えた。

「――――あんた、兄さんの…」
「………あ……」

女性だった。
だがその顔は、記憶の中にもうほとんど残っていない父の面影を色濃く残したものだった。
ああ、父は。こんな顔だった。思い出した。

父によく似た女性は、零仔を見るなり嫌悪感を露にした。
いや。憎悪と言っても過言ではない程に強烈な感情を隠しもしない。

「…何?10年も知らんぷり決め込んでやっと来たと思ったら、花も持たないで、何の用?それに何その恰好。どう見ても買い物帰りね。ふざけてんの?」
「……あなた、は……」
「…楡金燐。アンタの父親、楡金多々良の妹よ」

父の、妹。
燐は父によく似た顔で、仇を見るような目で睨みつけながらその手に持った花を、零仔に投げて叩きつけた。
思わず受け止める。なんだと見返すと、先程と微塵も変わらない憎悪の形相で零仔を見ていた。

「……供えなさいよ。花くらい」
「…、わたし、を……憎んでるんでしょう?燐、さんは…」
「呼ぶな」
「…、え、」
「私の名前を呼ばないで。あんたなんかに呼ばれたくない」
「…ごめん、なさい」

燐は舌打った。
当然の態度だろう。
兄の死の原因となった兄の娘が、10年もほったらかしで、やっと来て。花も持たずに着の身着のままで来たのだ。

「……憎いわ。殺してやりたいくらいにね」
「……………」
「本当によく似てるわ。兄さんを誑かしたあの阿婆擦れと。…憎たらしいくらいに」
「なっ…!」

阿婆擦れだと。
今彼女は、母を阿婆擦れと呼んだのだ。

「…訂正して、ください……」
「…は?」
「お父さんは、……お父さんは、本当にお母さんを愛してた。…私を殴る時、いつもお父さんは、お母さんの名前を呼んで泣いてた」
「だから誑かしたって言ってんのよ。義姉さんとの結婚は家族全員で反対したのに、兄さんは譲らなかった。父親も母親も兄さんを見限って、それでも私は兄さんを説得した。それでも聞かなかった。あの女に執着したから兄さんはおかしくなった!」
「お母さんの所為にしないでください!!」
「五月蠅い!!!!」

頬に熱を感じた。
あまりに突然の事で体勢を崩す。ぶたれたのだと気付いた。
燐は興奮して肩で息をしている。怒りと激情で目が揺れていた。
あの目だ。零仔越しに、零仔の母を視て、憎んでいる。遥か先を憎む目だ。
寒気がした。

「義姉さんが誑かしたから兄さんがおかしくなった!!それだけで済んだならまだよかった!!アンタが…ッ」
「ぅっ…!」

胸倉を掴まれた。
怒りに我を忘れている。振り解こうとしようにも、その気迫に飲まれて手が出なかった。

「アンタさえ生まれなければ、義姉さんも兄さんも死ななかった」
「……!」
「アンタが生まれたから全部狂った。義姉さんが死んで兄さんが狂い、兄さんも死んだ。全部全部、アンタの所為だ」

ずぐり、ずぐり、とその言葉は、憎悪は、零仔の心臓を的確に抉っていく。

(分かっていたじゃない)

鳴り響く頭痛と心臓の音。
胸の傷が思い起こさせる過去の記憶。
そうだ。言われなくても分かっていた。ずっと考えないようにしていただけだ。

(私さえ生まれなければ、お父さんもお母さんも、彼女も、幸せでいられたってことくらい)

零仔がすべて崩した。
零仔がすべて壊した。
一気に現実を突きつけられて、頭の中がかき混ぜられているのかと錯覚するくらいに頭痛が酷くなる。
もう思い出すなと、脳が悲鳴を上げる。心が軋みを上げる。

燐に突き飛ばされた。
僅かにふらついただけで、転ばずにはすんだ。

「………雄英に通ってるんでしょ、アンタ。義姉さんと兄さんを殺した個性で、今度はいったい誰を殺すつもり?」
「っ…!」
「私達は警察からアンタとの接触を禁止されてる。だから、アンタがヒーローになろうが私達はアンタの過去をリークする事もしない」

警察、が。
零仔を守る為だろう。
母は零仔の所為で死に、父もまたその事実に発狂し自殺した。原因は零仔だ。
だが、警察は零仔に責任能力は当然無く、そしてまた被害者の一人として扱った。
零仔を守るために、両親の家族との面会、接触は厳禁。……それを言い渡された時の彼女たちは、一体どんな気持ちだったか。
家族を奪ったのに、警察はその仇の方を守ったのだから。

「アンタは誰からも望まれない。誰からも愛されない。望まれずして生まれた子だわ。あの家の老夫婦に拾われたのはあの夫婦の同情からよ」
「…………ッ……」
「アンタは…お前は、生まれない方がみんな幸せだった。兄さんも義姉さんも私達も、アンタを引き取ったあの夫婦も。…お前はみんなを不幸にする。皆を狂わせる。いつかお前は、クラスメイト達も不幸にするわ」

心臓が跳ねる。
先程までのショッピングモールでのことを思い出した。
死柄木の言葉を思い出して、眩暈さえ覚える。

その時だった。


「何してんだ、あんた」


背後から聞き慣れた声がした。
その声に、安堵を覚えてしまった。振り返る事は出来なかった。
それでも、その声と共に聞こえた足音が近づいてきて、その背中が燐から零仔を庇うように立ちはだかった。
その背中が誰か、もうわかる。

「……ああ、体育祭の。アンタと戦ったクラスメイトね。エンデヴァーの息子さん」
「……零仔の友達、ってわけじゃなさそうだな」
「ゾッとするようなこと言わないでくれる?人殺しの友達なんて真っ平御免よ。…血が繋がってるってだけでも吐き気がするわ」
「…人殺しだって?」

背の後ろで零仔がそのキーワードに肩を跳ねさせるのを横目で見ながら―――轟は眉を潜ませた。
轟は一連の事件を知っている。知っていると言っても近所で知れているものと差異はない。
だが、幼い頃父親に虐げられてきた零仔を誰よりも知っているからこそその呼び方だけは許せなかった。

殺気立つ轟に舌打ち、燐は踵を返す。
ここで言い争ったところで何の解決にもならない。
それに彼女は、零仔との接触を禁じられている。ここで争ってエンデヴァーの息子である轟にまで何かが及べば、立場が悪くなるのは明らかに彼女の方だ。

「……気分が悪くなったから帰るわ」
「………っ、楡金、さん」

零仔の呼び止めに、帰ろうとしていた燐の足が止まる。

「私に何を聞いても無駄よ。何も答えられないし、応える気もないわ。………精々、苦しめ。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、そうして、」

ギリリ、と歯軋りの音が聞こえる。
最後の憎悪を、彼女は放つ。


「―――――――死ね」


今度こそ燐は去って行った。
燐が見えなくなった頃、ずっと燐を睨みつけていた轟は後ろの零仔を振り返り、ぎょっとした。

「馬鹿…ッ零仔、腕…!!」
「………、……え?」

轟に腕を掴まれた。
そうしてやっと気づいた。先程燐に投げられて受け止めた花が焼け焦げ、零仔の腕を焼いていた。
気が動転し個性が暴走したのだ。
すぐさま轟が個性で零仔の腕を冷やした。痛みすら分からなかった。
今も、痛みを感じない。麻痺しているのだろうか。
その時、頬に轟の冷たい手が触れた。

「……頬も少し腫れてんな。殴られたのか」
「……………」
「……俺んち来い。まずは手当てすんぞ」
「あ、」

轟に手を引かれる。
有無を言わさない強い力を振り解く気力さえなかった。

(そうか。…私の家、だから……焦凍くんの家も、この近くだった)

そんな事を考えてしまう。
ただ今は、疲れ切ってしまっていた。


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