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轟の家に連れてこられた。
無言で玄関を開け放ち、無言で上がれ、と促されて言われるがままに上がる。
「ちょっと焦凍?帰って来たならただいまくらい…って、あれ!?零仔ちゃん、よね?久しぶり…って、その腕どうしたの!?」
「姉さん、救急箱使うぞ」
「えっ、ちょ、ちょっと…!」
出迎えに来た冬美は零仔の腕の火傷にぎょっとする。
冬美に断りを入れ、救急セットを持ってきてもらい轟の部屋に半ば強引に連れ込まれると、「腕出せ」と言われた。
言われるがままに腕を出す。
その火傷の後に眉を潜め、轟は手慣れた手つきで手当てを始めた。
「………慣れてるのね」
「…火傷が一番身近な怪我だからな。ウチは」
エンデヴァーの事だろう。
特訓で昔から火傷とは長い付き合いだったのだろう、あっという間に処置は終わった。
「…見た目の割には大した事はなかった。すぐ治るだろうし痕も残らねえだろ」
「………ごめんなさい」
「何で謝るんだ」
「……身内の事、巻き込んだ」
「気にしてねえよ。それに、身内騒動なら俺んちだって人の事言えねえだろ」
それでも、こちらの事情は深刻だ。
「…今までもあんな目に遭ってたのか?」
「ううん…今日、初めて、会ったの。……この事は、誰にも言わないで」
「なんでだ。殴られた上にあそこまで暴言吐かれてんだぞ」
「……警察に、関わるなって、言われてたらしいから。…ばれたら、あの人が…」
「………………」
俯いていると、「焦凍〜…」と、襖の向こうから冬美の声がした。
轟が軽く返事すると、遠慮がちに襖が開いた。冬美が顔を覗かせる。
「零仔ちゃん、怪我は大丈夫なの?」
「ああ、大したことなかった。数日もすれば治る」
「そう…ああそうそう、さっき警察から連絡が来たのよ」
「警察から…?」
「木椰区のショッピングモールで敵が出たって。クラスメイトの緑谷くん?が敵に遭遇したらしいの。この前雄英を襲撃した敵と同じ敵だそうよ」
「敵連合が…!?」
「雄英生徒は自宅待機。今夜は外に出ないようにって」
死柄木の事だろう。
奴に遭った事、話した事は誰にも言っていない。
「大分日も暮れて来たし…おじいさんとおばあさん、心配してるんじゃないかしら?連絡した方が…」
「あ………祖父と祖母は、今日、同級生のお葬式で…明日まで帰って、こなくて…連絡しても、返ってこないと思います」
「…家に誰もいないんじゃ、帰しても危ないわね。…今日はうちに泊まっていきなさい」
「えっ!?そんな、迷惑じゃ…」
「こんな危ない時に女の子を誰もいない家に帰せないわ。それに怪我してるもの。今日はお父さんいないし、大丈夫よ」
「でも……」
「それがいい。…そんな様子じゃ、襲われても何も出来ねえだろ、お前」
轟に指摘されるくらいには、零仔は上の空だ。
気が動転したままではまともに反応も出来ない。
確かにその通りで何も返せない零仔に、決まりね、と冬美は言った。
「ウチは無駄に空き部屋がある。着替えも姉さんのお古とかあるだろうから、それ使え」
「…ありがとう」
本当は謝りたかったが、謝れば轟が気にするだろう。
だからせめて礼を口にすれば、「別にいい」と返って来た。
彼らしい、と少しだけ、少しだけ笑った。
***
その後、食事を摂らせてもらってお風呂も入れてもらい、着替えまで用意してもらった。
その間もどこか上の空だった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、謝るのはやはりあちらも気にしてしまうので、せめて礼を言った。
タオルドライで髪を乾かしながら廊下を歩いていると、近くで襖の開く音がした。
通路の少し先に轟がいた。
「…風呂入ったのか」
「……ありがとう、何から何まで」
「だからいいって。ほら、初夏だろうが夜は冷えるんだ。風邪引く、入れ」
招かれ、轟の部屋に入る。
来た頃は気がまだ動転していて何もわからなかったが、多少落ち着いた今冷静に見渡すことができた。
無駄なものはあまり置かれていない。
箪笥とロッカー、机。あとは布団が敷かれていた。寝る準備をしていたんだろう。
促されて布団の上に座った。轟も布団に座る。
「ちょっとは落ち着いたみてえだな」
「…お陰様で。…気を遣わせたわね」
「…今日はらしくねえな。…あいつの事、そんなに気にすんな。お前の親族でも、言っていい事と悪い事があんだろ。あれは明らかにお前への悪意だ。放っておけ」
「……でも、」
「一々気にしてたら、持たねえぞ」
「…………」
それでも、燐の言っていたことは、あちら側からしたら当然の心境なのだ。
零仔に何も言い返せる資格などなかったのだ。
俯いている零仔の耳に、轟の身じろぎの音がした。
次の瞬間軽い力で腕を引かれ、バランスを崩し倒れ込んだ先は轟の腕の中だった。
「し、焦凍く」
「……」
いつになく近くて、吐息が髪にかかる。
頭の中が混乱しそうだったが、それ以上に轟の思ったよりも高い体温に、何よりも優しい腕の力に安堵した。
背中を優しく叩かれて、今、彼に守られているのだと強く思う。
(あったかい……)
不安で、怖くて、どうすればいいのかわからなかった。
ずっと雄英でぬるま湯につかって来たつけがここ返って来た。これは零仔への罰なのだ。
罰を受けて然るべきなのに。彼のあたたかさに、優しさに、縋りたくなってしまう。
泣いて縋って優しさに甘えてしまいたくなる。
でも、それではいけないのだ。
もうこれ以上、彼を巻き込む訳にはいかなかった。
彼は優しい。だからこそ、零仔が縋れば彼は間違いなく零仔に手を差し伸べる。
彼の優しさに付け込んで、零仔の呪いは彼を滅ぼすだろう。
それだけは嫌だった。
「…お前が、何も言わねえって事は。お前の中で、まだ整理ついてねえんだろ」
「………」
何も言えなかった。
それも一つの事実でもある。それ以上に彼には言えない事が山ほどある。
何も言えない代わりに、僅かに頷いた。轟はそれに対しては何も言わなかった。
ただ、わかったとでも言うように、零仔を抱き締める腕の力を強くして。
「お前は、昔から無理に聞き出そうとしても言わねえから。だから、待つ。お前が俺に話してくれるまで、待つ」
「………私、怖がりだから。……もしかしたらすごく、時間、かかっちゃうかもしれないし…」
「それでもいい。お前が言えねえのは、わかってるから…待つ」
零仔を抱き込むような体勢になる。
轟の身体は思っていたよりもずっと身体が大きくて、逞しくて、温かかった。
「死ぬまで、待てる」
優しすぎるその言葉に心の底から安堵しそうになって。
ああ。彼は今、零仔がどれだけその言葉に救われて安堵して、すべてを投げ捨てて縋りついてしまいたいと思っているのか、分からないだろう。
『こちら側に来い』
『アンタさえ生まれなければ、みんな幸せだった』
今日投げかけられた言葉が、走馬灯のように駆け巡る。
ああ。これらの記憶が、今自分を包み込む暖かな体温に全て溶けてしまえばいいのに。
いや寧ろこんな自分なんて、今ここで溶けてしまえば、どれだけ幸せか。
とろんと目尻が溶ける。
眠気が襲ってきた。気が抜けたせいだろうか。
零仔が眠くなってきたのが体温の上昇で分かったのだろう。
今の零仔を一人にするのを良しとしなかったのだろうか、轟はその態勢のまま器用に電気を消し、布団に入った。
「……ぁ、わたし……へやに、もどらないと……」
「いい。ここで寝ろ」
「でも……」
「いいから。今は、何もしねえから」
その言葉の意味がよく分からなかったが、轟の体温に引きずられるように眠気がどんどん増していく。
申し訳ないと思いながらも、身体をしっかりと抱きしめてくる存外優しいながらも外れない腕の力が、ここで寝ろと言っているようで。
「……しょう、と、くん」
「…なんだ」
「…ありがとう………」
彼の胸にすり寄って目尻の熱を誤魔化した。
彼は何も言わずに零仔を囲う腕の力を強くした。
あたたかかった。溶けてしまいそうなほど。
(ああいっそ、このまま、溶けてしまえたら)
今日の事も、過去も。自分も。
何もかもなかった事になってしまえばいいのにとさえ、思う。
(それが叶うなら、どれだけ幸せなのかしら)
それを許さないからこそ、微睡の中でだけ、それに思いを馳せる。
きっと自分は、轟を不幸にするんだろう。父のように、母のように。燐が言ったように。
だから、せめて夢の中だけは、縋ってもいいだろうか。目が覚めたら、きっといつも通りに戻って見せるから。
夢の中でだけは。
腕の中で静かな寝息を立て始めた零仔に、轟は一先ず安堵した。
今までに見た事のない程、今日の彼女は気が動転していた。
今の彼女を一人にしたら、一人でぐるぐると物事を考えそうな気がして勝手に一人追い詰められていく気がした。
彼女は、何も言わなかった。
その小さな身体で、一体どれだけの苦しみや幼い絶望を誰にも明かせず、抱え込んできたのだろう。
痛かったはずだ。怖かったはずだ。
ずっと。
それでも、無理に聞き出せば彼女のトラウマをほじくり返す事になる。
そんな事をしたら、彼女はきっと。
「……死ぬまで、待てる。本当に」
彼女を、壊すくらいなら。待ち続けるもどかしさなんて何ともない。
死ぬまで待てる。一生待てる。
悲しみや苦しみで疲れ切り、そんな彼女を甘やかしてどろどろに溶かす。それが繰り返されようとも、彼女が壊れてしまうくらいなら。
(……一生、縛るつもりなのか。俺は、零仔を)
この恐ろしい程に甘美で暴力的な感情が、彼女と自分を雁字搦めにしそうで。
甘い匂いで飢えた獲物を誘い、内側に入り込んだ獲物をどろどろにする。まるで、食虫植物だ。
こういう所で嫌でも父親の姿を視る。
あれだけ否定しても、結局自分はあの男の息子なのだと。
眠る零仔を覗き込む。
その表情は穏やかだった。良かった。夢の中でまで、苦しんでほしくはない。
そう思うのに、どこかで、もう泣いて喚いて、全部投げ捨てて縋って欲しいと思う自分がいる。
抱きしめた時に安堵したように息を吐いた零仔に抱いた気持ちは、――――例えば、『好き』というような甘酸っぱく生易しい感情では最早、無い。
今彼女を抱くこの腕が、いっそ彼女を囲う檻にでもなってしまえばいいと思わせるような感情が。
(こんな暴力的なモンが『好き』程度のぬるい感情なもんかよ)
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