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施設内を歩き回っていると、プッシーキャッツのオフィスまで来てしまった。
ここは流石に拙いかな…と踵を返そうとしたとき。
中から声が聞こえた。
「マンダレイのいとこ…洸汰の両親ね、ヒーローだったけど、殉職しちゃったんだよ」
(殉、職)
重いワードに、思わず足を止めてしまった。
これは盗み聞きしていい会話ではない。分かってはいる。
「二年前…敵から市民を守ってね。ヒーローとしてはこれ以上ない程に立派な最期だし、名誉ある死だった。でも物心ついたばかりの子供にはそんなことわからない。…親が世界のすべてだもんね」
親が世界の、すべて。
洸汰の2年前といえば、ちょうど零仔が父を亡くした時と同じくらいの歳ではないだろうか。
そうだ、普通に育って。
愛されて、育ってきたなら。おいて行かれる事がどれだけ辛い事か。
「「自分を置いて逝ってしまった」のに、世間はそれを良い事・素晴らしい事と、褒め称え続けたのさ…」
苦しくなって、逃げるようにその場を後にした。
頭痛が、した。
(愛されて、育ったなら。そうなる筈なんだ)
でも、あの時の自分は。
父から解放されて、安堵してしまっていたんだ。
***
戻った頃にはみな風呂から上がっていた。
誰もいない今なら入れるかと温泉に入ると、これまた立派な露天風呂だった。
先程聞いてしまった話を払拭するように貸し切り状態の温泉を満喫する。
だがやはり、裸ともなれば胸の傷が気になった。
零仔の白くきめ細やかな肌を真っ二つに隔てる様に、鋭い裂傷が胸から腹にかけて刻まれ、そこに触れるまでもなく凹凸が確認できる。
遠目から見てもすぐに分かるほどにはっきりと刻み込まれたそれは、女性に肌に存在するには、あまりにひどいものだ。
触れれば、そこだけ質感が違う。
肌は柔らかく沈むのに対し、傷痕は硬化しケロイド化していた。
(なんて、醜いんだろう)
思い出すのは女子たちの綺麗な身体だった。
***
風呂から上がって女子部屋に戻る。
そこでは女子たちがB組の女子も交えてお菓子と飲み物を広げて談笑していた。
「おっ栂野ー!ほかってきた!?」
「うん…えっと、これは?」
「ほらそこ座って!女子会!恋バナするぞ!!」
またこの流れである。
なんだこれ。本当に恋バナ好きだな。
しかしこれは逃げられる気配ではなさそうなので、大人しくお縄についた。
逃げれば後が怖い。これは教訓ではない、第六感である。
「一体どこまで進んだのこれは」
「一年女子、彼氏持ち誰もおらずという事実が判明したところよ」
「えっ」
それは意外だ。
1年女子は皆レベルが高いのに。
まあ、ヒーロー科は月曜から土曜までびっしりと授業が入っている。
演習に加えて当然普通科の授業も宿題も入る。時間なんていくらあっても足りない。
「マジで!?ねえ片思いでもいいから誰か好きな人いないの!?」
芦戸は身を乗り出して皆を見渡した。
ここまで来たら恋バナを何としてでもやりたいらしい。他人のふんどしならぬ他人の恋バナでキュンキュンしたいのだろう。
ここで一体だれを思い浮かべたのか麗日の顔が真っ赤に染まったのを見て芦戸と葉隠の集中砲火が麗日に向かった。
「いやっ、これはその、そういうんと違くてっ」
「そういうのってどういうの〜?」
「ほらほら、吐いちゃいなよ。……恋、してるんだろ?」
「っ……ほんまそういうんじゃ〜〜!!」
(青春してんなあ…)
横目で見遣りながらお茶を飲んだ。
夜に糖分を取ると太ってしまいそうなので、お菓子には手を付けない。
一切口を出さないまま話を聞いている内に片思いも何も出てこないのにしびれを切らしたのか、とうとう「AB組男子で彼氏にするなら誰!?」という妄想大会が始まった。
しかしこういう部分でも零仔は何も言える部分がないので、聞くだけにする。
(恋、かあ…)
以前も話題は出た事がある。
だが本当に、そう言った事は考えなかった。
話を聞いている中、上鳴はチャラい、峰田は女の敵、物間は心がアレ、飯田はクソ真面目すぎる、緑谷は全てにおいてオールマイトを優先しそう、爆豪は性格が論外。
容赦がなさ過ぎる切り捨てっぷりである。聞いていて何と清々しい事か。
これは全滅か?と予想してると、芦戸があー!!と声を上げて突如零仔を指さした。
「栂野!!轟はどう!!?」
「…は!?」
「そうだよ轟!どうなの!?」
「え、何仲いいの?」
「今のところ轟ちゃんと一番仲がいいの、零仔ちゃんだものね」
「よく二人で喋ってるよね〜何話してんの!?」
恐ろしい勢い、まるでミサイルだ。
勢いに軽くドン引きする。
「何喋るって…宿題の内容とか、演習の事とかだけど…」
「真面目か」
「なんかもっとこう、プライベートな事ないの!?なんか!!色々!!」
「そういえばこの前零仔ちゃんちで集まってやったお勉強会よりも前に轟ちゃん、零仔ちゃんちでご飯食べたって言ってたじゃない」
「は?????kwsk」
蛙吹、裏切ったな。
葉隠はそうじゃん!!!!!と飛び上がった。
「食堂でも轟からごはん一口頂戴とか言われてたし!!なんか家の食糧事情も分かってるみたいだし!そもそも職場体験先も一緒だったみたいだし!?」
「今日のバス事件…」
「バス事件?」
「零仔ちゃんがバスの中で寝ちゃって、隣の席の轟ちゃんが肩に寄りかからせてたの」
「もうこれは脈ありなのでは?」
やべえ。話が広がっていく。
そんなに一緒にいただろうかと思ったが、確かに最近学校でもよく一緒に行動する。
ここまでしっかり見られているとは思わなかった。女子怖い。
「栂野から見て轟どう!?どう!!?」
「どうって…普通にいい人よ。かなり天然だけど…優良物件なんじゃないかしら」
「ええええ…勧めちゃうのか私らに…轟カッコイイとか思わない?イケメンじゃん?」
「まあたまにさり気なくイケメンだなと思う時はあるけど…」
「たまにかい」
耳郎のツッコミが入る。
10年前も、今も。当たり前のように隣にいる。
それが自然だったから。
当たり前のように隣にいるのは、それが男女というだけでおかしいのだろうか。
「いいとこまでいるのに!轟と栂野、普通にお似合いだって!」
「それは…轟くんに申し訳ないわ」
「謙虚過ぎるよ栂野さん、もっと自信持ってええんよ?」
麗日もそう言って来るが。
それでも。
「轟くんは、優しいし…それに本当に強い人だから、きっとずっといい人ができるわ。私じゃ釣り合わないわよ」
「…零仔ちゃん、それって…」
そう困ったように笑う零仔に、蛙吹はそこで何かに気づいたような様子だった。
どうした、と蛙吹に注目が集まる。
「とっくに轟ちゃんのことが好きだから、そう思うんじゃないの?」
「………、え?」
蛙吹のその言葉が、あまりに、すとんと心に入って来た。
しん、と部屋が静まり返る。零仔の間の抜けた声だけが響いた。
「…ま、マジ…?」
「こ、これは……事案なのでは…?」
否定、するべきなのに。
そうするべきだと思うのに、否定の言葉が出ないのは。
(わたし、焦凍くんを、――――好き?)
違う。違うはずだ。
なのに、どうして否定できない?
零仔にとっての轟は、幼い時間を共に過ごした幼馴染で、今は志を同じとする仲間で、ライバルで。
今の零仔の未来は、真っ暗だ。
先なんて何も見えない。希望も、憧れもない。
だからこそ、零仔の過去を多少なりとも知っていてそれでも尚、大丈夫だと言ってくれた彼は、今の彼女の支えだった。
だからこそ、縋っては、いけなかった。
未来が明るく開けているあの少年を、縛ってはいけなかったのだ。
『アンタは周りを、不幸にする』
燐の言葉が蘇る。
(―――――――駄目よ)
「でかした梅雨ちゃん〜!」
「大丈夫だって栂野!ほら、あたしらも応援するからさ!……栂野?」
零仔の様子がどこかおかしい事に気づいたのか、盛り上がりも最高潮だった女子勢の勢いが止まる。
「栂野さん?どうかなさいましたの?」
「びっくりしすぎてフリーズしてんのか…?」
泣きそうだ。
(この恋は―――――叶っては、いけない)
初恋は叶わないなんて言うけれど。
叶ってはいけないものなんて、そんな残酷なものだとは思わなかった。
(なんで、ただの幼馴染じゃ、駄目だったの)
俯いて泣きそうな顔をしている零仔の事を、自覚が急すぎて処理が追い付いていないのだと思った女子勢は、応援の言葉を只管かけてくれるけれど。
そんな言葉はほとんど耳から耳へと抜けてしまって。
女子たちの盛り上がりなんて、頭に何も入ってこなかった。
零仔が抱いた初恋が残したものは、絶望だけだった。