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「死刑囚・ムーンフィッシュ…!あの歯は刃、アレを自在に伸ばして人体を切断してくる…偶然テレビで見てて助かったわ」
「…、対策はどうしようもねえけどな」
まったくだ。対策のしようがない。
「ぅぅうううううう、ぁあああああああ!!」
「ちィ…ッ!!」
ムーンフィッシュはこちらに歯を伸ばしてきた。
その速さと的確さに肝を冷やしながら、前方の空気を超高温に熱し歯を融かす。
だがそれでも枝分かれした歯がこちらに向かってきた。
上体を反らしそれを躱すも、さらに枝分かれしたそれが脇腹と足を掠めた。
「い゛っ…!」
「クソが!!なにしてやがる!!」
「何だってんだ、あの技術…!どこで見て…!」
視えていないはずなのにどこで。
轟が氷結で壁を張るが、それをも貫いて歯は襲って来る。
轟は人一人を背負っている、満足に動けない上にここは森だ。爆豪の爆破も轟の炎も使えない。
背後にはまだガスが溜まっている。
満足に身動きもできない。
「ッ栂野、お前はラグドールんとこに行け!!ここからまだ近い!!」
「でも轟くんと爆豪くんが…っ」
「行け!!ここよりは安全のはずだ!!それにお前は個性でガスを突破できる、急げ!!」
ムーンフィッシュの攻撃をいなしながら轟が叫ぶ。
「ッ…ラグドールのところに行ったらラグドールの個性と協力して貴方達の援護ができる。それまで耐えて」
「わかった。……無理はすんな、絶対に」
「私が言いたいわ、そんなの」
(ああ、こんな時なのに。こんなにも貴方が好きだ)
馬鹿だ。早く忘れないといけないのに。
早く、なかった事にしないといけないのに。
それでも、この想いが、今この状況を何とかしなければならないという衝動につながっている。
「絶対に生きて帰ってきて。後生よ」
抑え込んで抑え込んで、何とかそれだけを伝えると、個性を再び使用し風を起こしガスの中へ駆け出した。
背後で戦闘音がする。それでも振り返らない。
走った。ただひたすら、ラグドールを目指して。
ラグドールのいる場所は肝試しで使用した中継地点。
もうすぐそこだ、必死に走る。
走って、走って、漸く到着した。
「……え…?」
いない。
ラグドールがいなかった。
いや、ただいないだけならいい。
地面に大量の血痕があった。こんな量の血、怪我ならただでは済まない。
「…!ラグドール…ッ!!」
相手はプロだ。プロがこんなに、容易く。
何故?何故、そんな――――
「ネホヒャンッッ」
背後から、奇妙な音がした。
いや、声?
即座に走り出す。音はついて来る。
背後を振り返り音の出所を確認した。そして、それを後悔するくらいには、それは最悪だった。
「ネホヒャンッ」
「っぐ!!」
チェーンソーが振られるのを間一髪で避ける。
ムーンフィッシュでのダメージもある、上手く動けない。
最悪だ、よりにもよって、
(脳無…!!)
背中から1,2,3,4,5…数えるのもゾッとする数の腕や触手、そこにチェーンソーやドリルがついている。
何だあの悍ましい見た目は。最悪だ。
熱の壁を張って時間稼ぎをしても、奴らは理性が無ければ恐怖も痛覚もないのか、何事もないかのように突破してくる。
(どうする!?こんな奴引き連れて皆に合流なんかできない!先生達だって動き回っててコイツの相手なんかとても…!)
零仔独りで、何とかするしかない。
逃げ回っているだけではどうする事も出来ない。
(するしかない…!!)
零仔の足を伝い温度を操作する。
地面が超速で氷結し、脳無の足を伝って脳無自身が凍っていく。
氷結ではなく、その肉体そのものを冷凍した。その温度、マイナス273℃。現在に於いて最も低いとされる温度、『絶対零度』だ。
(っし、これで動けな………)
動けない、と。思っていた。
冷凍した筈の脳無の身体はミシミシと音を立てて、『再構築』されていく。
再生するのか。この頑丈さで、この脅威で、さらに再生まで。
(どうすれば、いいの)
もう、手がない。
個性ももう何発も打てない。身体の末端が痺れてきている。
寒い。もう多分、走れない。
「ネホヒャンッ」
チェーンソーの音と、ドリルの音と共に、脳無は絶望に似た声を出す。
足が動かなくて、バランスを崩して転倒した。
その隙を好機と見たらしい脳無は零仔に飛び掛かり、馬乗りになった。
「ぅぐっ…!!っ、いや、いや!!!離して!!いや…!!」
逃げられない。
チェーンソーが零仔の腕を切り裂いた。
血が飛び散り、近くの木に付着する。
その場に零仔の悲鳴が轟いた。その叫びもチェーンソーの音やドリルの音に容易く掻き消される。
「ぃいっ、あぁあああ…!!!あぐっぁああああ…ッ!!!!!」
「ネホヒャンッ」
「ぐ、ぅあぁぁぁあぁあああ!!!!」
肩をドリルが貫通した。キャパを超えた痛みに目の前がチカチカする。
誰も、来ない。誰も、来れない。
ここで死ぬのか。ここで。誰にも、何の力にも、なれないまま。
(ああ、でも――――いいか)
誰かを、不幸に、するくらいなら。
ここで、死ぬ方が、きっといい。
***
「っくそ、強ぇ…!」
氷結を張り続けて大分経つ。
ムーンフィッシュの攻撃の手は止まず、何とか爆豪と背負った円場を庇いながら戦っていた。
爆豪の爆破も使えない。炎も。
一方相手は地形と個性を上手く使っている。
相当場数を踏んでいる。
「っこのままだと…!!」
その時だった。頭の中に、マンダレイのテレパスが入る。
《A組B組総員…戦闘を許可する!!!》
「ッ来たか!!」
相澤が踏み切ったようだ。
この状況だ、恐らく周囲の音も聞けば皆も敵と遭遇している可能性が高い。
だがそれ以外に。
(零仔はどうした…!?ガスが晴れる気配がない!風が止んだ!個性を使用できないのか!?)
雨は降り始めているようだが、逆に風は止んでしまっている。
ガスの流れはここまで来ないようだが、あちらの風も機能していないように見えた。
個性を使えない程に衰弱しているのか、それとも使う暇すらない状況なのか。どちらにしろ彼女の身に危険が迫っている。
その時、再びマンダレイのテレパスが入る。
《敵の狙いの一つ判明―――!!生徒の「かっちゃん」!!もう一人、「栂野零仔さん」!!わかった!?二人とも!!二人はなるべく戦闘を避けて!!単独では動かないこと!!》
「なっ…!」
爆豪と零仔が、狙い?
何故二人を狙ってきた?いや、そうじゃない。
狙いである以上轟は爆豪を今以上に庇い続けながら戦闘を行う必要がある。
「かっちゃかっちゃうるっせんだよ頭ン中でえ…!!クソデクがなんかしたなオイ、戦えっつったり戦うなっつったりよお〜〜〜〜〜〜ああ!!?」
「爆豪は無暗に突っ込むな、狙われてんだぞ」
「それはあのロン毛も同じだろうが!!アイツ…!!」
「ッ…!!」
(くそ、なんで俺は零仔を一人で行かせた…!?最悪だ、今この状況じゃ追いかける事も…!!)
『絶対に生きて帰ってきて。後生よ』
あの時、必死にそれだけを伝えて来た。
そんなのこっちの台詞だ。
無事でいてほしい。
(頼む!無事でいろ…!!)
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