これの続き。ジャミル視点



 能天気でお人好しなところがよく似ているからだろう。型に押し込められて始まった関係の割には、二人の仲は、とても良いようだった。


 今よりずっと昔の、幼い頃。その日の朝までは、少なからず不安そうな、落ち着かない素振りをしていたというのに。彼女と顔を合わせたあと、屋敷に戻ってくるなり、ひどく興奮した面持ちで、飛びつくように話しかけてきたカリムを思い出す。要は、初めて会った時から、気の合う相手だったらしい。彼女がこの屋敷を訪れた際には、庭園の噴水を囲んで過ごしていることが多いようだった。
 端から見れば、何をしても楽しそうにしていて、問題など何もない関係に見えているというのに。随分と前に、カリムは彼女について相談をしてきたことがある。
 曰く、何を贈ったって喜んでくれるが、そうではない別の方法で彼女を喜ばせたい、と。宴やパレードでもない“何か”を見つけたいらしいが、金持ちの、ましてや異性が好むことなんて、この家なら俺の他にいくらでも適任がいるだろう。

「別の人に聞いた方が良いんじゃないか?」
「やっぱり、ジャミルに聞いておきたくってさぁ」

 いかにも困っている、という顔をしてそう言われてしまえば、気が進まないながらも答えてやるしかない。つまりは、向こうも同じくらいの金持ちだから、カネに物を言わせたものではない何かを……?
 ……ふん、そんなもの。向こうが喜んでいるなら、宝石でもドレスでも、なんだって良いじゃないか。僅かに苛立ちながらも考え始めようとした、まさにそのタイミングで、再びカリムが口を開く。

「なんていうか、例えばこう…虹?みたいな…。何かないか?」
「虹?それなら、お前の魔法でできるじゃないか」
「でもオレ、そんなむずかしそうな魔法は……」
「水が出せれば、虹は作れるぞ」

 その言葉を聞いた途端、目の前の情けない困り顔が、いつもの笑顔に一転した。虹を見せて喜ばせたい…?答えが出ているなら、やっぱり俺に聞かなくても良かっただろう。そう思いはすれど、口には出さず。代わりに、ただ闇雲に水を出せば良いわけではないことを、懇切丁寧に教えてやった。

 それから、そう時間は置かずして。いつもの場所で、ずぶ濡れになって笑い合う二人を、通り過ぎざまに見かけた。揃いも揃って暢気なものだ、といつも通りに思いながらも、何故だか、その時のななしの笑顔に、目を奪われた。

 太陽を背負った白い世界で。遠目から見ても、嬉しそうに、輝くように笑う姿が、ひどく眩しい。

 意識的に視線を引き剥がして、その場をあとにした。ななしの笑っている顔なんて、いつもと変わらないはずなのに。そんな苛立ちにも似た何かは抱きつつも、その時は、それだけだ。



 だが、彼女に関しては他にも、記憶の隅に小さく、でも、ずっしりと陣取っている出来事がある。それは、光の中の笑顔からは程遠い、彼女の抱えるもの・・の片鱗を知ってしまった時のこと。

 カリムの見舞いに訪れたはずのななしが、屋敷の廊下を、供も連れずに一人で駆けているのを見かけたのが始まりだった。その時ちらりと見えたのが、泣くのを必死でこらえているような表情で。やめておけばいいものを、初めて見たその様子が気になって、思わず後を追ってしまった。あの方向ならいつもの噴水だろう、と思いながら。
 あえて歩みは遅めて、少し時間をおいてから庭園へ。思った通りの場所に彼女は居たが、いつものように噴水の縁に腰かけるのではなく、何かから隠れるように両腕で頭を抱え、小さく蹲っていた。聞こえてくるのは、初めて耳にする咽び泣く声。
 廊下での様子を見たからには、泣いているのは想定内だったが、いざ目の当たりにすると思わず動揺して、声をかけるのを躊躇ためらった。でも、カリムにあんな事があった後だ。これ以上、面倒ごとを起こされるのは御免だ、と自分に言い聞かせ、奮い立たせる。そして、一度大きく深呼吸をしてから、3歩ほど距離を置いたところまで歩み寄り、そっと声をかけた。

「ななし?」

 しばらく待ってみても、返事はない。気付いた素振りすら、微塵もない。それほどに、我を忘れて泣いているようだった。
 苦しそうに上下する肩。呼吸音と入り混じった、嘆き、叫ぶようなおと
 目の前の状況を改めて認識した途端、緊張感が一気に襲ってきた。心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。半ば衝動的に、先ほどよりも、しっかりした声で名前を呼んだ。

「っ、ななし!」

 彼女は、誰かに呼ばれたから、というよりも、ただ聞こえた音に反応しただけ、とでもいうように。動きそのものには感情や考えなどは一切挟まず、顔を上げた。
 あぁ、そして。その時に見てしまった。知ってしまった。

 全身をすっぽりと飲み込まれてしまったかのように、深く大きな悲しみにうち濡れた泣き顔。心の底から助けを求めているような、ひどく恐れ慄いているような、悲愴な眼差し。絶え間なく、あふれて落ちる涙。
 今でも強烈に焼き付いて離れない、光の中の笑顔とは真逆の表情。

 しかし、それもほんの束の間のこと。ゆらりと僅かに瞳を揺らして、俺の存在を認識したらしい彼女は、驚くほど急速に、落ち着きを取り戻していった。言葉にならない助けを叫ぶ慟哭は鳴りを潜めて、呼吸は大きくゆっくりとしたものへと変わっていく。ななしが言葉を発するまでは、ほんの数秒足らずのことだった。

「なんだか、家のこととかも、いろいろ思い出しちゃって……」

 頬を濡らす雫を拭いながら、バツが悪そうに小さく笑う。その言葉で、あそこまで取り乱していた原因が、今回のことだけではないことは分かった。それと同時に、内臓がずっしりと重くなった気がして、喉を絞められているような息苦しささえ覚えて、何も言えなくなる。
 俺が沈黙を貫いているからか、彼女は少し迷ったように右へ左へ視線を彷徨わせていた。それからおもむろに、オアシスを満たす水を想起させる、未だ涙を湛えたまなこで、真っ直ぐに俺を見上げた。

「今のこと、誰にも言わないでくれる?……みんなを困らせたくないの」

 そう告げ終わる頃には、目と鼻こそ赤いものの、いつもの彼女の笑みが戻っていた。困らせたくないなら、一人でこんな所に居るべきじゃないだろう。その言葉は言えずに、ただ頷くことしかできなかった。
 だって、違うんだ。知らなかったわけじゃないが、“こんなこと”になるなんて。早くなった鼓動はそのままに、幾分冷静さを欠いた頭の中で、言い訳にもならない言葉を並べていた。



 滾々と湧き立つ悲哀は奥底へ沈めて、輝くように彼女は笑う。沈んだあとのそれらが消えてなくなっているのか、蓋をして隠されているのか、今でも剥き出しのままに堆積しているのかまでは、俺は知らない。いずれにせよ、悲しみに飲み込まれた、縋るような泣き顔を知ってしまった俺から見える彼女の白は、今はもう、まっさらな純白ではない。