※これのつづき
※モブ人魚でます
ナイトレイブンカレッジを卒業した私達は、珊瑚の海に戻ってきた。アズールはまだしばらく陸に残るらしいが、未だにタコの姿がそんなに嫌なのだろうか。彼女が待っていることを彼も知ってはいるはずなのに、いやに頑なで。ましてや彼女は、昔のまんまる姿だってよく見知っているのだから。まぁ、彼に会うことを口実に、彼女を陸に連れて行く、のも悪くはないのかもしれない。
「ねぇジェイド」
「なんです、フロイド」
久々の海の中、どこに行くでもなく、ただ悠々と泳いでいく。陸での生活も興味深くはあったものの、元の姿で泳ぎ回ると、やはり解放された気分になる。
「ななし、今何してんのかなぁ〜」
「さぁ、何をしてるんでしょうね」
フロイドも泳ぎを楽しんでいるようで、仰向けになったりうつ伏せになったり、くるくる回りながら進んでいく。
「髪、長くなってんのかな」
「望んで短くしない限りは、昔と同じくらいにはなっているんじゃないですか?」
「ちょっとは大きくなったのかな」
「どうでしょう。僕達が成長したので、前より小さく見えるかもしれませんよ」
「あはは〜そうかもぉ」
4年間、会うことのなかった彼女に思いを馳せるフロイドはなかなかに機嫌が良いようだ。かく言う僕自身も、いつものように作為的ではない笑みを自然と浮かべていた。
「ほら、そんな泳ぎ方だとぶつかりますよ」
「わかってるよ。あーあ、こういう時、空の方が良いって思う」
僅かに苛立ちを示したフロイドには曖昧に笑って返す。結局、空を飛ぶのはいつまで経っても慣れないままだった。相も変わらず能天気に泳ぐ人魚たちを横目に、陸での出来事にぼんやりと思いを馳せていると、記憶にある中で一番美しい桃色と、同じ色を視界の端で捉えた。
頭であれこれ考える間もなく、反射的に顔をそちらに向ける。
「ん?なんかあっ、た……、ああぁ〜〜っ!!」
つられて同じ方向を見たフロイドも気付いたようで、周囲の目もはばからずに大声をあげた。突然の大声に驚いた人魚たちの視線が集まる。その中には、長く美しい髪を揺らして、こちらを振り返った彼女も含まれていた。ふわりと円を描くように流れる髪は、ヒレがもう一つ増えたかのように見える。
「ななしじゃ〜ん!!」
「お久しぶりですね、ななし」
「えっ?フロイド?ジェイド…?」
変わらず美しく輝く瞳を、零れ落とさんばかりに見開いた彼女と目が合った。驚いていたのも束の間のこと、すぐに嬉しそうにな笑顔になって、こちらに泳いでくる。
「うそ、いつ戻ってきたの?アズールは?」
「戻ったのはつい先日ですよ」
「アズールはまだしばらく陸にいるってさぁ」
「そっかぁ」
4年ぶりに再会した彼女の髪は、先程フロイドと話した通り、昔の長さに戻っていて。残念ながら昔よりも小さく感じる、という点についても当たっていたようだ。
しかし、太陽の下で見たらさらに美しいであろう髪色も、他のどの人魚よりも美しい尾ひれも、最後に会ったときから何一つ変わっていなかった。
変わったのは髪の長さと、昔よりも少し大人びた顔立ちだけだと、そう思ったのに。
「知り合い?」
「うん、ミドルスクールの友だち。陸の学校に進学してたんだけど、最近戻ってきたって」
「そう」
彼女の後ろから、人の良さそうな人魚が近付いてきて声をかけた。それに対して彼女は怯える素振りなど全く見せず、むしろ、安心したような笑顔で振り返って応える。それを受けた彼も、優しく笑って返す。
目の前の光景が信じられなかった。
だって彼女は、僕達以外とはまともに会話なんてできなかったはずだ。ましてや笑顔だなんて。
「こちら、ジェイドとフロイド」
「はじめまして」
「……どぉも」
彼女に紹介されて、さっと笑みを貼り付け、握手をする。興味がなさそうにしているフロイドも、どうにか最低限の挨拶は済ませたようだ。あぁ、でも、
「こちら、――」
仲睦まじく視線を交わし合う彼らの関係性など、聞くまでもない。聞きたくもない。しかし彼女は非情にも言葉を続けていく。
今までに見たことのない、幸せそうな笑顔に、心臓を噛み千切られた心地になった。露ほども思っていない祝福の言葉を捧げると、彼らはまた、視線を交わし微笑みあう。
「そういえば……」
ふいに、彼女の様子がからりと変わった。どこか懐かしいような、既視感を覚える。
「陸の世界はどうだった?やっぱり最初は歩くのも大変だった?空を飛ぶのって、海で泳ぐのとは全然違うんでしょう?どれくらい高く飛べた??」
そうだ。陸の世界について矢継ぎ早に言葉を溢れさせる姿は、昔も今も変わっていない。過去の記憶が蘇った。
―――。
ミドルスクールでの彼女は、授業で陸について学んだ日には必ずと言っていいほど、陸への憧れを熱心に語っていた。最初は、尾ひれの見目など気にしなくていい、という理由で興味を持っただけのようだったが、いつしか、海にはないものへの憧れを抱いたようだった。
その日の彼女は、僕たちよりも少し高い位置で仰向けになって、ただゆったりと浮かんでいた。その先にある世界を、この暗い海の底から眺めたがっているようにも見える。
「星空にたくさんの灯りを浮かべるって、どんな感じなんだろうね」
「『海に浮かぶクラゲの群れのよう』なんでしょ。授業で言ってたじゃん」
「それはそうなんだけど、星空に、っていうのがやっぱり気にならない?空は、海以上に広いって言うし。そんなところにたくさん光が散らばって、それなのに暗いって……不思議だよねぇ」
尾ひれはリラックスしたように投げ出されているが、恐らくは無意識なのだろう、口だけではなく熱心に手も動かして、思いを伝えようとしている。
「それにやっぱり、」
「『海にはいない沢山の生き物を見てみたい!』」
「そう!」
「それ、何回も聞いたし……」
興味が失せたのか、フロイドが暇そうにくるくる泳ぎはじめた一方で、アズールはまるで見惚れているかの様に、ぼうっと彼女を眺めていた。まぁ、彼の気持ちは理解できる。肩までの長さの淡い髪をふんわりと漂わせながら、暗い場所では青みがかって見える美しい尾ひれが、だらりと力なく揺れていた。明るい場所で見るサンゴ色も美しいが、僕はこの色の方が好ましい。
まるで、踊るように、陸に向かって手を伸ばすように、話し続ける彼女は一体どんな表情をしているのだろうか。静かにゆっくり近づき、上から覗き込むようにすると、話に興味を抱いたと思ったのか、ほんの少しだけ嬉しそうな目をした彼女と目が合う。僕の落とす影の中にあっても、透き通って見えるその瞳は美しかった。そして、確かに目が合っている筈なのに、自分を見られていないような不思議な感覚を抱いた。
そうして、適当に相づちを打ちながら話半分に聞いていると、小魚のようにちらちらと視界を行き来する小さな手にだんだんと意識が向いてくる。ほんの興味本位で捉えて、小指の付け根あたりに、やんわりと歯を立ててみた。もちろん、驚いた彼女が慌てて手を引いて怪我をしないよう、がっちり手首を握るのも忘れずに。
「ぅぎゃ!!」
「……フフフっ」
なんとも形容しがたい奇妙な声を上げた彼女は、予想通りに手を引こうとしたが、手首が固定されていたのでそれは叶わない。
「なに!?」
「あぁ、すみません。小魚のように動き回っていたものだから、つい」
信じられないものでも見るかのように目を丸めた彼女から、パッと手を離す。今度こそ慌てて右手を引っ込めた彼女はどことなく困ったような、理解し難いものに出会ったかのように眉尻を下げて、ぽつりと零した。
「うわぁ…ジェイドって、そういうとこ怖いよね……わるい顔……」
「おや、怖いだなんて心外な」
「なになにぃ〜楽しそうなことやってんじゃん!」
「ぅぐ、ぇ」
ひらひらと私から距離を取ろうとしていたところを、勢いよくこちらに向かってきたフロイドに通り過ぎざまに尾ひれでぐるりと巻かれ、そのまま引き寄せられた彼女は、今度は苦しげな声を上げた。
「なに、ななしの指っておいしいの?」
「えぇ、小魚のようで美味しそうでしたよ」
「へぇ〜!ほら、手ぇだしてよ。はやく〜」
「やだやだ、なに、お腹すいてるの!?そんな、おやつ感覚で齧られたらあっという間に指なくなっちゃうよ!」
楽しげに笑みを浮かべながら、顔を近づけていくフロイドから逃げるように、彼女は両手をぎゅっと握りしめ引き寄せ、必死で抗議している。あぁでも。抗議こそしているものの、僕が手首を握っていなければ、この鋭い歯がその小さな手を引き裂いていただなんて、おそらく彼女は気付いていないのだろう。
身動きが取れず逃げ場のない彼女は、目でアズールに助けを求めていたが、彼は一度は合わせた視線をつい、と逸らして、少しばかり口元をほころばせていた。どうやら彼にとって今はまだ、彼女に手を差し伸べる時ではないらしい。
――――
「えっと、あと…あれ!」
「マジフト?」
「そう、それ!みんなもマジフトやった?どうだった、楽しかった??それから…ネコと喋る授業、動物言語学の授業もあった?お喋りできた??」
彼女の陸への興味は今もまだ尽きないようだった。しかし、言葉の端々から、僕たちから聞こうとしている話は、すでに一度聞いたことがあるであろうことを推察できた。
「フフ…随分詳しくなったようですね」
「そうなの、彼も陸の魔法士養成学校に通っていたから。それで教えてもらって」
やはり、そうか。
嬉しそうに微笑んだ彼女は、優しく寄り添う人魚をふわりと見上げる。あの日、確かに捉えた小さな右手は、今は、見知らぬ人魚の手の中に。
「まぁ卒業したのは4年も前だけどね」
「失礼ですがどちらの学校を?」
「ロイヤルソードアカデミーだよ」
「おや、それは素晴らしい」
あの、ロイヤルソードアカデミーを、4年前に卒業。つまりは我々と入れ替わるように、海に戻ってきていたと。
うちの卒業生、と言われるよりはしっくりくるが、それで吹き荒ぶ嵐が凪に変わるかといえば、それは全く別の問題だ。
「ねぇ!それで、陸の生活はどうだった?」
「ななし、そんなにいっぺんに聞かれても、彼らも困るだろう?」
たしなめられた彼女は、ハッとしたように私を見て、次に、誰がどう見たって不機嫌としか言いようのないフロイドを見て。ついさっきまでの興奮状態から一転し、かつてよく見た困り顔になる。
「ごめん、フロイド」
「…………」
先程からだんまりを貫いているフロイドは、彼女に謝られても何も返事はせず、睨みつけるように、ただじっと彼女を見つめている。ほとほと困り果てたのか、彼女から助けを求めるように視線を寄越されたが、それには貼り付けた笑顔で返した。彼女はすとんと視線を落としてから、伺うようにして、もう一度フロイドに視線を戻す。
「フロイド、ごめん。今じゃなくていいから。また、気が向いたときにでも。ね?」
「…………オレの気が向いた時にね」
ようやく口を開いたフロイドは、先ほどからの表情はそのままに、低く、小さく、それだけ言って、すぐに泳ぎ去ってしまった。
「ではまた」
「あ、うん。なんかごめんね」
謝罪を重ねる彼女には、品の良い笑顔を置いて、フロイドを追いかける。視界から消え去った美しい桜色に不快感を抱いたのは初めてだった。やはり、深い海色に染められて揺れる様こそ、彼女には相応しく、美しい。
「あ゛ぁ゛ぁああ!!!くっそ!!何だよあれ…なに、何なんだよ!!!」
「フロイド」
先ほどまでの静けさが嘘のように怒鳴り散らしているフロイドを呼び止める。振り向いた彼は、怒りとも憎悪ともとれるような凶悪な表情をしていて、いつになく殺気立っていた。
「よく我慢できましたね。正直、いつ暴れはじめるかと」
「そうだよ、オレ、すっっっっっっげェ、我慢したよ!!ああ゛ぁッ、クソっ!!!」
両腕で頭を抱えて、のたうち回るようにしながら吼える。荒々しく感情を発露させる様子は、今このときばかりは少しだけ羨ましかった。
「ですが、何故そこまでして?」
「…………ジェイドなら分かんでしょ?」
突如、ぴたりと動きが止まる。右腕は顔を隠すように残しながら、ゆらりと頭をもたげたフロイドは、ギラつかせた目はそのままに、口元には薄っすらとした笑みを浮かべ、這い回るような声音で、そう返してくる。
「だって今、オレと同じですっげェ怒ってんじゃん」
鋭い歯を覗かせながら三日月が形づくられていく。
つい、つられて同じように三日月を浮かべると、そこからは鏡写しのように、揃って笑みを濃くしていった。
今の僕は、いつか彼女に言われた“わるい顔”をしている。