昔むかし、あるところに、美しい尾ひれを持つ小さな人魚がいました。
誰もが羨むような、それは美しく、輝くような尾ひれを持っていましたが、彼女はいつもひとりぼっちでした。
なぜなら彼女は美しい姿をしていたけれど、決して強くはなかったからです。小魚の大群のように押し寄せる、妬みや嫉みに言い返すことも、怒ることもできません。唯一、押し寄せる小魚たちの前で泣かないことだけが、小さな彼女のちっぽけな強がりでした。
そんな彼女にも、やがて3匹の友だちができました。努力家のタコの人魚と、楽しいことが大好きなウツボの人魚の兄弟たちです。4匹はとても楽しく暮らしていましたが、ある日、彼らは彼女を置いて、陸の世界に行ってしまいました。
彼女はまた、ひとりぼっちになってしまいました。
それから月日は流れて――
「陸の世界に行こう!」
彼女の目の前に現れたのは、あの日、自分を置いていってしまった3匹の友だちでした。自分のことなどすっかり忘れられていたと思っていた彼女は大変喜びました。
彼女が喜んだのは、友だちが戻ってきたことだけではありません。だって、ずっとずっと憧れていた陸の世界に、尾ひれの色など気にしなくていい世界に、行くことができるのですから!
彼女は三人と一緒に陸の世界で遊びました。尾ひれの代わりに2つに分かれた足で、立ったり歩いたり。眩しい太陽の下で、海にはいないたくさんの生き物を見つけたり。満点の星空の下で、ダンスを踊ったり。
しかし、そんな楽しい時間も長くは続きません。姿を変える魔法は、とっても難しいからです。それでも、彼女をずっと人間でいさせることは、彼らにとっては不可能なことではありませんでした。ただ、その魔法は、とってもとっても難しいため、お代が必要なのです。
彼女はお代として渡せるものなど何も持ってはいませんでしたから、彼らの提案を一度は断ろうとしました。そんなに難しい魔法なら、差し出せるものは自分の命くらいしかないとさえ思いました。
残念そうにする彼女を元気づけるように、どんな難しい魔法でも使えるタコは優しく言いました。
「大丈夫。この契約でいただくのは、大したものではありませんよ」
そうして彼女は金色の立派な契約書にサインをしました。中身は読ませてもらえませんでしたが、彼らならきっと大丈夫だろうと、信じていました。
人間になった彼女は、彼らの言うとおり、何も失っていないように見えました。美しかった尾ひれは足に変わってしまったけれど、輝くような長い髪も、宝石のような透き通った瞳も、変わらずにそのままでした。
そうして楽しく過ごしていたある日、見知らぬ人魚が入り江を訪ねてきました。彼は彼女を見つけると、まるで離れ離れになった恋人の名前を呼ぶかのようにとても優しく、海の中から彼女の名前を叫びました。
しかし、彼女にとっては身に覚えのないことです。知らない人魚に名前を呼ばれたって恐ろしいだけ。ましてや知らない人魚たちからも悪口をいわれてきた彼女にとってはなおさらに。
何も言えずに怯える彼女を落ち着かせようと、今しがた海から上がったばかりのように髪を濡らしたウツボの兄は優しく言います。
「大丈夫ですよ。僕の目を見て」
すると、不思議なことに、あれだけ気弱だった彼女の口から、ぼろぼろと言葉が溢れていきました。
「誰、あなたなんて知らない。何しにきたの。私をいじめにきたの。こわい、怖い。帰って、帰って!!」
溢れ出したのは言葉だけではありません。彼女は、ぽろりぽろりと真珠のような大粒の涙をこぼしました。
彼女を訪ねてきたはずの人魚は、その様子を見て、ひどく傷ついたような、悲しそうな顔をして、一言だけ告げて海へと帰っていきました。
「どうか、幸せに」
それからまたしばらくして、陸で暮らす彼女の耳にこんな噂が届きました。海の中で奇妙な事故が起こったらしい。原因は分からないが、とにかくありえない形で魔法が暴発して、大怪我をした人魚がいるらしい、と。
それを聞いた彼女はとても心配になりました。何故って、一緒に暮らす3人も、魔法を使うからです。慌てて3人に気をつけるように伝えると、カラカラと大きく笑われてしまいました。
なんでも、彼らはちゃんとした魔法の学校を卒業しているから、そんな馬鹿みたいなことは絶対にありえないと。
それでもまだ心配そうな彼女を安心させるように、にっこり笑ったウツボの弟は優しく言いました。
「大丈夫。オレがいるのに魔法でケガするとか、まずないから」
そうして、きれいな尾ひれの人魚は、自分が失ったものを知らぬまま、陸でしあわせに暮らしましたとさ。