※ifの世界線、付き合ってない。モブ彼氏(出てこない)
いつもと同じだった。先輩の家に入り浸って、一緒にゲームをして、おしゃべりして、笑い合って。そんなふうに変わらない時間を過ごしていた。
テレビを見つつお菓子を摘む。先輩はポテチを。私はチョコチップのクッキーを。咀嚼して、飲み込んで、ふと何気なく先輩の方を向いた。先輩も私を見た。交わった視線がいつもと違った。先輩も、私も、確かに違った。空気は一瞬にして、しっとりと艶めいたものに変わっていた。
驚いて小さく息を呑む。先輩も軽く目を見開いた。でもそれはほんの一瞬のことで、先輩の目は今までに見たことのない色にじわりと染まる。
私の方に向きを変えて、片手をソファの背もたれに。もう片方の手を私の肩に。ゆっくり顔が近づいてくる。私は瞼を下ろして唇を受け入れた。空気に飲まれる。
そのあとは、こんなことあの人には言えないな、なんて、どこか他人ごとのような思いと罪悪感を抱きながらも、流れるままに行為は進んだ。気持ちよかった。二人で達した後の空気は実にあっさりしていて、裸のまま並んでベッドに横になってはいるけれど、先程までの甘さや艶めきは感じられない。先輩は手持ち無沙汰に私の髪で遊んでいる。
「なぁ、お前良かったの?」
「うーん…彼には黙ってれば良いかなって……」
「そっか。まぁ上手くやれよ」
言葉では心配している割に、あまり気にしていなさそうな声色で先輩は話す。まぁ先輩の立場だと、バレなければなんの実害もないし、バレたところで素直に身を引けばいい、そういうことなんだと思う。けれども私にとってはあまり考えたくない現実だった。
「先輩のところに入り浸ってることは許してもらってるし、何があったかまでは聞かれないので……たぶん、大丈夫かと……」
お付き合いをしている彼には先輩との仲の良さを知ってもらっている。そのうえで嫉妬したり、咎めるようなことはしない心の広い人だった。一言で言えばいい人、私にはもったいないくらい優しくていい人だ。そんな人を傷つけるようなことを私はした。
「ふーん、悪い女」
「先輩だって悪い男ですよ」
彼氏がいるのに先輩に抱かれた私は悪い女だし、彼氏がいると知っていながら私を抱いた先輩も悪い男だ。お互いにただ事実を述べただけなのに、何故だか二人揃って笑いが零れた。
こんなことで笑っているなんて、彼に対する酷い裏切りだ。そもそも先輩を受け入れた時点で裏切りは成立してしまっているのだけれど。
今更どんなに罪の意識を覚えたとしても、既に私は誠実さのかけらもない最低な女なのだろう。
「泊まってく?」
「いいですか?」
先輩からの泊まりのお誘い。それ自体は今までだって普通にあったこと。そのことに特別な意味なんて見出さないし、そんなものは含まれていない。ただの友達のやり取りだ。
「このまま寝ようぜ」
「ベッド使っていいんですか?やったー」
いつもは二人揃ってソファで雑魚寝をしているけれど、初めて寝室に足を踏み入れた今日は、ベッドで寝ていいらしい。いつもより快適に眠れそうだ。
そう思ったけれど。目を瞑ると、大好きな彼のベッドで眠るときのことが脳裏に浮かんで、ぎゅうっと心が痛んだ。今、隣にいるのは、いつもと違う香りを纏う人。
その後は今まで通りの関係だった。
あの一夜だけがイレギュラーだった。
しばらくの間はそうだと思っていたけれど、結局、空気とは唐突に変わるもので。ふっと変わった空気に、今度は私も先輩も驚かない。ただただそれを享受する。
唇が至るところに触れる。大きな手が私の体を這う。気持ちいいが膨らんでゆく。私はまた恋人を裏切っている。このままで良いのだろうかという思いはもちろんあった。けれどもそんなお行儀の良い考えは、目の前の快楽で徐々に上塗りされていく。
「っは、ぁっ、」
胸に埋められた先輩の頭を抱きかかえるように腕をまわす。片方は唇で、もう片方は指先で、丁寧に愛撫される。気持ちが良くて、声も体も勝手に跳ねる。思考が溶ける。
先輩が顔を上げた。この前と同じ、炎が燃える青い瞳。一度唇にキスが降ってきたあと、首筋を舐められた。同時に太ももをゆっくりと撫でられる。幾度か往復したあと、その手は迷うことなく脚の間へ。
「っう、っあ、」
敏感なところを軽く押し潰すようにしながら撫でられる。荒い呼吸に乗って声が漏れ出す。快感がゾクゾクと溜まっていく。ちゅっと首筋を吸われる。
段々と高みが迫ってくるが、てっぺんまで到達する前に先輩は指を離した。そしてそのまま入り口を撫でると、ゆっくり指を挿入する。そこは既に潤っていて、ぷちゅ、と軽い音も聞こえてくる。
「あっ、ん、」
しばらく慣らすように出し入れをしたのち、曲げられた指が私の好いところを探りだす。きゅっと中が締まり息が漏れ出したのを先輩は見逃さず、的確にそこに触れてきた。
またじわじわと限界が迫ってくるが、そこを飛び越える前に再び指は止まった。行き場を失った快楽は、体の中で大きく渦を巻く。
指が抜かれて、次なる刺激への期待が高まる。先輩は私に覆い被さって、顔を寄せた。私を燃やし尽くさんばかりの熱を持った視線に貫かれる。熱に燃やされた私は、ゆっくりドロドロに溶けて、快楽の海に沈んでいるような感覚に陥った。口付けが降ってくる。
「っは、ぁ、」
唇が離れるのと同時に、私の中に先輩が入ってきた。ゆっくりと焦らすように進んでくる。その後も急ぐことなく、ゆったりとしたペースで出入りを繰り返す。気持ちよさが体の内にじんわりと広がってゆく。その間、口付けをされたり、首元の傷跡にキスを落とされたり、先輩の行動は心地のよい快楽を助長する。
段々と動くペースが上がってきた。それに伴って、体の中の快感が渦潮のようにぐるぐると渦巻いて、私の理性をも飲み込んでゆく。
「ん、あっ、ぁ、」
理性だけじゃない。私のすべてが荒々しい渦に飲み込まれた。高い声と共に、びくんびくんと体が跳ねる。先輩が私の首元に顔を埋めて熱い吐息を漏らした。
絶頂の余韻に浸りながら呼吸を整える。息が整うにつれて、あの人を裏切ったという事実がずっしりとのしかかってくる。私はまた、やってしまった。
私よりも先にいつもの呼吸に戻った先輩は、ゆっくり私の中から出ていって、隣に横になった。この前と同じように、手持ち無沙汰なのか、私の髪に触れている。
「なぁ、これって立派な浮気だろ?俺はまぁ、別に良いんだけどさ、お前はそれでいいの?」
「やっぱり浮気ですよね……」
先輩からも現実を突きつけられた。ため息をついて目を伏せて考える。浮気をしている。裏切っている。そのことは純然たる事実で、反論の余地もない。でも、私はあの人のことを愛している。それだって紛うことなき事実だ。
だけど、だけど……。なぜか不思議と後悔の念は湧き上がらなかった。後ろめたさはあるのに「こんなことしなければよかった」なんて思いは見当たらなかった。先輩との行為をなぜだか否定できなくて。むしろ、否定するどころか新しい関係を当然のものとして受け入れている自分がいた。この関係はきっと今回だけじゃ終わらない。そんな確信まであった。罪の意識はきちんとあるというのに。2つのちぐはぐな考えが両立していて、理路整然とした説明は不可能だ。
「……でも私は先輩のこと友達だと思ってますよ」
「セックスするお友達、だろ?」
先輩は片眉を器用に上げニヤッと笑って、からかうように私達の関係に名前をつけた。既存の枠に当て嵌めようとするならば、きっとそうなのだろう。
「それもそうですけど、普通のお友達としてもです」
先輩はふっと笑う。体の関係を持っても、今まで通りの友達だ、先輩にもその感覚はあるのだろう。そういうところも含めて、やっぱり先輩とは波長が合う。
「彼のこと、嫌いとか、どうでもいいとか思っているわけじゃなくて、ちゃんと好きなんです。でもなんだか物足りなさを感じてしまうというか…」
「それはベッドの上での話?」
「いや……、そういうわけじゃないんですけど……何が足りない、のかなぁ……」
情けなくも、言い訳のようにそんな言葉がつらつらと出てくる。何が足りないのかなんて、考えてみてもわからない。彼との関係は良好だし、手を繋いで、キスをして、愛してもらうことを幸せだって思うのに。満たされているはずなのに。
「……でも正直、先輩とする方が気持ちいいですよ」
ベッドでの話が出たので、一応ちょこんと付け加える。先輩は嬉しさを押し隠すように唇に力を入れた。隠しきれない嬉しさは、少し細まった目に表れている。
でも私にとって、彼に足りない何かがそれではないことは明らかだった。
「俺に乗り換えちゃえば?」
「本気で言ってます?」
先輩は私の頬に手を添えて、口説き文句みたいな世迷い言を言う。もちろん、先輩も本気では言っていないし、私だって本気だとは受け取らない。ただの言葉遊びだ。
「まぁ半分くらいは?」
「じゃあ残りの半分で受け取りますね」
「なんだよ、つれねぇなぁ」
くだらない冗談に、二人で顔を見合わせて笑い合う。こんなことで笑い合うくらいなのだから、やっぱり今まで通り、男だとか女だとか、そういう何かが私たちの間にある訳ではない。
先輩に抱かれている時に感じるのは、恋でもなくて、愛でもなかった。何かで繋がる私たち。先輩との関係は変わった。でも、矛盾するようだが、先輩とは今まで通りにいられる、これから先もそうだと思っている。
この件に関しては、何もかもが矛盾に満ちていた。
こんな私を愛してくれるあの人への罪悪感は抱えきれないほどにある。
けれど、それを凌駕する何かが私と先輩の間にはある。
そんなことを言い聞かせて自分のことを正当化する私はつくづく嫌な女だ。