出会ってからどれくらいの時が経った頃だろうか。気付いた時には、彼のことを好きになっていた。どんなところを好きになったのか、それは私にも分からない。でも、お調子者で、真っ直ぐで、誰よりも信頼できる、そんな人を私は好きになった。
けれど、私と先輩はあくまでも同僚であり友人だった。万に一つも先輩から『女』として見られている、なんてことがないのは分かっていた。だから、それまでの関係を崩したくなくて、この想いは秘めたままでいた。それで良かった。彼への想いは心臓の中に大切にしまって、輝くそれを時々見つめることができれば良いと思っていた。それなのに、あの日は。
いつもと同じように先輩の家で遊んでいた。ゲームをして、スナックを摘んで、ちょっぴりアルコールも入って。やがて、特に気まずい訳でもない沈黙が訪れ、テレビから聞こえる音に身を任せて揺蕩う。それはいつものこと。よくあるシーン。
それだけのはずだったのに。気付けば好きを口にしていた。
「先輩、好きです」
言葉がこぼれ落ちてすぐに、自分のしたことにとても驚いた。先輩も同じだったようで、驚きで見開いた目に見つめられる。
――あぁ、こうなることは分かっていたから、言いたくなかった。
やがて、目の前の青色に宿る心の内は、驚きから困惑へと変わる。
――そうだ、こうなることは分かっていたのに、言ってしまった。
想いを伝えた結果、相手を困らせてしまうのはとても悲しいことだと思い知らされた。それならいつものように軽口で返してもらった方が何倍もマシだったに違いない。
体中を
先輩は、考えるように一度視線を伏せたあと、もう一度私の顔を見つめて、口を開こうとした。緊張から心臓がドクンドクンと強く脈打つ。
「ナナシ、」
「っ、なんでもないです!忘れてください!冗談に決まってるじゃないですか」
「ナナシ」
続く言葉を聞きたくなくて、咄嗟に遮るようにまくしたてた。考えるよりも先に、反射で出てきた言葉たち。自分から冗談だと仕立て上げて、傷付かないようにしたかった。それでも目はじんわりと熱くなっていて、今にも泣き出しそうで。涙が目に溜まるのを必死で堪える。
「疲れちゃったので、もう帰りますね」
これ以上この場にいると、先輩の前でみっともなく泣き出してしまいそうだった。視線を逸し、顔を見ないまま言葉を垂れ流す。慌ただしくバッグを引っ掴んで、俯きながら小走りで玄関へ向かった。堪えきれずに涙が一筋、二筋、頬を伝う。
「ナナシ」
先輩は何か言いたげに私の名前を呼んだ。その先には、私の想いに白黒つける言葉が待っているように思えたため、聞こえないふりをしてそのままドアを出た。先輩の言葉一つで想いが漆黒に塗りつぶされるくらいなら、白銀の輝きはなくなれども、せめて黒ではない
先輩と私を隔てる扉がバタンと閉まる音に少しだけ安堵したと同時に、どうにか抑えていた感情が溢れ出て止まらなくなる。
後悔と悲しみで、頭も心もぐちゃぐちゃになって、泣きながら走って家へ帰った。心も肺も苦しくて、誰かに助けを求めたかった。有限の息を吐き出し、苦しみながら暗い水底へ沈む私を掬い上げることができるのは、きっと先輩だけだ。できる限り私が傷付かないように、先輩ならきっと手を差し伸べてくれる。現に、私の想いは受け取れなくとも、そうしようとしてくれたのだと思う。けれど、それは私が心から望む救いの手ではない。それだけでは足りないのだ。我儘で、贅沢な理想は現実と乖離している。だからこそ、
――なんで言ってしまったんだろう。
そればかりが頭の中で繰り返されている。
「よっ」
「おはようございます」
次の日、先輩はいつも通りだった。職場で交わす朝の挨拶。私もいつも通りに挨拶を返した、つもりだ。
そこからは、いつも通り、いつも通りだ。昨日の出来事はなかったことになって、関係性だって変わっていない。そうだ、それでいい。それで充分だ。
それでも私は、ずっとあの時のことを後悔し続けている。今この瞬間も、きっと、これからもずっと。