温かい明かりが照らすキッチンに一人立ち、浮き立つ心を抑えている。オーブンの中に下準備した鶏肉と野菜たちを入れて、温度と時間を設定した。今日のための事前準備はばっちりだ。ディナーの食材は揃っているし、食事と一緒に楽しむワインもすでに見繕って購入済。あとはキレイに整えるだけ。
一緒に歩く、会社からの帰り道。いつもなら二人そろって帰宅して、キッチンにも二人で立っているところだ。けれども今日は「寄るところがあるから」と途中で先輩とは別行動になった。きっとバレンタインのサプライズがあるのだろうなぁ…と胸を躍らせ期待してしまう。どんなことだって嬉しいのだろうけれど、どんなことなのか気になってしまうのは仕方のないことだろう。
お肉の調理はオーブンに任せて、テーブルの飾り付けに取り掛かる。いつもとは違う深い赤色のランチョンマットを敷いて、小さな白いキャンドルたちを添える。それからイミテーションの深紅の花びらをお洒落に散らして、飾りはオーケー。最後にワイングラスとカトラリーを二組並べる。あとは料理が来れば完璧だ。続けて行うのは私自身の飾り付け。
特別なディナーには特別な服装で。クローゼットから取り出した鮮やかな色のカクテルドレスに袖を通し、普段は身に着けないアクセサリーたちに私を彩ってもらう。華奢なチェーンを首にまわして留め具をかけた。それから耳元にも輝きを。ドレスと同じ色の耳飾りをつける。
髪と化粧を整え直して、身だしなみはこれでバッチリのはず。最後にもう一度鏡で確認をしてからダイニングに戻ると、ちょうど先輩が帰ってきたところだった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
流れるように頬にキスが降ってくる。そんなよくあるやり取りも、今日という日には嬉しさが増すように感じられた。今は背中に隠れている右手が本来ある場所に、ちらりと視線をやってから、気づかないふりをしてすぐに先輩の顔へと視線を戻す。
「綺麗だな」
「ありがとうございます」
真っ直ぐな視線とストレートな褒め言葉を受けて、嬉しいやら恥ずかしいやらで、へにゃへにゃと頬が緩んだ。
「俺のために、おめかししてくれたの?」
「はい、そうです!」
悪戯っぽく投げかけられた問いには胸を張って答えることができる。バレンタインだから、という理由も、つまるところは、バレンタインなので先輩に喜んでもらいたい、という意味合いであるからだ。
笑い声と一緒に、今度は鼻先にキスがやってきた。
「じゃあ俺だけの美人さんに特別なプレゼントを。いつもありがとな」
背中から現れた花束を目の前に差し出される。薔薇を基調とした赤い花束だ。わぁ…と感嘆の声が漏れる。
「ありがとうございます!」
ほんの少し照れたように笑う傷跡の残る頬に、背伸びをしてキスをした。柔らかい笑顔がすぐそこにある。私も日頃の感謝の意を伝えた。
「私の方こそ、いつもありがとうございます」
「そんじゃあれだな、お互い様ってことで」
優しい笑顔と瞳はそのままに、優しい声色で先輩は言葉をくれた。
「準備、進めておいてくれたんだな。サンキュー」
「これくらい任せてください!」
あとは料理が並ぶだけのテーブルを見た先輩から、ありがとうの言葉。続いて唇にキスがやってきた。幼稚な感想かもしれないけれど、たくさんキスをもらえるのは嬉しいなと思う。
「あ、先輩。写真取りませんか?」
「ん、そうだな」
身を寄せ合って、ポケットから出したスマホを手に、先輩は腕を前に掲げる。画面の中に私たちとキレイな花束が並んだ。シャシャシャと連続で素早くシャッターを切る音がする。それがなんだか可笑しくて、自然と心からの笑いが零れた。
「じゃ、俺も着替えてくる」
「はい」
寄り添っていた体が離れて、先輩もおめかしのために寝室へ向かう。もらった花束は、花瓶代わりの空き瓶に移してリビングのローテーブルに飾った。本当はきちんとした花瓶に飾ってあげたいけれど、あいにくこの家にはない。お花たちには申し訳のない暫定措置だけれど、お水のある環境で一晩過ごしてもらいたかった。明日のやることリストに「花瓶を買う」が追加された。
そんなことをしていると、スーツに着替えた先輩がジャケットを腕にかけて戻ってきた。
「いつもと違う雰囲気でカッコいいです」
「だろ?」
軽く眉を上げて、自信たっぷりの返事。先輩らしいなと思い、笑顔になる。しかし窮屈なのか、そんな短いやり取りの最中に、せっかく綺麗に結んだネクタイを早くも少し緩めていた。
オーブンに任せていた料理もちょうどできあがる頃合いで、二人で一緒に料理を並べた。この日のために選んでおいたワインも栓を開けてテーブルへ。そしてキャンドルに火を灯す。
照明を少し落とした薄暗い部屋、炎が揺らめく中で見つめ合う。瞳に映る炎。情熱を感じられて、ロマンチックだ。
けれど、話すのはいつものような他愛もない会話。今日の出来事だとか、新しく出るゲームの話だとか。特別な空気感だけれど、いつもと同じところもある私たち。
ディナーの後は、ソファで寄り添い合って語らう時間だ。今日ばかりは雰囲気に流されて、片付けは明日の仕事にしたって良いだろう。
もらった花束と、ローテーブルにも置いておいたキャンドルが甘美な空気を際立たせる。先輩に体を預けると、右腕で肩を抱かれて引き寄せられた。体の左側から伝わる温かさが心地良い。
夕食の時とは異なり、会話はぽつりぽつりと申し訳程度に。静寂の合間を埋めるように、こめかみに、頬に、唇に、思い出したかのようにキスが降ってくる。先輩の腿に置き去りにされていた左手に、自分の左手を伸ばし指を絡めると、きゅっと軽く握りしめられた。示し合わせたように色を帯びた視線が絡み合って、心臓がどきんと跳ねる。今夜は瞳に炎煌めかせる夜になりそうだ。