何もない真っ白な空間に一人ぽつんと立っていた。右も左も、上も下も、どこを見ても白が続いている。

「ナナシ!」

 突然名前を呼ばれて、誰かが足に抱きついてきた。膝をついて目線を合わせれば、帽子を逆さ向きに被った4-5歳くらいの、先輩そっくりな男の子。

「先輩?」
「せんぱい?」

 つい、いつもの呼び方で呼んでしまったけれど、もし子供の頃の先輩だったら‘’先輩‘’だなんて呼び方は知らないのかもしれない。改めて名前を呼び直す。

「ルーク?」

 するとその子は、嬉しくて恥ずかしそうな、けれどもどこか不満そうな、複雑な表情をした。

「ルークじゃないよ」

 少し拗ねたような声。何を言おうか迷って無言になってしまった私を彼はじっと見つめていた。ふいに悲しそうな色が顔に浮かんでくる。

「ナナシ?僕のこと忘れちゃったの…?」

 不安そうに問いかけられる。知らないのは事実だが、彼の様子を見ると肯定するのも憚られて、曖昧な顔をすることしかできない。

「―――だよ!ほんとに分からないの…?」

 どんどん泣きそうな表情になっていく。なんとかしてあげたいけれど、分からないものはどうにもできない。どうしたらいいんだろう、私は何をしてあげられるんだろう。

「ナナシは僕のお母さんで、それで、それで……」

 目に涙を浮かべて必死に訴えてくる男の子。その子の言ったお母さん、という言葉が何故だが体にしっくり来て、彼に対する愛情が胸の中から湧き上がってきた。顔立ちは先輩と瓜二つだけれど、言われてみれば目の色、髪の色は私と同じだ。

「そうだね、私はお母さんだね」

 自分で思っていた以上に優しい声が出た。それを聞いた男の子は嬉しそうに輝く顔をして、勢いよく私の首に抱きついてくる。

「ナナシだいすき!」
「私も大好きだよ」

 不思議と心からその言葉が出てきた。嬉しさからくすぐったそうに笑う声が聞こえてくる。
 彼は一度体を離すと、小さな手を私の両肩に添えて顔を近づけてきた。ちゅ、ちゅ、と頬を隙間なく埋めるように、大量のキスが降ってくる。かわいらしい愛情表現に、思わず笑い声が零れた。

 満足したのか、しばらくして再び顔が離れた。どこかモジモジしたような様子でこちらをみたり視線を伏せたりを繰り返している。そして、きゅっと唇を結んだかと思うと、今度は私の唇にキスをした。
 唇を離して私と視線を合わせたその子は、まるで夢が叶ったかのように嬉しそうな笑顔を見せている。愛らしいその様子に再び笑みが溢れる。

「ナナシだいすき!」
「私も大好きだよ」

 先ほどと同じ言葉を繰り返す。強く抱きしめてきたその子を抱きしめ返して、頭を撫でた。



 ぼんやりと目が覚める。夢を見ていた。目を開けると先輩はすでに起きていたようで、こちらを眺めていた。こめかみの髪をかき上げられる。

「おはよ」
「……夢を見ました」
「どんな夢?」

 夢の内容は覚えていた。小さな男の子が出てくる夢。

「夢の中で私、お母さんになってました」

 その子は私をお母さんと呼んでいて、好きをたくさん示してくれた。
 先輩は指の背で私の頬を優しく撫ぜる。

「俺の子?」

 随分と自信満々な言い方だなぁと思った。先輩らしい。でも当たっているのだから大したものだ。

「はい、小さい先輩って感じでそっくりでしたよ」
「へぇ、そっか」

 先輩の笑顔が夢の中のあの子と重なる。頭を撫でられて、触れるだけのキスをされた。愛らしい子供のキスとは違った、大人の恋人同士のキス。
 そして、いつかあの子に会えるのかなぁなんて、そんな夢みたいなことを思ったりした。