水上敏志C


 なゆたが生身でモールモッドの攻撃を受けて、病院に運ばれたという報告を受けたのはその日の防衛任務が終わってからのことだった。

 夕方、防衛任務の時間になってもなゆたは現れず、仕方なく戦闘員三人で担当支部へと向かった。防衛任務についてからも「なんやねんあいつ」「でっかいうんこでもしとるんですかね」「安喜ちゃんがうんこなんかするわけないやろ」などとふざけた話をしていた。
 しかし、違和感はあった。抜けているところはあるものの、彼女はこういう連絡はしっかりとする方だったから、トリガーの修理が長引いているのが理由であるにしても、連絡してくるだろうと思っていた。きっとそう思っていたのは水上だけではない。真織も、隠岐も、生駒だってそう思っていただろう。
 作戦室に戻ると真織が青ざめた顔で三人を待っていた。そして、「なゆたがな、モールモッドに襲われてんって……生身で」と震えた声で告げた。あまりのことに隠岐は呆然としている。生駒はゴーグルを着けているからその表情は読めない。そして、水上はいやに冷静だった。脳内に何故生身で警戒区域に入るようなバカな真似をしたのか、何故護身用トリガーを持っていたくせに使わなかったのか……その他にもさまざまな何故が飛び交っていた。
 それからすぐに四人は病院に向かった。それまで付き添ってくれていたらしい少年と入れ替わりに病室に入り、ベッドで横向きに寝かされているなゆたと対面した。左腕に刺さった痛み止めの点滴の他にも、指や胸に色々な機械やコードが繋がれている。病院でこんな姿をしているだけで今にも死んでしまいそうに見えた。
 その様子を見て、真織が堪らず泣き出す。隣にいた隠岐が慰めるようにその肩を抱いていた。小学校からの親友がこんなことになれば泣き出すのも仕方がない。
「奇跡的に傷は浅いから、二、三週間くらいで退院できるって。ホンマに良かったわ」
 年末には一緒に里帰りできんな。外で隊長として医者から話を聞いていた生駒が少しほっとしたように笑った。しかし、隠岐と真織の表情は暗いままだ。
「なゆた、どこにおったんですか?」
「早沼支部の辺りを巡回してた嵐山隊が襲われてるところを発見したそうや。さっき、嵐山にめっちゃ謝られたわ。もっと早く見つけられなくてすまんって」
「やすきち、なんでそんなとこに……」
「見つかったとき、早沼支部のオペレーターを庇っとったらしい。その子もトリガー持ってへんかったから、トリガー持ってなくても自分が守ったらなあかんって思たんやろな。ほら、安喜ちゃんってそういうとこある子やん? こっちに来た理由も自分にその力があるなら、三門の人の助けになりたいって言うてたし」
 生駒のことばに真織が泣きながら頷く。水上と隠岐はそんなの初耳だ。ランク戦の途中で脚を潰された水上を助けるくらいにおせっかいなことは知っていたが。
「でも、トリガーなしで警戒区域入ったら危ないことくらいわかるやろ……アホ」
「やすきちはほっとかれへんかったんやろな……その子のこと」
 真織が涙声ながらも怒ったように呟く。隠岐はそれを宥めるように肩を撫でた。同い年三人で仲がいいが、反応はそれぞれだ。真織はなゆたの軽率な行動に怒っているが、隠岐はある程度なゆたに理解を示しているようだ。水上は真織と同じで彼女に対して怒りを抱いていた。ランク戦の真っ最中なのにどうしてそんなことをするのか。人のことを考えているようでまったく考えていない。
 それにしても、生駒がやけに冷静なことに水上は驚いていた。動揺して、「輸血するときは俺の血を使ってください‼︎」などと喚くくらいに取り乱すかと思っていた。しかし、こういうときに冷静なのが彼が隊長たる所以なのかもしれない。
「……そろそろ帰ろか。安喜ちゃん、今は痛み止めで寝てるから」
「また今度、起きてるときに話聞かなダメですね」
 寝ている彼女を叩き起こして話を聞くわけにもいくまい。水上はさっさと踵を返した。背後で真織が「また来るな」と寝ているなゆたに声をかけるのが聞こえる。隠岐も何かを言っているがよく聞こえない。
 こういうときに何も言ってやらないあたり、自分は薄情なのかもしれない。そんなことを考えながら、病室を後にした。


「なんか、センパイ見んの久しぶりですね〜」
「ホンマやな」
 水上が病室を訪れるとなゆたはベッドにもたれかかったまま、顔を上げた。このままではお互い首が痛いので立てかけてあったパイプイスを組み立て座る。
「これ、下のコンビニで買うたもんやけど」
「あ、アイス。スーパーカップやん! ありがとうございます。冷凍庫ないんで今食べますね」
「おう」
 まだ病棟から一人で動けないんですよね〜。などとぼやきながら、なゆたはすぐにアイスのフタを開けた。一緒に入っていた木のスプーンでそれを掬い取り、嬉しそうに口に運ぶ。
 若いからか、なゆたの回復は早く、すぐ起き上がれるようになった。傷口はまだ痛むようだが、ごはんもちゃんと食べているし、最近ではリハビリもしている。担当医も彼女の退院を二週間後に決めたようだ。年末には五人で里帰りができるだろう。
 真織と隠岐は毎日見舞いに行っていて、生駒もたまに顔を出しているようだが、水上がここに来たのはあの日以来初めてだった。
「ランク戦どうですか? なんか、途中で抜ける形になってもうてすいません」
「別に問題なく勝ち進んどるで。むしろ前より連携できとるくらいや」
「うわ〜、そこは嘘でも惜しんでくださいよ。ウチの存在を」
 なゆたがアイスを食べているのをじっと見つめながら言うと彼女は怒ったように口を尖らせる。しかし、実際連携はうまくいっているのだから仕方ない。動かす人数が少ない分、戦術の幅は狭まるが、その分、隊員同士の連携は強くなる。そもそも、なゆたは置き弾を置いたり、気配を消して敵狙撃手を落としに行ったり、追われている隠岐を助けに行くような遊撃手的なポジションにいたので、元々連携に参加している数は少なかったのだが。
 正直なところ、真織も人数が少ない方がやりやすいようだ。戦闘員三人部隊が多い理由がわかった気がする。
「なるべくはよ戻れるよう頑張りますね。二月までには間に合わすんで」
「別に気にせんでええで。四人でも上手いこといっとるし」
「えー、そこまで言われたらへこみますよ〜」
 水上としてはあくまで気遣ったつもりだった。しかし、彼女は不服だったらしい。少し寂しそうに笑っていた。これ以上いらない地雷を踏む前に本題に入ることにしよう。
「ほんで、今日はウチに訊きたいことあるんですよね」
「ようわかったな」
「センパイがなんか用事ない限り、人のお見舞いなんか来るわけないでしょ。しかもお土産まで持って」
「お前は俺をなんやと思っとるんや」
「だって、センパイ、平気で敵国の生活水路に毒仕込みそうな顔してる」
「俺はケフカなんか、お前の中で」
 どれだけ残忍な人間だと思われているのだろう。一瞬、己のこれまでの振る舞いを振り返りかけたが、なんとか話を本題に持っていく。
「お前、なんであの日、トリガーなしで警戒区域におったん? しかも、早沼って結構離れとるやろ」
「それ、一番に斬り込んでくるのセンパイやと思ってましたわ」
「イコさんもまだ聞いてへんのか」
「みんな、結構来てくれるけど、そういうのはウチが話すまでは訊かへん感じなんやと思いますよ。ほんで、空気読まんと斬り込んでくるのがセンパイ」
「気になることあったら訊かんとスッキリせんやろ、俺が」
「……まあ、ウチとしてもそういう扱いの方が助かります」
 多少の想像はすでにしてある。だが、真実を知らない限り、彼女とこれからどう接したらいいかわからなかった。他のメンツはよく話ができているものである。
「早沼支部には友だちに会いに行ってました」
「友だち?」
「小学生の、オペレーターの男の子。基本的に不登校なんですけど、たまに保健室には登校してる子でね。そういう自分をどうにかしたいからボーダーに入ったって言うてました。今は実家から離れて支部に住んでるんです」
「男のオペレーターって珍しいな」
「ですよね〜。トリオン量は十分戦闘員としてもいけるんですけど、そういうのは苦手やからオペレーターになったらしいですよ」
 ボーダーに所属しているオペレーターの大半は女性だ。なんでも、女性の特性として、並列処理が得意でオペレーターに向いているらしい。どういう根拠があるのかは知らないが。しかし、彼のような男のオペレーターもいないことはない。
古賀颯太こがふうたっていう子なんです。颯太とは警戒区域で廃墟散策してるときに初めて会いました。あ、あの日とは別の日の話なんでトリガーは持ってますからね。今にも死にたそうな顔して歩いてて……多分、トリオン兵に襲われて死のうと思てたんでしょうね。思わず話しかけてました。ちょっと一緒にアイス食べへん?って」
「警戒区域でナンパか」
「まあ、ナンパみたいなもんですね〜。颯太カワイイし。それからぼちぼち話してるうちに打ち解けてきて、颯太が住んでる早沼で会うようになりました。一緒にアイス食べたり、颯太が好きなぜんざい食べに行ったり。最初はあんまり笑わへんかった颯太もだいぶ笑うようになって、ウチめっちゃ嬉しかった」
 なゆたが、本当に嬉しそうに笑う。彼女がそんな人間関係を気づいていたなんて、知らなかった。このことを真織や生駒は知っているのだろうか。
「で、あの日も防衛任務の前に颯太に会いに行ったんです。でも、支部に行っても颯太はおらへんかった。警戒区域に行ったことは直感的にわかりました」
「それで、お前も警戒区域に入ったんか。護身用トリガーしか持ってへんくせに」
 訊ねれば、なゆたは無言で頷いた。
「しばらく探したら、物陰でうずくまってる颯太を見つけたんです。すぐ連れて帰ろうと思たんですけど、なかなか離れてくれへんから、その場で颯太の話を聞きました。久しぶりに教室に行ったみたいなんですけど……死にたくなったって」
「……どんな理由やねん、それ。そいつに何があってん」
「何があったかなんて、なんとなくわかりますよ、ウチは。こんなサイドエフェクト持ってるんで」
「……それで、お前が古賀と話しとるうちにモールモッドが出てきたんか」
「もうびっくりしましたよ。一応、護身用トリガーは起動しました。一回は死ねるし。颯太を物陰に隠したまま、巡回してる部隊が来るまで囮になろう思て、とにかく夢中で動きました。モールモッドもうまいことつられてくれて、これはうまいこといくんちゃうか! って思た矢先にモールモッドの爪を背中に喰らいました。丁寧に二回。一回は護身用トリガーのトリオン体やったんですけど、二回目は生身ですからね……生身で喰らったらめっちゃ痛いんですよ。あれ。もうホンマ、死んだかと思った」
「痛いに決まっとるやろ。そんなん幼稚園児でもわかるわ」
 どうして、自分が大怪我をした事件のことなのにへらへら笑えるのだろう。やっぱりこの女はアホだ。それで生駒と隠岐、そして真織がどれだけ心配したかわかっているのだろうか。
「でも、モールモッドの爪を喰らったんがウチでよかったですよ。颯太が無事でホンマによかった」
「ようないわ。お前、一つ間違えたら死んどったかもしれんのやぞ。女のくせに背中にデッカい傷つけて、よう良かったなんて言えんな。イコさんも隠岐もマリオもみんなめっちゃ心配してんのわかっとるんか? マリオなんかお前のために泣いとったからな。死にたい奴はほっとけ。二度とこんなことすんな」
 一息に言いたいことをすべて言うとすっきりした。なゆたは耳が痛い、とばかりに耳を押さえている、
「……すみません。みんなに心配かけたんはホンマに申し訳ないと思ってます。でも、絶対、颯太を助けたことは間違ってへんと思う」
 そう言ったなゆたの目は真っ直ぐだった。危険な場所にいる人間を己の危険を顧みずに助けに行くとはなかなかできることではないし、人として間違っていないと思う。だが、どうしてもバカだと思ってしまうのだ。
 早沼支部周辺には嵐山隊がいた。放って置いても、古賀颯太とやらが適切に隠れてさえいれば、いずれは彼らが保護してくれただろう。なゆたが命を張る必要はない。そもそも、相手は自殺志願者だ。死にたくてそこにいるのにどうして止める必要があるのだろう。
 それでも、彼女のことだから身体が動いてしまったのだろう。真織ほど長くはないが、半年以上共に過ごしてきたから、それくらいはわかる。攻撃手にマークされた隠岐を助けに行くのはいつも彼女だし、脚を潰された水上をなんとしても生駒の元に連れて行く。
 安喜なゆたは自分の手の届く範囲で困っている人間を絶対に放って置けない。
 水上にはまったく理解できない心理だ。相容れない、深い溝を感じる。
「年末には帰んねんやろ」
「帰りますよ。家族には顔見せとかんと。怪我して心配もかけてるんで。今の調子やったら車椅子かなあ……」
「さようか。俺そろそろ帰るわ。今日は生きとるとこ見れてよかった」
「あら、もう帰るんですか。リハビリ以外は暇してるんで、また来てくださいね」
 なゆたがそっと投げかけてきた「また来てくださいね」には答えず、水上は病室を後にした。それから、彼女が退院するまで病室に行くことはなかった。思えば、それが彼女との間に生じた最初の亀裂であった。
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