「着いたよ、お疲れさま」
バスを停車させてから、小豆畑がドアを開ける。初めは騒いでいた海も安喜も窓に寄りかかって眠っている。二人のことは無視で丸が何も言わずに自分の荷物を背負って、バスを降りて行った。代わりに颯太が「カイくん、なゆたちゃん、起きて〜」と声をかけていた。颯太だけにやらせるのは可哀想なので、隠岐と真織も協力して二人を起こした。
まだ寝ぼけている海と安喜を連れて、バスから降りると潮風の香りが鼻をくすぐって、改めて、自分たちは海に来たのだなあと思った。
バスが停車したのはボーダーが提携して借りているという駐車場でそこから、三日間お世話になる民宿までしばらく歩いた。駅前の繁華街から離れたそこはまさに海で、防砂林として松が並んでいた。その向こうの砂浜にはちらほら人が見える。さすがに泳いでいる人はいない。
隠岐はなんとなく見えた海をスマートフォンのカメラで撮る。シャッター音で前を歩いていた安喜と真織が振り返った。
「おっきー、今写真撮った?」
「海来たし、ちょっとな」
「へえ〜、ウチも撮っとこ」
隠岐に便乗してか、真織もスマートフォンを取り出すと海を撮る。安喜はそれを見て笑っていた。
「わたしはてっきりマリオを撮ったのかと……」
「なんでやねん」
真織が海を撮っている間に安喜がこそっと下世話な耳打ちをしてくる。それに、隠岐はこっそり撮るような真似はしない。堂々と「写真撮るからこっち向いて」くらいのことは言う。
何気なく前を向くと自分たちは一番後ろを歩いているようだ。先頭は土地勘のある小豆畑と丸、そのすぐ後ろをこの間食べたサケとイクラの親子丼の話をしている生駒と適当に聞き流している水上、少し離れて後輩の颯太に先輩風を吹かせている海、そして自分たち。
やはりこの三人でいると気楽でいい。三門市に来てからもこの三人でいろんなところに行った。ショッピングモールへ買い物に行ったり、玉狛界隈にあるおいしいたい焼き屋まで足を伸ばしたり、影浦の親がやっているお好み焼き屋で食事をしたりした。隠岐は今、地元でもやってみたかった、女の子との友だち付き合いというやつを思う存分堪能している。
今度は前を歩いている二人の背中にスマートフォンのカメラを向けた。ベリーショートの髪型の割にフェミニンなファッションを好む真織とファッションに興味がなく、ただ動きやすい格好をしている安喜の仲のいい後ろ姿だ。
真織は手間のかかる妹を見るような目で安喜を見ているし、安喜はいつも真織のことを守りたいと思っている。きっと、ここに来るずっと前からそういう風になっているのだろう。
歯に絹着せぬ物言いで安喜は女子の一部からすごく嫌われている。彼女たちは一度安喜に嫌がらせをしているが、安喜はそういうことでへこたれるタマではないので、まったくのノーダメージだった。だからだろうか、その標的が一度、真織に向いたことがあった。「関西弁がうるさい」だとか「ベリーショートで男かと思った」だとか「隠岐くんに色目を使っている」だとか、まったく性無い陰口を真織のすぐ背後で話していたのである。なんとも姑息で卑怯だ。関西弁なのは隠岐も同じなのだが、何故か彼女たちは隠岐に色目を使ってくる。色目を使っているのはどっちだろうか。
さすがにそのときは隠岐もカチンと来たのだが、それ以上にキレてしまったのは安喜だった。真織と隠岐が止める間もなくトリガーを起動して、一派の主犯格の女に孤月を突きつけたのである。
——— 文句あるなら、わたしに直接言うたらええやん。いくらでも聞いたる。でもなんで、関係ない真織にそんなこと言うん?
孤月を首に突きつけられた女子はまさか己がそんなに遭うとは思わず、怯えて固まっていた。隠岐も慌ててトリガーを起動して、彼女を取り押さえ、真織に叱られてやっと大人しくなったのだが、女子はすっかり怯えた顔をして「ごめんなさい」と繰り返して呟いていた。
未遂とはいえ、一般人相手にトリガーを使ったことで安喜は個人ポイントを減らされた。トリガーを向けられた女子とその取り巻きは忘却処理を受けて、今日も元気に安喜を嫌い、聞こえが良しに陰口を言っている。
このことで安喜は生駒にも「孤月をそんなことに使ったらあかん」と叱られたので、今後、彼女たちの矛先が真織に向かおうともこのような事件はもう引き起こさないだろう。
友だちや他人が困っていたらすぐに飛び出してしまえる安喜のそういうところが隠岐はカッコいいと思う。多分、自分のことを嫌っている彼女たちが近界民に襲われていても、安喜は飛び出していくのだろう。
カッコいいと思う反面、心配でもあった。またいつか、誰かを守るために生身でトリオン兵の攻撃を喰らうのではないかと思って。きっと、真織は隠岐の何倍もそう思っている。
「隠岐〜!」
ぼんやり回想などしているとすっかりみんなに置いていかれてしまったらしい。水上の呼び声が聞こえてきた。前を向けば、数十メートル先でみんなもう集まっている。その向こうには今日の目的地らしい民宿が見えた。こじんまりとした田舎のおばあちゃんの家のような日本家屋。しかし、その隣に不釣り合いな鉄筋コンクリートの建物が建っていた。ボーダーの訓練施設だろうか。
少し走って、みんなに追いつく。
「何黄昏とんねん」
「すみません。ちょっと海がきれいやったんで」
「隠岐は何言うても様になるなあ」
回想していたとはいえ、海を見ていたのは事実だ。頭を掻きながらそう言うと、水上は呆れたような視線を向けてきたが、いつの間にかサングラスをかけていた生駒は腕を組んで感心したように呟いた。
九人の中で小豆畑と丸がいない。多分、民宿の主人と話をしているのだろう。そう、隠岐がアタリをつけたところで小豆畑と丸が玄関から出てきた、その後ろに民宿の主人らしい老夫婦もいた。夫の方は穏やかそうだが、妻の方はどこか神経質そうだ。
夫の方が何かを言う前に妻の方が前に出てきて、生駒隊の面々をじろじろ値踏みでもするように見てきた。他の面々を見ても、ふーんと言った様子だったが、隠岐を見る目だけは違った。
「本部の人たちって意外と普通なんだね……。でも、あんただけは男前だねえ」
どこかウキウキした様子で言う彼女に思わずすっ転びそうになるところだった。夫のいる老婆さえもこんな様子を見せるのだから自分は余程罪な見た目をしているらしい。
「ああ、ごめんねえ。俺もつや子もアズちゃんたちを見ることはあっても、本部の人を見るのは初めてだったから。もっとすごくて厳ついと思ってた」
「防衛隊員とはいえ、普段は普通の学生やってますからね。普通ですよ、そら……。俺とかトリオン体にならんかったら、だいぶ体力ない方やと思います」
「ああ、そうだった。ごめんねえ」
水上の回答に老人は申し訳なさそうに笑う。どうやらこの民宿に来たことがあるのは小豆畑ら、早沼支部の面々だけらしい。
「ようこそ、この民宿の主人の武内です。こっちは妻のつや子。本格的に本部の部隊を受け入れるのは初めてですが。この三日間、できる限りサポートしていくつもりなのでよろしくおねがいします」
老人……武内が妻のつや子と共に丁寧に頭を下げてくる。生駒もサングラスを取ると二人に頭を下げた。続いて、他の四人も頭を下げる。
「生駒隊隊長の生駒達人です。こちらこそ、お世話になります」
実家で居合道をやっているだけあって、頭を下げるその姿は丁寧だ。
「それじゃあ、まず部屋まで案内します。荷物を置いたら、施設を案内するからね」
お互い、頭を上げてから武内はそう言って微笑んだ。海沿いの合宿訓練の始まりである。
母屋である民宿は一階に台所と食堂と風呂、そして武内夫妻の居住スペースがあり、その二階に六畳ほどの客室が五部屋あった。今回はその五部屋すべて貸切にしていて、生駒と水上、隠岐と海、丸と颯太、小豆畑、そして真織と安喜の女子二人で振り分けた。小豆畑がしれっと一人部屋に収まっているが、彼が練習メニューを決めたり、体調不良者の面倒も見るので妥当な判断である。
民宿の隣にある鉄筋コンクリートの建物はやはりボーダーが建てた訓練施設であった。一階には本部の個人ランク戦ブースのようにトリオン消費なしで個人での模擬戦ができるブースが二つと部隊同士での対戦ができる大きな訓練室があり、二階に十人分の緊急脱出用のマットが置いてあるマット室とオペレーター用のパソコンが二台あるオペレーター室があった。本部のものほどではないが、こんなに小さな建物の中にこれだけあれば十分だ。
「こんだけ設備整ってんのはええけど、正直、トリオン体での模擬戦とか本部でやったらようないですか? 正直、体力作りも三門市のジム行くなり、ジョギングでもしとったらええ話やし」
埃ひとつないオペ用のパソコンを手持ち無沙汰に撫でながら、水上が小豆畑に訊ねる。面倒くさがりの彼らしい質問である。
「そんなん決まっとるやろ。みんなで海沿いの民宿で合宿やで? なんかテンション上がって、楽しい感じするやん」
すかさずそれに答えたのは小豆畑ではなく生駒であった。表情は真顔のまま、手は拳を作り、口調もかなりの力説をしている。
「いや、合宿とか大阪から来てる俺らはいっつも合宿してるみたいなもんでしょ」
「自分、ホンマわかってへんなあ。いつもと違うところにおるのがええねんやん。お祭りみたいで楽しいやろ。それに俺らだけやなくて、いつも支部におる安喜ちゃんらもおるし」
「……どないなんですか、小豆畑さん」
水上は自信満々に力説している生駒から視線を小豆畑にうつす。
「生駒くんの意見が大方正解。個人で模擬戦を行うっていう同じ行動でも本部でやるのと、ここでやるのとはだいぶ気分が違う」
「あー、そうですね。確かに海って見るだけでちょっと開放的になるもんなあ」
「わかるっす! なんか来るだけでテンション上がるって言うか!」
小豆畑の回答に「ほら、言うたやろ」と言わんばかりに生駒が頷いている。隠岐も概ね生駒や小豆畑と同意見だったので、ふんふんと同じように頷いた。海も同調してはしゃいでいるが、こいつはどこでもそうだろう。
「あと……生身の体力作りって、水上くんみたいな人はこういうときくらいしかやらないでしょ。大学の体育もどうせ座学にしてるんだろうし、これを機に運動してみたらどうかな」
小豆畑にニコニコしながら指摘されて、水上が黙ったのを見て、安喜が噴き出す。水上は静かに安喜の隣に行くと思い切りヘッドロックを喰らわせていた。女の子に技をかけるのはどうかと思うがまあ、安喜の不注意なので仕方がない。
「ちょっと待って! わたし何も言うてへん!」
「目ぇが「ホンマそれ〜! センパイ、ホンマに運動せえへん!」って言うとる」
「え〜、ホンマのことやないですか〜!」
「そういうところが腹立つねん」
安喜がギャーギャー言っているのを見て、颯太は少しおろおろしているが、他のメンツは引き続き、施設を見て回っている。隠岐も真織がオペレーター用のパソコンを立ち上げるのを見ていたが、まだ二人の側でおろおろしている颯太を見かねて、声をかけることにした。
「あの二人はいっつもそうやから気にせんでええで。颯太も見たことあるやろ」
「でも、ケンカは良くない……」
「あれが一種のコミュニケーションみたいなもんやねん。別に喧嘩とかそういうんとちゃうから。ホンマに喧嘩しとったら、あんな風に絡んでへんであの二人」
オペレーター用のパソコンに視線を向けたまま、真織が言う。その表情はどこか苦々しかった。颯太は首を傾げていたが、隠岐にはわかる。彼女の脳裏には安喜が荷物を持って、生駒隊の作戦室を出ていく後ろ姿が映っているのだろう。隠岐もそうだ。
「颯太もマリオみたいにオペ用のパソコンの確認したらええやん」
「合宿中は隣同士やし、色々情報交換しよ。颯太がどうやってるんかウチにも教えてな」
「……うん、わかった」
やっと、颯太が二人から離れて、隠岐と真織の方へとやってきた。颯太は内気すぎる性格もあるし、何より支部のオペレーターだから、あまり他の部隊のオペレーターと情報交換することは少ないだろう(宇佐美や今といった、他の支部のオペレーターと関わっていることも無きにしもあらずだが)。
颯太もデスク前のイスに座って、オペレーター用のパソコンの電源をつけたところで丸が「お前ら、下のブースで決着つけろ!」と怒鳴るのが聞こえてきた。どうやら、どちらかがぶつかったらしい。
「おい、そんなんしたら、俺が負けるやろ」
「颯太〜、わたしのトリガー、いつもの射手用のセットにするから! あ、パソコン立ち上げてる! さすが颯太、用意ええな〜!」
「え?」
水上の攻撃を切り抜けてきた安喜がニコニコしながら、颯太に自分のトリガーを差し出した。突然のお願いに颯太は冷や汗をかいていた。
今回の合宿での第一戦は水上対安喜に決まった。
[戻る] [TOP]