旧生駒隊


 なゆたは二月までになんとかすると豪語したものの、未だに人を撃つ決心をできないでいた。そんな自分が情けない。
 きっと、作戦室に行けば水上あたりが進捗を訊ねてくるだろう。追求されるのが怖くて、防衛任務前の打ち合わせ以外で作戦室に近寄らなくなっていた。幸い、高校生と中学生であるから、気をつければ水上と顔を合わせずに済む。日に日に彼への苦手意識が高まっていた。
 隠岐と真織とは同じクラスだから頻繁に会うが、彼らはそのことについて訊ねることはなかった。気を遣わせているのをひしひしと感じて申し訳なくあったが、彼らに甘えている。彼らにも、生駒にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 生駒隊のメンツを避けるために個人ランク戦会場にも、食堂にも、ラウンジにも近寄らなかった。真織たちより早く起きて、本部から学校へ登校し、防衛任務前の打ち合わせは終わればすぐに作戦室を飛び出していった。それでも、防衛任務の連携はうまくまわるのだから、不思議な話である。
 生駒隊で何かあったのか訊かれるのが嫌でクラスのボーダー隊員とも話さなくなり、誰とも遊ばなくなって、なゆたは放課後の時間を持て余した。本部の自室にこもって、勉強をするようなタマでもない。それに本部にいれば、誰かと会ってしまう。
 最近放課後はいつも、まず早沼支部へ遊びに行き、晩ごはんを食べさせてもらってから、ぶらぶら夜遅くまで警戒区域を散歩したり、街へ繰り出すようになった。制服のままでは怪しまれたり、補導されたりするので支部でいつも持ってきた私服に着替えさせてもらっていた。そのときに事情を訊かれることはなかった。
 早沼支部のビルは一階が地域住民の窓口、二階が一般職員の事務所、三階から上が支部所属の防衛隊員の居住スペースになっている。なゆたが遊びにいくのはもっぱら三階だ。今日も共用スペースである居間で颯太ら支部所属の隊員と共に台湾カステラをご馳走になっていた。
 提供者は支部所属の攻撃手・島崎薙沙しまざきなぎさである。二十歳ながらすでに一児の母であり、梨子という娘を支部長に預けて、日々防衛任務にあたっている。ちなみに夫は本部でエンジニアをやっているらしい。人妻である彼女はここに住んでいるわけではないが、割と入り浸っていて、晩ごはんなどを作って帰っていく。
「ねえねえ、なゆた。部隊の人たちと仲悪いの? 最近めっちゃここ来てるじゃん」
 なゆたが台湾カステラを食べているのを眺めながら、薙沙が訊ねてきた。薙沙の隣ではその娘の梨子が赤ん坊用のせんべいを食べている。
「エッ? そんな、仲悪いとかそういうんちゃいますよ。でも苦手な人はいるっていうかなんていうか」
「じゃあ、あんまり仲良くないんじゃん」
「その人だけですよ」
 水上以外との関係はまだそれなりにいいと思っている。防衛任務前の打ち合わせで生駒とは普通に会話しているし、真織と隠岐はクラスの良き友人だ。しかし、水上とは意図的に目を合わせないようにしている。それを察しているのか、彼がなゆたに話しかけてくることもなかった。
「その人が嫌やから作戦室に行ってへんようなもんやし」
「めちゃくちゃ嫌いじゃん、その人のこと」
「嫌いちゃうんですよ。苦手なだけです」
 好きか嫌いかで訊かれたら、嫌いではないと答える。あれでも頭以外にいいところはあるのだ、あれでも。それなら好きなのかと訊かれれば、正直わからなかった。
 というか、元々は水上のことをもう少し好きだったように思う。同じポジションの先輩として個人ランク戦がしたいとウザ絡みするくらいだった。それに蔵内を始めとした彼と同年代のメンツとは彼繋がりで仲良くなったのだ。
 あれだけウザく絡まれたら、水上の方が自分を嫌いになっていそうだと今になると思う。
「なんかよくわかんないね、それ」
「好きか嫌いかで割り切れへん、ということで……」
 ふーん、と薙沙が相槌を打ったのを見て、うまいこと落とし込めたと内心ほっとする。
「その苦手な人ってどんな人なの?」
 今度は薙沙以外の人間から質問が飛んでくる。支部所属の狙撃手の小豆畑郁都あずはたいくとだ。十九歳ですでにボーダーに就職している彼は支部で一般職員として働く傍らで防衛隊員もやっている。ガタイのいい男でなゆたが見上げれば、首が取れそうなほど背が高い。だが、ちゃんと中腰で屈んだり、脚を開いたりして、視線を合わせてくれる優しい男なのだ。配慮ゼロの水上とは違う。
「めーっちゃ頭良くて、オセロやるとすぐ四つ角取られるんですよ。大人気ないですよね〜。普通にめんどくさがりで性格悪いし、まだ死体の方がイキイキしてるってくらい顔死んでるし、髪はボンバーすぎてブロッコリーみたいになってるし、ぼーっとしとったら口笛吹いとるんか? ってくらい口とんがらしてるし。あの人、完全に顔面はアウトやし、頭のデキだけが取り柄なんですよ、多分」
「いや、普通に悪口じゃんそれ」
「なんか、昔、将棋でプロ目指してたみたいで、めっちゃ強いらしいんですよ。ウチは将棋やったことないからどんだけ強いかは知らないんですけど」
「へえ、将棋か……名前は?」
 なゆたの水上への悪口は全スルーで小豆畑は将棋という言葉にだけ食いついてきた。彼も将棋をやっていたというから、やはり気になるのだろうか。
「水上敏志っていうんです。ボーダーの端末で生駒隊って調べたら、多分出てきますよ。あ、もしかして小豆畑さん知ってはる?」
「まあ、昔ちょっとね。へえ〜……今はボーダーにいるんだ」
 なゆたが答えると小豆畑は一人でなにやら納得している。あ、これ、めっちゃ知ってる感じだ。三門と大阪はかなり離れているが、一体どこで会ったんだろう。
「小豆畑さん、どこでその人と知り合ったの? 大阪の人なんだよね?」
 端でカステラを食べていたオペレーターの古賀颯太がなゆたの代わりに訊いてくれる。
「あ、気になる? ぼく、高校の途中まで奨励会に入ってたから、そのときに一度対局したことあるんだよね。東西交流会みたいなイベントで。それも、大規模侵攻の日に。あのとき、ぼく、大阪にいたんだ」
「そっか、いくとくん、将棋四段って言ってたもんね」
 薙沙が相槌を打っている。さらっとプロ棋士だったと言っているが、それってかなりすごいことなんじゃないだろうか。突然、乳が恋しくなったのか梨子が泣き出して、「ちょっとおっぱいあげてくるわ」と言って、薙沙が席を立った。
「対局は終わらせたけど、その後の振り返りができなかったんだよね。三門市が大変なことになってるから、すぐ帰れって言われて。結構面白い対局ができただけに残念だったなあ。なゆたちゃん、今度水上くん紹介してくれない?」
「あの、小豆畑さん、これまでの話聞いてました?」
 自分は今、水上のことを避けているのだが……。しかし、小豆畑は「聞いてる聞いてる」と笑うばかりである。
「でも、なゆたちゃん、そこまで水上くんのこと苦手そうに見えないから。むしろ好きっていうか……。なんか……今だけ、なにかわけがあって避けてるって感じがする」
 小豆畑はなかなか鋭い。しかし、相手が相手だけにものすごく否定したくなる。いやいや、そんなことないです。絶対ないです。そう言っても、小豆畑は微笑ましげに笑うだけなんだろう。
「何があったかは知らないけど、一度水上くんたちと話した方がいいんじゃないかな。ずっと一人でもやもや考えてる感じするし。何も解決できてなくても、一度思い切って全部話した方がいいと思う」
「小豆畑さん……」
 小豆畑の言うことはもっともだ。くよくよ考えるよりも自分の現状をみんなに知ってもらう方がずっと建設的なのはわかっている。しかし、どうにも怖くて言い出せないのだ。
「今度、ぼくがついていってあげようか?」
「いや、こういうのは自分一人で話した方がいいと思いますし……」
「そう? いくらでも助けになるよ」
 小豆畑の申し出は本当にありがたいし、なんだったら、ついてきてほしいくらいなのだが、いきなり生駒隊の作戦室に水上以外面識のない小豆畑を連れて行くのはどうかと思うし、やはりこういうことは自分の言葉で告げてこそだ。断腸の思いで小豆畑の申し出を断った。
「なんで、センパイとは小豆畑さんが個人的に会うてください」
「いや〜、いきなり行ったら、水上くんにお前誰やねんとか言われない? あっちは忘れてるかもしれないしさ」
「あの人、記憶力異常にいいから大丈夫ですよ。多分」
 昨日動画で見たという対局の盤面を記憶だけで並べる男である。この前なんて、半年前に後一円が足りなくて借りた一円の返却を要求してきた。なゆたはすっかり忘れていたというのに。二年前に会った小豆畑のことだって覚えているであろう。多分。覚えていなくても、多少不審に思いながらも、彼なら適当に取り繕うだろう。多分。無責任なことを考えながら、なゆたは親指を立てた。
「ていうか、そろそろごはん作んなきゃじゃん」
「え、もうそんな時間なの?」
 授乳をしていた薙沙が眠っている梨子を抱いたまま戻ってくるなり、驚きの声をあげる。すでに時計は午後五時近くを指していて、颯太も驚いていた。
「なゆたがいると楽しくて時間溶けるよね〜。あ、ごはん食べてくよね?」
「はい。なぎささんのごはん、おいしいし」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん。腕によりかけるからね」
 梨子のこと見てて〜、と言って、赤ん坊を差し出してきたので快く引き受けた。赤ん坊はお腹いっぱいになっているからか、気持ちよさそうに眠っている。台所へ向かった薙沙の後を「手伝うよ!」と言いながら、颯太が追いかけていった。
「マルは食べてく?」
「給食あるからいらねえ」
 夕飯の準備をしている音に混じって、薙沙ともう一人の支部隊員の声がした。どこか尖っている彼はいつもなゆたを邪険にするので、内心鬱陶しく思っていた。いや、彼もなゆたを鬱陶しく思っているのだろうが。
「うわ、チビ。また来てんのかよ、クソチビ。チビのくせに来てんじゃねーよ」
「発言した三秒の中でそんなにチビ入れる必要ある?」
 居間にやってきた隊員……丸縁助まるえんすけは心底鬱陶しそうになゆたを睨む。基本的にみんなからマルと呼ばれている彼は働きながら定時制高校に通う高校生である。昼間は防衛任務かアルバイトに勤しみ、夕方から学校に行っている。
 ぶっきらぼうだし、金髪だし、八重歯が鋭いからヤンキーに見えるが、こう見えて勤労学生なのだ。小豆畑曰く、大規模侵攻で医者だった父親を亡くしているらしい。専業主婦だった母親と共に働いて、相当苦労をしているようだ。そのせいなのか、大規模侵攻の頃にこの街におらず、関西からスカウトされてやってきて、高待遇を受けているなゆたを目の敵にしている。ちなみになゆたは丸のことを好きでも嫌いでもない。しかし、やたらトゲトゲした態度は普通に鬱陶しい。
「チビまた来てんのかよ」
「行くとこないねんもん」
「チッ、早くおともだちと仲直りして、本部に帰りやがれ。クソチビ」
 そう吐き捨てるように言って、丸は階段を降りていった。もしかして、彼なりになゆたのことを心配してくれていたのかもしれないと一瞬思ったが、三秒で暴言と共にチビという単語を三回吐き出せる男である。多分それはないとすぐに考えを改めた。
「まあ、マルの言う通り、早く仲直りしなね。同郷の人たちと揉めるのって悲しいし、中学生の女の子が夜の街をぶらぶらしてんの、本当に良くないから」
 丸の発言を数万倍優しくして、小豆畑が微笑む。警戒区域を歩き回っている話をしたことはあるのだが、夜の街を歩いている話をしたことはない。一体、彼はどこでそれを知ったのだろうか。
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