旧生駒隊A


 ここのところ、なゆたにあからさまに距離を置かれている。理由は知らない。
 自分たちが朝食を食べている時間にはもう登校してしまっていて、防衛任務前の打ち合わせは終わるとすぐに作戦室を飛び出して行ってしまう。あれだけ個人ランク戦が好きだったのに個人ランク戦会場にもいないし、ラウンジにもいない。
 隠岐と真織は学校で会うが、授業やテストのことなど、当たり障りのない話しかしないらしい。もっと突っ込んで訊け。
 打ち合わせでも、他のメンツとは気軽に話している。ただ、水上相手にだけ態度が固くなるのだ。この間、「半年前に貸した一円を返せ」などと適当に理由をつけて声をかけた。正直、一円などもうどうでもよかったのだが、何かきっかけが欲しかった。
 水上が声をかけただけでビクーッ! となゆたは大袈裟に肩が跳ねさせ、何故か足をもつれさせてすっ転んだ。生身で制服のブレザー姿だったのだが、まあ普通にパンツは丸見えになっていた。彼女と一緒にいるとよくあることなのでもう慣れている。色気もへったくれもない。生まれたての子鹿のようにプルプル震えながら立ち上がると「は、はひ……い、一円、でふね。ごめんなさい。ふ、ふへ……」などと震え声で言いながら、カバンから財布を取り出して、千円を差し出してきた。「九百九十九円も小銭持っとるわけないやろ」とツッコむとまたビクーッ! と彼女が跳ねた。ボケたのかと思っていたが、ガチで間違えていたらしい。ごめんなさい、ごめんなさいと謝りながら、小銭入れから一円を出して、水上の手に握らせるとなゆたはすぐに走り去っていった。他の話をする隙もない。なんだか、一円をカツアゲしたような……悪いことをした気分になった。ちなみに一円玉は手汗でびっしょり濡れていて、静かに隊服のズボンで拭いた。
 本当に水上がなゆたにカツアゲをしていたなら、この反応は妥当だが、実際に個人ランク戦でポイントをカツアゲされているのは水上の方である。ついでに真織とつるんで食事をおごれと要求されることもある。正直、被害者はこっちの方だった。
 いや、本当に何かしただろうか。セクハラ方面は気にするようなタマではないし、そもそも水上にそういう興味がない。何かひどいことを言った覚えもない。正直なところ、何が良くないのか、どこが良くないのか、何をやらかしたのかを教えてほしい。
 人を撃てないことについて、隠岐にはそっとしておけと言われたが、なゆたの現状を知りたい。自分一人で解決できそうならばそれでいいのだが、何だか無理そうな気がするのだ。彼女が以前のようになれるのならば、みんな、いくらでも協力するだろう。
 なゆたは人は撃てなくても、トリオン兵は攻撃できている。今朝の防衛任務でも壁を走り、身軽に跳ねて、巨大なバンターの口に分割なしのメテオラを二つ放り込んで爆発させていた。防衛隊員としての義務はしっかりこなしている。だが、B級ランク戦ではそうもいかない。どうしても人同士で戦う必要がある。
 あと一週間ほどで次のランク戦が始まる。どうにかして、彼女と話がしたい。ダメならダメとはっきり言って欲しいし、もう回復しているならそれが一番いい。
 もう回復してランク戦会場にいたりしないだろうか。そんな一縷の望みを抱いて、水上はC級隊員と猛者渦巻く、ランク戦会場に足を踏み入れた。
 ブースには目も暮れず、すぐに彼女を探し始める。まず、画面でブースの一つ一つを確認するが、なゆたらしい隊員はいない。次はソファーや観葉植物の裏を確認する。いない。
「あ、水上くんおつかれさま」
 会場のゴミ箱を覗き込んでいると同じ学年の北添尋きたぞえひろが声をかけてきた。隣には彼の悪友である影浦雅人かげうらまさともいて、無言で睨みつけてくる。
「ゾエとカゲか。お疲れさん」
 なゆたはおおらかな北添に結構懐いていた。ひょっとして体格の大きな彼の後ろに隠れているのではないかと思って、すぐ彼の背中を確認する。やはりいない。少しガッカリする。
「えっ、急にどうしたの?」
「いや、おらんなって思って」
「えっ、何? ゾエさん、背後霊でも連れてるように見えた?」
「まあ、似たようなもんやな。今それを探してんねん」
「背後霊を? 水上くん、いつからゴーストハンターになったの?」
「いや、そんなわけないやろ」
 北添がわかりやすくボケたのですかさずツッコミを入れる。誰が好き好んで他人の背後霊を集めるものか。それに水上はそういうものが視える人間ではない。なお、このとき、北添の脳裏では『ゴーストハンター・サトシ』という新番組が始まっていた。
「つーか、今日はアイツいねえの? 面白忍者チビ」
「俺、忍者とか連れ歩いた覚えないねんけど」
「ちがうちがう。ほら、やすきちちゃんだよ。水上くんがここ来るときはだいたいやすきちちゃんと一緒でしょ」
 影浦のことばを北添がほほん、とした調子で翻訳する。なるほど、なゆたは陰で忍者扱いされているらしい。それにしてもいつも一緒にいる扱いされているのは少し不服だ。彼女が一番一緒にいるのは多分真織か隠岐だろうし、正直水上とはそんなに一緒にいない。本当に、ここに来るときだけなのだ。
「それ、俺が聞きたいわ。俺にもあいつがどこおるかわからんねん」
「うーん、ごめんね。水上くんがわからないなら、ぼくたちもわからないかな。やすきちちゃんってまだ中学生だし、ここ以外会うところってないんだよね。ところで、チジョウのもつれ?」
「なんでやねん。なんか知らんけど、俺、あいつに避けられてんねん。正直、防衛任務くらいでしか会わん。意図的にあいつだけ食事の時間ずらしとる。打ち合わせでも他のメンツとは普通に話すくせに俺にだけやたらオドオドしてなんか気持ち悪いねんな」
「反抗期じゃない? ほら、水上くんってやすきちちゃんの父親みたいなところあるし」
「あんなデカい娘おらんわ。なんか気持ち悪いねんけど、訊かなあかんことあるし、どうにもままならん……どこにおんねんやろ」
 そんな大きな子どもがいる父親になった覚えはない。北添の説は即座に却下して、腕を組んで、さらによく考えてみる。
「アイツのことだから、忍者みてーに気配消してんじゃねーの? そういうサイドエフェクトだろ」
「ああ、サイドエフェクト」
 先天的に気配が存在しないというあのサイドエフェクトのことを今更思い出す。そういえばそういうのあった。
「まあ、オレは効かねーけど。お前が見つけられなくても仕方ねーんじゃね?」
「あいつ、うるさいからカゲもそうとうチクチクするんちゃう? いつもすまんな」
 影浦のサイドエフェクトである感情受信体質がどういうものかは知らないが、あれだけうるさいのだから彼も相当ダメージを喰らっているのではないだろうか。うちのなゆたがすみません。ちょっとした親心でそんなことを口にする。
「あ? お前の感情の方が痛え。忍者チビは口開けばうるせえけど、感情の方はいつも静かだからあんま刺さんねえ。それがなんかおもしれえ」
「あ、だから、面白忍者チビ」
 ぽん、と納得したように北添が両手を合わせた。思った以上にどうでもよかった。しかし、自分の感情がなゆたのものより痛いというのはちょっとショックだった。自分は感情が大きく揺るがないタイプだと思っていた。それにしてもその無意味なギャップは一体なんなのか。
「あ〜、やっと見つけた! おーい!」
 何やら遠くから誰かが誰かを呼んでいる声が聞こえてくる。それ自体は個人ランク戦会場ではよくあるやりとりなのでいいだろう。しかし、やたらと鮮明に聞こえてくる。まるで、その人物が水上を呼んでいるようだ。正直、あまり聞いたことのない声なので、不審に思いながら、声がした方を向く。北添と影浦もそれに続いた。笑顔を浮かべた知らない男が大きく手を振りながらこちらへやってくる。誰だ。
「君、水上敏志くんだよね? 関西奨励会の」
 見たことがない濃紺の隊服を着た男はニコニコしながらまっすぐ水上に話しかけてきた。ボーダーのサイトで公開されている正隊員名簿に名前は載っているので、フルネームを知っていることはあり得ないことではない。しかし、自分が将棋をやっていたことなんて一部の人間しか知らないのにどうしてこの知らない男が知っているのだろう。
「……どちらさんですか?」
「ええっ! ぼくだよぼく!」
 丁寧なオレオレ詐欺だろうか。北添と影浦は知り合いなの? と言わんばかりの視線を水上に向けてくる。知らない人である。
「まあ、二年前だもんなあ。忘れてても仕方ないかあ……」
 腕を組みながら、男はブツブツ言っている。その隙に北添と影浦はこれは好機と思ったのか、まあ、積もる話もあるだろうし、と言って、去っていった。正直なところ、一人にしないでほしい。
「でも、なゆたちゃん、記憶力が異常によくて、こないだ一円玉カツアゲされたって言ってたし……」
 その中になゆたの名前があることに気がついて、思わず食いつく。いくら知らない人でも、彼の中で自分が一円をカツアゲした男にされていても、なゆたを探す手がかりになるならどうでもよかった。
「なゆたを知ってるんですか?」
「うん。うちによく遊びに来るから。でも、そんなのいいじゃん。あ、ぼく、早沼支部所属のA級フリー隊員の小豆畑郁都です。二年前、ぼくと君は大阪で会ったことあると思うんだけどなあ」
 小豆畑、二年前、大阪……頭の中で記憶を整理しながら、小豆畑の顔を見る。四年前、三門市では大規模侵攻があった日のことを思い出した。その日、自分はやたらガタイのいい、三門市の六穎館高校の制服を着た男と対局をした。ちょうど、その顔がこの男と同じ顔だった。ちょっとしたアハ体験を感じる。
「ああ……あのときの」
「やっと思い出してくれた?」
 存外記憶力良くないんだ。彼の発言にちょっとイラッとしたが、忘れていたのは本当なので何も言わないでおく。そういえば、なゆたが背中に怪我をする原因になったオペレーターは早沼支部所属だった。今の今まで記憶の隅に追いやっていたことが悔しい。
「結構面白い対局だったよね。なゆたちゃんから水上くんが生駒隊にいるって聞いたから、あのときできなかった振り返りをしたいと思ってここに来たんだけど……盤面覚えてる?」
「それは覚えてますけど、今はなゆたの話を聞きたいです」
「好きなんだねえ……」
「いや、普通にちゃいますけど」
「まあいいか。今の時間なら支部にいるかも。支部に行こう。後でちゃんと振り返りするってことで」
「俺も気になっとったんでいいですよ」
「じゃあ、車で行こう」
 二人は個人ランク戦会場を出ると換装を解き、そのまま駐車場に向かった。彼の愛車は支部所有の軽トラックだった。何故軽トラ。なんとも言えない感情を胸に助手席に乗り込んだ。運転席の小豆畑は弄っていたボーダー支給の端末を車内のフォルダーにセットしてから、軽トラを走らせ出した。
「あいつ、支部で何やってるんですか?」
 軽トラが駐車場を出た頃、水上はぽつりと口を開いた。窓の外には放棄された住宅街が広がっている。この辺りは比較的形が残っている地域だ。
「おやつ食べて、他の隊員と楽しくしゃべって、子どもと遊んで、晩ごはん食べて帰って行くよ。その後は警戒区域や街をふらふらしてるみたい」
「何遊んどんねん、あいつ」
 お前が今やらなあかんことはそんなことちゃうやろ。小豆畑に言っても仕方がないので心の中に留めておく。これは彼女に会ってから言わねばならない。
「別に遊んでもいいんじゃないの? 学業と防衛任務はキチンとしてるわけだし。普段は遊んでても、ぼくは何も思わないよ。まあ、夜に出歩いてるのが心配っていうくらいかな」
 首を傾げながら、小豆畑が言う。彼は彼女が置かれた状況を知らないからそんなことを言えるのだ。後一週間でランク戦が始まる。それまでにコンディションは整えておきたい。
「支部所属の人はそうでしょ……。特に小豆畑さんはA級みたいやし、関係ないやろけど。でも、後一週間でランク戦始まるんですよ。あいつはイコさんと並んでエースやし、それまでに人が撃てへんのはどうにかしてほしい」
「なゆたちゃん、人が撃てないんだ」
「なんか、今年入ってからそうみたいで。小豆畑さんはどう思います?」
「いいんじゃないの、別に。防衛任務には問題ないし」
「ランク戦では問題あるでしょ」
「あの子は人を撃てようが撃てまいが、それなりに使える子だと思うよ。サイドエフェクトも便利だし、トリオン量も十分すぎるし。君なら十分使えるでしょ」
 小豆畑は何でもないことのように言う。
「ていうか、ぼく、ランク戦って嫌いなんだよね。ボーダーの本分って、三門市の防衛なわけだし、あんなちょっとした部活の大会みたいことする必要ある? っていつも思ってる。ぼくたちがやらなきゃいけないのはサバゲーじゃないでしょ。隊員の戦闘技術研鑽や隊員の実力をはかるのにはいいんだろうけどさあ。ぼく、A級部隊の隊長だったんだけど、そういうのがなんか嫌で部隊解散したんだよね。ちょうど、隊員も大学進学で地方に行っちゃう子ばっかりだったから問題なかったし。あと一つ、理由があるんだけど……」
 そこまで言って、小豆畑ははあ、とため息を吐く。
「あ、着いたよ」
 それ以上何も言わずに小豆畑は支部の敷地内に軽トラックを停めた。それ以降は何を話すこともなく、二人は裏口から支部のビルに入った。
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