旧生駒隊B


 小豆畑の言う通り、なゆたは早沼支部にいた。赤ん坊を抱っこしながら、女性隊員と小学生くらいの少年と楽しげに会話していた。呑気に話す姿を見ていると何か一言言ってやりたくなった。
「なゆた」
「ゲェッ、センパイ!」
 いきなり水上が名前を呼ぶとなゆたは驚いて顔を上げた。そして、オドオドした様子で赤ん坊を女性隊員に引き渡す。また、逃げる準備だろうか。
「いや〜、なゆたちゃんのおかげで水上くんと再会できたよ! ありがとう! でも、水上くん、一円玉のことは覚えてるけど、ぼくのこと覚えてなくて、ぼく、水上くんの中で一円玉以下だったんだなって思って……」
「お前こんなとこで何やっとんねん」
 やたら雰囲気がシリアスになってきたのに小豆畑はすごくどうでもいい話をしている。多分、どうでもいい話をしないと死ぬ人種なのだろう。きっと、生駒も同じだ。
「えーっとあーっと……おやつ食べて、なぎささんと颯太とおしゃべりして、梨子ちゃんと遊んでました。あの、この後、晩ごはんもいただく予定です」
「正直者か。どんなけお世話になるつもりやねん」
「あ、今日晩ごはん作るのぼくだよ」
「やった! あ、すみません……」
 小豆畑がニコニコしながら手を挙げるとなゆたがガッツポーズをする。睨むとすぐにさらに小さくなってやめたが。それにしても小豆畑がかなりどうでもいいノリで割り込んでくる。すごく邪魔だ。
「水上くんもどう? 食堂のごはん食べ飽きたでしょ?」
「いや、いいです……。ていうか、小豆畑さんちょっと黙っとってもうてええですか?」
「えー。じゃあ、ちょっと出てくるね」
 端末片手に小豆畑が階段を降りていく。女性隊員は赤ん坊を抱っこしたまま、水上を睨んでいるし、少年は彼女の袖を掴みながら、心配そうにこちらを見ている。それでもこちらの会話に介入するつもりはないらしい。
「自分でなんとかする言うてから結構経つけど、人は撃てるようになったんか?」
「…………なってません」
 そう言って、なゆたはうなだれた。あれだけ自分たちのことを避けていたのだからそういうことだろうと思っていた。それなら、後一週間で彼女の症状をどうにかマシな方へ整えるだけだ。
「ほな、あと一週間でどうにかせんとあかんな。本部戻るで」
「そう、ですよね……わかりました」
 うなだれたまま彼女が答える。明らかに乗り気ではないのがわかる。
「一週間何かしてもどうにもならんかったら、ウチ、どないしたらいいですかね?」
「どうするもこうするも、どうしょうもないやろ。地元帰ったらええんちゃうか? 幸い、お前がおらんでも連携は上手くいくし、マリオも戦闘員三人の方が楽やろ」
「……ウチは生駒隊にいらんってことですか?」
「別にそんなん言うてへんやろ」
「……ウチがおらん方が連携上手くいくし、マリオもオペが楽なんでしょ。それ、ウチがいらんってことやないですか。人が撃てへん駒はいらんから、さっさと地元帰れってことですよね」
「俺そんなこと言うてへんやろ」
「言うてるやないですか。自分が言うたこと、頭ん中でもう一回、再生してみてくださいよ。それでわからんかったら、相当アホか、人間の心ないかですよ」
 残り一週間、彼女が少しでも快方に向かうよう手伝いたいだけだし、どうにもならなくても、彼女がいなくても部隊はどうにかなるから心配するなと伝えたはずなのに、これまで見たことがないくらいなゆたは俯いていた。
 自分の存在価値に悩んでいる人間に対して、かなりまずい言い方をしていることに水上はまったく気づいていない。優しく言ってやっているのになんでそんな態度を取るんだとすら思っている。普通に人の心がない。
「地元帰りたないんやったら、はよ行くで」
「いやです。センパイに言われたら絶対行きたくなくなりました」
 なゆたがぎゅうっと制服のスカートを掴む。テコでも動かない心づもりなのか、足も踏ん張っているようだ。なんでこいつはいっつも俺限定にこんな態度取んねん。ちょっとイライラしてきた。
「またお前はそんなこと言うて……」
 そう言って、なゆたの左手首を掴むとやっとその顔を上げる。見たことがないくらいに目元が腫れているし、ぼろぼろ涙も流れている。思わず、ギョッとしてしまった。
 これまで、なゆたが泣いているのを見たことがない。自分で置いた置き弾で緊急脱出したときも、間違えて水上のうどんに七味を一瓶入れてしまったときも彼女を怒ったのだが、へらへら笑うばかりで泣くことなんて一度もなかった。背中をモールモッドに斬りつけられて入院したときも少しキツいことを言ったはずなのに彼女は泣かなかったのだ。
 それが今は泣いている。かなりまずい状況だということはさすがの水上でもわかった。
「なんで泣いてるん?」
 また、まずい訊き方をしている。
「ウワッ! いやや! 触らんとって!」
 なゆたの叫び声もなかなか言葉チョイスを誤っている。まず、ウワッからアウトだ。
 何度かブンブン手を振っても手が離れないからか、彼女の右手がトリガーを握る。あっという間に換装して、思いっきり水上の手を振り払うと瞬く間に窓を開け、そこから飛び降りてしまった。
 一瞬のうちに色々ありすぎて、水上も、女性隊員と少年も呆然と警戒区域へと走り去っていく隊服姿のなゆたを見つめていた。
 彼女の後ろ姿が見えなくなると背後が何やら騒がしくなる。振り返るとさっき出ていった小豆畑の他に生駒と隠岐と真織の姿があった。どうしてここに来ることができたのだろう。小豆畑が連絡でもしたのだろうか。
「間に合わんかったか……」
 水上しかいないのを見て、生駒が呟く。いつになく真剣な顔をしていた。
「安喜ちゃんは?」
「換装して窓から出て行きました」
「安喜ちゃんになんか言うた?」
「後一週間で人撃てるようにならんかったら、どないしたらいいですかって訊かれたんで、どうにもならんのやったら、地元に帰るしかないなって……」
「それはあかんって言うたやろ!」
 言ったそのままを伝えると生駒が大きな声を上げる。彼にしては珍しく、これは怒っている。隠岐と真織もびっくりしていた。
「イコさん、落ち着いてください。先輩も多分悪気ないと思いますし」
「ああ、すまん……」
「またあの子警戒区域行ったん? なんでそんな警戒区域好きなんやろ、あの子……」
「今回は換装してるから前みたいなことにはならんと思う」
 三人の会話に口を挟むと真織が睨んでくる。この間のようなことにはなりたくないのか、生駒は口を真一文字に結んでいた。それにしても、隠岐と小豆畑以外の視線が痛い。針のむしろというのだろうか。すごく居心地が悪い。
「とりあえず、探しに行ってあげたら?」
「……そうですね」
 小豆畑の提案に生駒たちが頷いた。彼らの視線が小豆畑の方を向いて、少しだけホッとする。
「今回はなゆたちゃんもトリガー持ってて、換装してるみたいだし、多分オペのパソコンで位置を確認できるんじゃないかな。君、なゆたちゃんの友だちのオペレーターだよね? マリオちゃん、だっけ? よく話聞いてるよ」
「はい。ウチ、マリオやなくて真織なんですけど……。なゆたとは小学校からの友だちです」
「そうなんだ! 面白い名前だなあって思ってたんだけど。颯太、オペレーター室まで真織ちゃんを案内してあげて」
「わかりました! 真織さん、こっちです」
 少年……颯太が大きく頷いて、階段の方へ走っていく。それに真織も続いた。
「他の二人は警戒区域までなゆたちゃんのこと探しに行こう。情報は真織ちゃんが送ってくれるはずだよ。はい、行って行って!」
「は、はい!」
 小豆畑がパンパン手を叩くと弾かれたように生駒と隠岐が換装して、窓から外へと飛び降りて行った。水上も続こうとするとそっと手で制止される。
「君は行かない方がいいよ」
 さっき、泣きながら手を振り払われたことを思い出す。確かに行かない方が良さそうだ。泣くほど怖い先輩が来て、なゆたが嬉しいはずもない。「そうですね」とポツリと呟くと思った以上に惨めだった。
「いくとくん、アタシも探しに行った方がいい?」
「いや、今支部長いないし、なぎさちゃんは梨子ちゃんと親子団欒してて。それで、水上くんはぼくの部屋で将棋でもしようよ」
「は?」
 知り合いが行方不明でそれを他のメンツが探しに行っている状況でこんな提案をしてくるなど、この男、サイコパスなのだろうか。赤ん坊を抱いた女性隊員……なぎさが強く水上を睨みつけてくるが、すぐに赤ん坊が泣き出して、彼女は隣の部屋へと去っていった。なゆたを探しにも行けない。かといって、ここにいるとまたなぎさが戻ってきて、居心地が悪くなるだろう。
「ほら、振り返りするって言ったじゃん。どうせ暇だし、今やろうよ」
「……はい」
 水上が大人しく返事をすると遊びを待ちきれない子どものように小豆畑が階段の方へ走っていく。知らない支部で迷うのは嫌だったので、水上も仕方なくその後を追いかけた。
 彼の部屋に着くと小豆畑がいそいそと脚付きの将棋盤を出してきた。そして、早くやろう! という視線を向けてくる。やっぱりこの男、サイコパスだ。
 将棋盤はきちんと手入れされていて、埃ひとつない。彼にとっても将棋が人生の一部だということがわかる。棋士としての実力は高かったのに、どうしてボーダー隊員になったのだろう。将棋盤を挟んで、向かい合って座ると小豆畑は「あのときの盤面、こうだったよね」と言いながら、記憶と寸分違わず、駒を置いていく。あの日の対局の記憶が蘇ってくるようだ。
「……」
「ぼく、自分が冷静じゃないなって思ったとき、詰将棋するんだよね。ほら、盤上に駒置いてるときが一番冷静になる感じしない?」
 いかにも君もそうだよね? と言わんばかりに訊ねてくるが、水上は試したことがないので黙っておいた。しかし、一箇所、小豆畑に有利な場所に駒が置かれる。記憶と違う。そこは水上の駒が置いてあったはずだ。
「そこ違うでしょ」
 小豆畑が置いた駒をどけて、自分の駒を置く。今は聞く機会も少なくなったパチッという音に少し気持ちが落ち着く。今の自分は思った以上に冷静ではなかったようだ。
「そうだったそうだった。で、こっちがこうで」
「そんで、俺がこう差しましたよね」
 水上も段々ノリ気になって、パチパチ駒を置いていくと「結構覚えてるじゃん」と小豆畑が笑う。この男、サイコパスな上にだいぶ失礼だ。しかし、駒を進めていくと気持ちが本当に落ち着いてくるもので、さっきのことを思い返す。
 自分はかなりまずい言い方をした。なゆたが自分たちにずっと黙っていたのは自分たちとずっと一緒にいたかったからではないのか。それに対して、地元に帰れと言ってしまった。彼女の言う通り、人の心がないとしか言いようがない。しかし、彼女の意に沿っていなかっただけで、水上なりになゆたを心配して言ったのだ。
「将棋の駒に見えるんだよ」
 小豆畑が唐突に口を開き、水上は顔を上げる。しかし、彼の視線は盤上の駒に向けられたままでこちらは見ない。
「ランク戦やってるとね、仲間のことが将棋の駒みたいに見えてくるんだ。でも、相手は生きてる人間だし、ぼくが望んでいるのとは違う動きをすることもある。それを見るとどうしてもイライラしちゃって、一度、終わった後、失敗した仲間を理不尽に怒鳴っちゃったんだ。そのときにぼくはもうダメだって思った。人を人として見られないのは自分でもどうかしてると思うし。だから、ぼくは部隊を解散した」
「……」
 少しばかり耳が痛い話だ。そういう心当たりがないわけではない。もしかしたら、自分なりになゆたのことを心配していたというよりも、なゆたのことを駒として見ていたからあんなことを言ってしまったのかもしれない。しかし……
「こんなはずちゃうかったんですよ」
「じゃあ、どんなはずだったの?」
「……」
「……水上くんはぼくみたいにならないよう、気をつけてね」
 今頃、生駒たちはなゆたを発見しているだろうか。見つけたら彼らはここに帰ってくるのだろうか。彼女に、合わせる顔がない。
 小豆畑が最後の駒を置いて、あの日の盤面が完成した。
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