安喜なゆた


 早沼支部に転属して二ヶ月。知らないうちに四月になっていて、なゆたは高校二年生になった。そして、現在はB級フリー隊員として、他の部隊のヘルプに入ったり、混成部隊に編成されて、防衛任務に当たっていた。働いている小豆畑と丸、戦うママである薙沙と違い、時間を持て余していたので入れる限り、防衛任務のシフトを入れていた。それは颯太も同じようで彼も中央オペレーターのヘルプに入ったりしている。彼の場合は多分、経験を積む意味もあるのだろう。中学二年生になったばかりの彼は虎太郎と共にオペレーターのお姉さんたちから随分かわいがられているらしい。前まで友だちはなゆたちゃんだけと言っていたのに成長したものだ。かといって、なゆたも色んな部隊のメンツと顔を合わせるからか、交友関係が以前よりぐっと広がって、生駒隊にいた頃よりも友だちがかなり増えた。近頃、隊員が増えた、というのもあるかもしれない。
 早沼支部の濃紺の隊服とササユリをモチーフにしたエムブレムにも慣れてきた。どちらも小豆畑がA級部隊・早沼第一(小豆畑隊)として活動していたときのものである。旧ボーダーが前身である玉狛以外は支部の部隊がA級になるとそのエムブレムが支部のエムブレムになるらしい。どうして花なのかと訊ねたら、「前にいた子が花育てるのが好きだったから」と返ってきた。田園風景が特徴的な早沼地域には最適だと思った。
 二月から始まったランク戦は欠かさず見に行っている。四人になった生駒隊はなゆたがいなくても十分強くて、うまく回っている。もう一人、攻撃手を入れたら結構面白いんじゃないかと思って、水上にその話をしたが、「別に四人でうまいこといってるからいらんやろ」と目を逸らされてしまった。冷たい。
 あれから水上のなゆたに対する態度がぎこちない。なゆたの不安が爆発した最後の一押しは紛れもなく彼の一言なので、彼なりに負い目に感じているのかもしれない。それが意外すぎて、まさか、あのセンパイが? アステロイドの雨でも降るんちゃうかとちょっとだけ思った。
 しかし、大半はなゆたが勝手に自分を追い込んでいただけで、彼が負い目に感じる必要はないのだが、まあままならないものだ。なので、出会えば、ごはんをおごってほしい、アイスをおごってほしいと鬱陶しいくらいに絡んでいる。あっちが勝手に引くのならばこっちは元の関係に戻れるまでガンガン押すまでだ。
 放課後、なゆたは本部のラウンジの一角に座っていた。一人ではない。隣には隠岐がいるし、向かい側にはあの鳩原未来がいた。人が撃てない彼女と話がしたくて、狙撃手繋がりで彼女と関わりのある隠岐にアポイントを取ってもらったのだ。
 しかし、鳩原と隠岐は師弟でもないので、関係が薄く、話しかけるのにすごく勇気がいったらしい。隠岐の勇気と、忙しい中、あまり知らない後輩のまったく知らない友人と話すために時間を作ってくれた鳩原には大感謝である。
 この間、もうすぐ行われる近界遠征に二宮隊が選出されたのだ。
「二宮さん、鳩原先輩、遠征選抜おめでとうございます」
「ありがとう」
「安喜、鳩原に用事とはなんだ?」
 二人がぎこちないやりとりをしていると二宮が割り込んできた。なぜかこの場に二宮がいた。こそっと隠岐に「あの人なんでおるん?」と訊ねたが、隠岐も呼んだ覚えがないという。つまり、彼は勝手に鳩原についてきたのだ。
「あ、その、わたし、このたび、人が撃てなくなりまして……」
「そんなことで生駒隊を抜けたのか」
「……まあそういうことになります」
 なゆたが話したいのは鳩原である。二宮ではない。なんでこいつこんなところにいるんだとおもむろに口にしたいのを抑えながら、視線を鳩原に向ける。彼女はごめんね、と言わんばかりに笑っていた。鳩原を困らせてしまった。
「お前がいれば生駒隊は今季にはA級に上がれただろうに。もったいないことをしたな」
 二宮が隠岐をチラッと見やってから言う。二宮が自分を思った以上に高く買っていたことに驚いたが、絶対にそんなことはないと思う。なゆたがいなくても、生駒隊はうまくいくし、なゆたも生駒隊にいなくても、それなりに楽しく生きている。なんだか、そういう自分たちを否定されているようでなゆたはちょっとだけカチンときた。ちなみに視線を向けられた隠岐は平然と二宮におごってもらったコーヒーを飲んでいる。
「生駒隊はイコさんもセンパイもおっきーもマリオもみんな実力ある人ばっかりなんで、わたしが抜けた程度で揺らぐような部隊ちゃいますよ。わたしなんて、トリオンで火力押ししとっただけやし、玲ちゃんみたいに技術力も高くない。全然強くないです」
 二宮が無言で睨んでくる。トリオンで火力押し戦法をしているのはなゆただけではない。二宮だってそうだった。鳩原に相手の武装解除をさせ、辻と犬飼に己を守らせ、十四という膨大なトリオン量を駆使して、二宮は戦っている。そして、あっという間にA級部隊になったのだ。なゆたの言い方は彼のそういう戦い方を揶揄しているようなものだった。
 ちなみに玲ちゃんこと那須玲なすれいは入隊当時、なゆたに「身体の動かし方を教えてほしい」と師事してきたお嬢様学校に通う隊員である。多分、なゆたが参加していたランク戦のログを見たのだろう。「私もなゆたちゃんって呼ぶから、なゆたちゃんも私のこと、玲って気軽に呼んでね」と儚げに微笑んできたので、呼び捨てにするなんて畏れ多く、玲ちゃんと呼ぶようになった。
 那須玲は世の儚さが服を着て歩いているような女性だと思う。生身だと病弱であまり学校にも通えていないという。トリオン体の医療利用のため、ボーダーに協力しているそうだ。
 生身だと儚げな印象の彼女だが、トリオン体に換装すると生身とは比べ物にならないくらいの機動力を発揮する。元々素質があったのだと思う。なゆたは彼女に射手としての身体の動かし方を少し教えただけで師匠というほどのものではない。
 彼女のバイパーの扱いは相当なもので弾が鳥籠のような軌道を描いたときは、バイパーってそんなこともできるんや……と呟いてしまった。玲はこれくらい普通ではないのかと言わんばかりに首を傾げていたが、メテオラ任せのなゆたにはとてもできない芸当である。というか、そんなことを水上や蔵内がやっているのも見たことがない。なんか、出水がやっているのをちょっとだけ見たことがある気がするが、まあ、彼は器用だからなんでもできるのだろう。
 玲が「早くくまちゃんたちに追いつきたいの」とはにかんでいる姿を思い出すと、二宮をなじり倒したい気持ちも落ち着いてきた。ちなみになゆたも二宮にオレンジジュースをおごってもらっている。
「安喜さんは前までは人を撃てたんだよね?」
 二宮となゆたのやりとりに鳩原が割り込んでくる。もっとも、なゆたは元々鳩原と話したかったわけで割り込んできたのは二宮の方なのだが。
「あっ、はい。ログ見てもらえばわかると思いますが、爆破ばっかりやってました」
「そうなんだ、すごいね。ならきっと、大丈夫。きっかけがあればまた撃てるようになると思うよ」
 そう言って鳩原は「私とは違うから」と付け足して、目を細めて笑った。
「私は元から撃てないから。怖いというか、生理的に無理って感じかな。一度、間違えて人を撃ったことがあるんだけど、気持ち悪くなって吐いちゃって、そのまま寝込んだの」
「えっ、そんなに……」
 鳩原は笑顔のままだったが、それでも彼女が戦闘員を続けていることがなゆたには異常に思えた。しかし、一般的に普通の感性を持っているのは鳩原の方だ。誰だって人を撃てるわけじゃない。むしろ異常なのは死なないとはいえ、気軽に人を撃ったり、斬ったりしているなゆたの方なのだ。
 しかし、ボーダーにはオペレーターやエンジニア、一般職員などいくらでも仕事はある。どうして彼女はそこまで戦闘員にこだわるのだろう。
「ずっと気になっとったんですけど、鳩原先輩はなんで戦闘員になろと思ったんですか?」
 なゆたが気になっていたことを、ずっと黙っていた隠岐が訊ねる。黙っていた二宮も気になっていたのか、鳩原に視線を向けた。
「近界民にさらわれた弟を助けに行きたいから、かな……。私はどうしても、戦闘員として近界に行かなければならないの……」
「選出されて、本当に良かったですね」
「うん。これでやっと探しに行ける」
 鳩原の目に火が灯っているような気がした。普段の彼女はどちらかと言えば覇気のない女性だ。しかし、目に火が灯った今は危うささえ感じてしまうくらいの熱気にあふれていた。
 しかし、近界遠征には自由行動の時間があったりするのだろうか。大規模な修学旅行みたいだな、となゆたはなんとなく思った。
「安喜さんはどうしてボーダーに入ったの?」
「街を、誰かを守りたいと思ったんです。この街が第一次侵攻に見舞われているとき、わたしには何もできひんかったから……。ボーダーからのスカウトがきたとき、これは運命やと思いました」
「すごいね、安喜さんは。三門市からずっと離れたところから来てくれたはずなのに、この街のことすごく大事に思ってくれてる。きっと、その気持ちがあれば大丈夫だよ」
 鳩原の手がそっとなゆたの頭を撫でる。その手が温かい。この街を大事に思って、誰かを守りたい気持ちがあれば大丈夫……彼女の言葉は不思議と心の奥に染み入った。
 あまり知らないなゆたに親身になってアドバイスをくれる。こんなに優しい人なのだ。近界遠征で鳩原の弟が見つかることを心の中で願った。その願いは叶わないとおかしいと思ったからだ。
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