安喜なゆたB


「ほうほう、また人を撃ったり斬ったりできるようになって、ランク戦がしたいねんな?」
「そうなんですよ。自己研鑽にはやっぱりランク戦が一番いいですからね」
 
 生駒隊の作戦室に備え付けられた訓練スペースで生駒となゆたは孤月を構えて対峙していた。正直、まだ人を攻撃することに抵抗がある。しかし、それを乗り越えるにはやっぱり人と対峙するしかない。
 初めこそ、なゆたを斬ることを躊躇をしていた生駒だったが、徐々にスパルタ教育になってきた。少しでもなゆたが躊躇うことがあれば、容赦なく真っ二つに斬ってくる。
「俺、安喜ちゃんみたいなちっちゃい子、斬ったらあかん顔してんのに……」
「いや、斬っておきながら何言うてるんですか」
 そんな生駒の熱意が伝わったのか、なゆたも何本か生駒を斬ることができるようになってきた。多分彼が本気を出せば、なゆたは手も足も出ないだろう。自分の手加減してくれているのがよくわかる。
「でもやっぱり、まだ躊躇してる気ぃするわ」
「結構斬れるようになった気すんのになあ……何があかんと思います?」
「せやなあ……そうや、安喜ちゃん、ちょっとついてきて」
 生駒の頭上に電球が光るのが見えた気がする。何か思いついたようだ。孤月を鞘に収めると訓練室を出た。なゆたも生駒に倣って、孤月をしまって彼について行った。
 作戦テーブルでこの間隠岐が見たデカい野良猫の話をしていた他のメンツに生駒は「ちょっと安喜ちゃんと出てくるわ」と片手をあげて、声をかけるとなゆたと共に廊下を進む。この道は、いつか来た道だ。一時期は毎日のように通っていた。
「あっ、イコさんじゃないすか! ランク戦しましょう!」
「安喜先輩もいるだろ。お疲れ様です、生駒さん、安喜先輩」
「コアラもおっくんもおつかれさまです」
 生駒の背後でなゆたが動揺していると入り口の辺りで相方と話していた小荒井登こあらいのぼるが気軽に声をかけてきた。相方である奥寺常幸(おくでらつねゆき)は二人に頭を下げてきた。お調子者の小荒井と慎重派の奥寺。いつも思うがいいコンビである。
「コアラ、俺が相手すんのもやぶさかではないねんけどな、今日は安喜ちゃんの相手したってほしいねん。安喜ちゃん、今日は百人斬りするらしいから……」
「エッ!」
 生駒がなゆたを指差しながら言う。そんな大それたことを言った覚えはないのだが。それに、まだ完璧に人を斬れるわけじゃない。ランク戦がしたくて生駒に教えを請うたのにその修行方法がランク戦と言うのはあまりにも本末転倒すぎる。
「ほら、安喜ちゃん。これ下げなあかんやろ」
「いや、いらんし!」
 どこから持ってきたのか、生駒が「百人斬り挑戦中!」と書かれたスケッチブックに紐をつなげて首からぶら下げられるようにした看板をなゆたの首にぶら下げる。あまりにも荒療治すぎないか。
「あの、安喜先輩もびっくりしてますよ」
「えっ? やすきち先輩って射手でしょ? なんで孤月?」
 身長的にスコピの方が向いてると思うけどな〜、と小荒井が呑気に続ける。身長が低ければスコーピオンを使わなければならないなど、誰が決めたのだろう。なんだかちょっとムッとする。もうこうなったらヤケである。
「最近、イコさんに孤月習ってんねん。コアラのこともいつか、真っ二つにしたるからな!」
「いや、今真っ二つにしたるって言うとこでしょそこ。まあいいや。孤月のやすきち先輩のお手並み拝見! 次は奥寺な!」
 舌でぺろっと唇を舐めると小荒井が不敵に笑う。その後ろで奥寺が「勝手に決めるな」とため息を吐いていた。


 小荒井と奥寺に惨敗した後、今度は同学年の熊谷が勝負を仕掛けてきた。それから、三浦や柿崎と虎太郎と照屋、荒船、ボーダー歴ではなゆたの方が先輩なのによくお世話になっている村上と様々な攻撃手が勝負に乗ってくれた。おそらくB級隊員の攻撃手とはだいたい戦ったのではないだろうか。
 まだ孤月を学び始めて間もないというのに緑川などA級の攻撃手もちょいちょい相手をしてくれて、「おっ、面白そうなことしてんな」と太刀川が現れたときはどうしようかと思った。結局一本も取れずに負けたが。
 ボーダー隊員百人斬り(斬られ)を終えて、なゆたはごろん、とランク戦会場のソファに倒れ込んだ。トリオン体とはいえ、さすがに疲れた。
「段々と迷いがなくなってきて、いい剣になってきたわ。初めの方は全然獲れてへんかったけど、同等の攻撃手とは勝てるようになってきたな」
 ずっとなゆたの百人斬りを見届けてきた生駒が口を開いた。
「……そうなんですか? ひたすら夢中やったからわからんかった」
 首をかしげるなゆたに生駒がうなずく。
「でもよかったわ。安喜ちゃんがまたランク戦できるようになって。人斬るのも怖なくなってきてるやん」
「もう、ひたすら夢中やったんで……怖がってる間もなかったです……」
 確かに戦っている間、人を斬るのが怖いという感情はなかった。ただただ、戦うことに夢中だった。戦いにおいて、誰かを守りたいとか、人を斬るのが怖いとか、そういうのは関係ないのかもしれない。それに、みんなが自分のやっていることに協力してくれるのが嬉しかった。もっとも、なゆた本人が求めたわけではないのだが。
 生駒から引き続き講評をいただいていると蔵内が声をかけてきた。しかし、彼の格好は隊服ではなく、進学校の制服姿だった。
「生駒さん、安喜、お疲れ様です」
「蔵っち先輩、おつかれさまです」
「おつかれ」
 三人、挨拶を終えるなり、蔵内が微笑みながら訊ねてくる。
「安喜、射手はやめたのか? 孤月で百人斬りするなんて」
「いややめてないです。どっちもやりたいだけなんで」
「なんだ、そうなのか。てっきりやめるのかと思っていた。なら、俺との勝負、弾トリガーでやらないか?」
 蔵内が微笑みながらトリガーを取り出す。しかし、今のトリガー構成は攻撃手向けだ。弾トリガーでやりあうなら、一度作戦室に戻って、射手構成に変えてこなければならない。それに今日はもう疲れた。
「蔵っち先輩は明日時間あります?」
「ああ、今日は疲れたか?」
「はい……。トリガーを射手構成にしてくるんで、明日にしましょ」
「ほんなら、明日は射手と銃手向けの百人撃ちやな」
「えっ……」
 なゆたと蔵内のやりとりを見て、生駒がうんうんうなずきながらとんでもないことを言う。また、同じことをしろと言うのか。もっとも、もう慣れてきたのだが。
「……わかりました。安喜なゆた、明日は百人撃ちを開催します!」
「安喜はいつもお祭り気分で楽しそうだな」
 これ以上ない優しい笑顔で蔵内は笑っている。これまで蔵内の前でお祭り気分だったことは一度もないのだが、勝手にそう思われていたらしい。なんとなく心外だ。
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