細井真織A


 小学一年生の頃は存在感もなくて、友だちも真織以外いなかったなゆたも中学生に上がると全クラスに友だちがいるくらいに顔が広くなっていた。じっとしとっても、誰もウチの存在には気づかんやろうから、ウチから動かなあかん。あるとき真織にそう語っていた。だから、誰かが困っていると聞けばすぐそこに駆けつけるし、誰かが泣いていれば黙って傍にいてくれるような優しいところはずっと変わらなかった。真織も、彼女のそういうところに何度も助けられた。
 中学に入る前、真織が由緒正しいお嬢様学校への中学受験に失敗して、それからどうしたらいいかわからなくなってしまった。両親にこっぴどく叱られたが、これからの人生が不安でそれどころではなかった。
 近所の公園で一人、ブランコをこいでいるとどこで嗅ぎつけたのかなゆたが現れた。そして、真織に断ることもなく、その隣のブランコに座った。そこから、なゆたは真織にどうしてこんなところにいるのかも、受験の合否も、何も訊かなかった。ただ、黙ってすぐ傍にいてくれていた。適度に放って置いて、構ってくれる感じが楽で、嬉しかった。
「ウチな、中学も落ちてん。おかあさんも、もうウチには期待せえへんって言ってた」
 ぽつり、と真織が呟くとそれまで一人でブランコをこいでいたなゆたが彼女の方を向く。
 両親が真織に描いていた未来図を中学受験の失敗という形で無碍にしてしまった。お嬢様学校に入って、関関同立あたりの名門大学に入って、それなりの企業に就職して、程よい年齢でそれなりの年収の男と結婚して寿退社をして、そこからは妻として、母親として生きる。古い考え方をする両親はそんな感じのことを考えていたのだろう。
 今から考えると、箱入り娘だった母は本当に古い考え方をしていると思う。関関同立に入ったところでいいところに就職できるとも限らないし、今時、一人の収入で妻と子どもを何不自由なく養える男など滅多にいない。
 二人の兄は両親が思う通りに灘や甲陽など名門中学に進学した。しかし、真織だけは両親の期待に応えられなかった。しかも、二度も。
「ウチ、小学校のお受験もあかんかった。もう二回も失敗してんねん。親の期待にちっとも応えられへん」
「うん」
「なんでウチばっかりあかんのかな。そんなに頑張れてへんのんかな」
「真織はがんばってるよ」
「頑張れてへんから受験失敗してんねんやん……」
 小学校の間もほぼ毎日塾に通って、勉強している兄たちの夜食作りなど母親の家事の手伝いもして、自分自身も家でも勉強をしてきた。なゆたと遊んだ回数なんて、今はもう他の友だちより少ないかもしれない。
 いくら勉強しても両親の期待に応えられない己が悔しくて、ぼろぼろ涙が出てきた。
「真織はがんばりすぎなくらいがんばってるよ。でもあかんときはあかん。人生そういうもんやねんで」
「……あんた、慰めとるんか傷口に塩塗っとるんかどっちなん?」
「強いて言えば、どっちもかな」
 涙を流したまま、なゆたに訊ねると彼女はにへ、と笑っていた。
「真織はこれまでがんばりすぎなくらいがんばっとったんやから、もうがんばらんでええやん。期待に応えるのはお兄ちゃんらに任して、真織はこれからもう自由にしよ? もう期待もされてへんわけやし、好きにしてええってことやろ。中学からいっぱい遊べるな。中学は公立なんやろ? 真織と同じ学校行けて、ウチは嬉しいよ」
 これからの中学生活を考えているのか、なゆたは一層楽しそうに笑っていた。受験を失敗した人間に対してなんという言い草だと思う。正直、少し怒りが沸いた。だが、これからはなゆたと自由に遊べるのを少し楽しみに思っている己がいるのも事実だった。
 
——— これからアンタには期待なんてせえへん。

 子どもにとって、これほどショックな一言はない。最後通牒のように母親がそう言ったとき、実際に真織は大泣きした。親に見放されたらもう終わりだと思っていた。
 期待されてないのだから、もう好きにしていい。そんな考え方もあったのだと、なゆたに気付かされた。
「ウチ、慰めんのとかめっちゃ苦手でごめんな。受験失敗して残念やったのに、自分のことしか考えてへんし」
 ブスッとした真織の顔を見て、苛立ちを察したのか彼女にしては珍しく困ったように眉根を寄せた。
「ホンマ、下手くそやな……昔っからそう」
「ごめん……」
 ブランコから立ち上がると座ったままだったなゆたに抱きつく。彼女が今どんな顔をしているかは知らないが、きっと驚いた顔をしているのだろう。なゆたのぬくもりを感じているともっともっと泣きたくなってくる。親に見放されてショックだった。それでも、兄たちは優しくしてくれるし、なゆただっている。悲しみと人からの優しさが嬉しいのがないまぜになって、よくわからない。どちらで泣いているのかと問われればどっちもだった。
「ど、どないしたん? ごめん。めっちゃ泣かしてる!」
「……ええねん。嬉しかったから」
「真織」
「…………ありがとう」
 涙混じりにそう言うとぽんぽん優しく背中を叩いてくれた。その手のぬくもりに一層涙が溢れるのであった。
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