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手作りの味



ふと、燕青が来たばかりの頃を思い出した。


「『シン』? 変わった呼び名だね」


状況が飲み込めずぱちくりと目を瞬かせる私に、彼はそう言った。彼を初めて見た時の感想は、「綺麗な人」だった。もちろん体中の刺青に驚きはしたが、それでも顔立ちやなびく長い髪が私に彼を綺麗な人だと認識させた。彼は真名を明かさない代わりに一風変わった呼び名を教えると、人懐っこい笑みを浮かべた。


「そうだろ? でもいずれ教えるから、今はそう呼んでくれ」


「聞きたいことは山ほどあるけど、取り敢えず名前に関しては解ったよ」


「了解!」


それからいろんなことを聞かされた。自分が英霊であり、召喚者である私のサーヴァントつまり召使であること、そして何らかの方法で喚び出してしまった私がマスターであることなどを順繰りに。でも私は喚び出した覚えもなければ彼を召使として使役するつもりもなかった。当然だ、彼が来る数分前までただの一般人だったのだから。それらの旨を伝えたら、彼は神妙な顔をした。


「何らかのミスで召喚されたかもしれねぇが、一応契約は結ばれてしまったしなぁ。俺はこう見えても従者をしていたんで、家事にはちょいとばかし自信があってね。どうだいマスター、俺を居候させちゃくれないかい? 俺が消えるまでの間だけ」


「居候か」


「ああ安心しな、危害を加えたりマスターに無益なことはしないさ。指一本、アンタが許可しなきゃ触れないって約束しよう」


なかなかに胡散臭い喋り口調だったが、彼の双眸は至って真剣なものだったので、私はそれらの心配はその時していなかった。一般人である私に「マスター」というステータスでさえ馴染みないというのにその上従者ときた。だが彼は私の保有している魔力とやらがないと顕現できないという。言ってしまえばそれは人間のところの食事であるわけで、逆に言えば私の魔力さえあれば食費は掛からないというわけだ。状況に応じて霊体化もできるらしい。ふーむ、今のところ金銭的な問題によるお断りはないが、あとは見ず知らずの人? 霊? を私が受け入れるかどうかだ。

悩んでるところにシンは、私の言動に強制力を持たせたいのなら、二の腕にある令呪を使えばいいと指を指した。は? なにそれ、と思いつつ右腕を見たらいつの間にか変な模様が確かに浮き出ていた。驚いて何度も触ったり抓ったりしてみるが、それはぴったりと肌に癒着してしまっている。鮮やかな朱色で、繊細な翼の間には細長い剣みたいな物がある。なんだこれは。訝しげる私に、彼はそれが令呪だと言う。ほう、つまりこれが令呪で、ひとつの命令ごとに一角ずつ消費されるというわけか。なんだか非現実さに拍車が掛かった気がする。


「仕事の邪魔をしたり、許可なく私の寝室に入ったりしなければいいよ」


「ああ、入らないと約束しよう」


「解った。じゃあこれからよろしく、シン」


というわけで私とシンの、いつくるか解らない終わりまでの間と称した同居生活が始まったのだった。彼と話し込んでいたら時間はかなり経っていて、空腹を知らせる合図が自分の腹から盛大に告げられた。肩を震わせるシンの耳を抓りながら、私は献立を考える。よし、今日は手軽に炒飯にでもするかな。そこからの行動は早くて、三十分もかからずに私はそれを二人分作り上げた。シンの体躯を見るに、暴食家だと思ったので彼には多めに盛り付けた。それを彼の前に置く。するとシンは小首を傾げた。


「これマスターの分じゃないのかい?」


「シンの分だよ」


「でも俺は」


「食べなくても大丈夫、でしょ。解ってる。でも今は人間と同じように顕現してるんだし、食べなよ。好きな味かは解らないけど」


女っ気はあまりない私でも自炊はしているので、味にはまあまあの自信がある。三ツ星みたいな美味しさはなくても、不味いということはない。とは言っても彼が生前人間であった以上、好き嫌いな味はあるだろう。だがそれを初対面の私に求めないでほしい。シンは目を瞬かせると、ふわりと微笑んだ。


「謝謝、マスター」


「どういたしまして」


中国語、ということは彼は中国人なのだろうか。まあいいや。頬を綻ばせたシンは、レンゲを手に取り炒飯を一口口へ運ぶ。そして彼は言った。


「美味いな」


それは零されたような温かみのある声だった。幸せを噛み締めるように柔く微笑んだシンを見て、どこにも触れていないのにその温かな感情が、こちらにまで波及してくるようだった。私はその笑顔を見て決めたんだと思う。彼との生活に終止符が打たれることになるのはいつか解らないが、それまで私が彼にご飯を作ってやろうと。