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お疲れ様



さすがにこの量を私に任せるのはどうだろう、私はそれを強く思った。だけど任せた相手は高圧的な態度を部下に惜しげなく使うことで有名な上司だったから、いくら抗議しても当然ながら聞き入れてもらえなかった。しかも明日から二日間は休日に入る。なのにこの量を片してこいだなんて、休日まる二日を潰せと同義じゃないか。誰だあんな人間性に酷く欠落した上司を入社させたのは。憎たらしい笑みが頭に焼き付いて離れない苛立ちも抱えつつ、今日も私は自宅のコンピューターと睨み合いをしていた。


「ただいま」


「おかえり、燕青」


玄関から聞こえてきた声に自室からでも届くようにと少し大きめの声を出す。すると燕青はぱたぱたと私の部屋に駆けてきて、バンッと扉を開けた。もう少しゆっくり開けようか、燕青。目を驚きに丸くさせているのと同じくらいに嬉しさに輝かせている。うちのサーヴァントは目は口ほどに物を言うタイプらしい。アサシンのクラスだと名乗るのにそれほど解りやすくていいのか。


「今日帰って来るの早いな!」


「嬉しそうにしても構ってあげられないよ。この量の仕事を片すために会社を追い出されたんだからね」


「まぁた仕事か」


一刀両断し過ぎてしまったかもしれない。ごめん、そんなに項垂れるとは思ってなかった。おやつを取り上げられた犬みたいな反応をする燕青に多少なりの罪悪感が感じないわけでもないが、だからといって仕事を放り出すわけにもいかない。どれほど嫌な上司からの頼まれ事だったとしても、仕事には変わりない。大変憎らしいが完遂させなければいけないのだ。


「仕事頑張れよマスター! 夕飯作ってるからさ」


私の心情を悟ったかのようにぱっと笑みを浮かべた燕青。少し申し訳ないが私はそれに甘えることに決めた。


「うん、頼んだよ」


「おう」


そう言って部屋から去った。ゆっくり閉めてくれてありがとう。再び訪れた静寂の中で、私は両頬に喝を入れて仕事を再開した。仕事を再開してどれくらい時間が経過したのだろう。多分一時間? いや二時間かもしれない。まあどうでもいい。肩と腰が若干ながらも悲鳴を上げたので面を上げる。うーん、と椅子に座ったまま背中と腕を伸ばした。骨の悲鳴は無視しよう。仕事の進捗状況は正直言って最悪だ。必要なデータが揃えられていない。会社でやった方が良かったと酷く後悔している。さてどうしようかと頭を抱える。定時になっていないので、鱗瓦さんはまだ仕事中だし他の社員もきっとそうだ。早退した身で邪魔したくない。


「聞くとしたら仕事終わりだけか」


残念ながら定時になるにはまだまだ遠い時刻だ。それまで不十分なデータを基に孤軍奮闘するしかない。にしても疲れた。あの上司、必要なデータくらい揃えて任せてもいいじゃないか。何故私にやらせるんだ。いや確認しなかった私にも非はあるが。綺麗な白が満身創痍の私にとどめを刺す。全然終わってないし進まない。上司に殴り込みに行きたい気分だ。憤懣遣る方無い気持ちが燻っていたら、がちゃりと扉が開けられる音で、それらが一旦収まりを見せた。


「どうしたの燕青」


「マスターの肩の力を抜かせに来たんだよ」


「あと少しやってからね」


「そう言うと思ってな、いいもん持ってきたんだ」


「いい物?」


すると背後から出したのは今朝洗濯機に入れて洗濯していたふっかふかな毛布と、白い湯気が立つ淹れたてのココアだった。


「燕青、悪いことは言わないから今すぐ扉を閉めて出て行って」


焦りを見せた私に燕青はにたぁと口元を三日月に歪める。そして勝ち誇ったように笑いながらじりじりと距離を詰めてくる。


「どぉしたんだよマスター。そんな慌てちゃってさぁ」


「待って待って、燕青、待って。駄目、禁止、近付くの禁止」


「そんなにコレが怖いかねぇ。近づかれるのが嫌ってんなら休憩しような?」


「仕事が」


「ほれ!」


軽快な声と共に投げられたのはふかふかな毛布だった。なかなかに重量のあるそれに頭から全身を覆い隠されてしまい、視界は瞬きする程度で黒に染ってしまう。充満するのは柔軟剤の花の香りと、洗濯し終えたばかりの温かさだった。あ、やばい、寝そう。ぐらつく意識を更に叩き付けるのはテーブルに置かれたココアの香りだった。もぞもぞと身を捩って毛布から顔を出すと、ホットココアの甘い香りが鼻の奥を揺さぶってくる。だから来るなって言ったのに! 恨めしそうに隣でにんまりとほくそ笑む燕青を睨んでも、彼は何処吹く風を崩さない。


「燕青ぇ」


「たまには休息も必要だぞマスター」


「ああもう」


ダメだ、完全に仕事意欲が削がれてしまった。コンピューターのディスプレイに表示されているWordの画面を消すことすら億劫だ。こんな状態ではとても集中できないし、それでやろうものなら隣の男は何をするか解ったものじゃない。ここは潔く両手を上げることにしようか。


「一時間後に起こして」


「ココア飲まねぇのか?」


「飲む」


「ほいほい。んじゃゆっくり寝ろよ、マスター」


くそう、なんだって彼は私の休ませ方を熟知しているんだ。愉しそうに髪を揺らしながら踵を返した燕青に、取り敢えず不満の眼差しを送っておいた。