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この先も貴方と



どうして彼は自分のことを嫌いにならなければいけないんだろう。どうして彼は自分を責めなければならないんだろう。どうして彼はしたくないことをさせられたんだろう。そんな無意味かつ同情じみた質問が脳中を反芻する。そんな質問、誰にも答えられないのにね。それでも解るのは、私を支えてきた大切な彼が目の前で苦しんでいること、それだけだった。


「ああマスター。貴女に矢先を向けてしまうなんて、私はもう貴女の隣に立つことおろか目の前に現すことすら許されない。ですが同時に思うのです。貴女さえ消えてくれれば、ここで起きたことも見たことも知る者は居なくなるのだと」


誰よりも近くに居た彼の悲痛な声がこの場に静かに響く。右も左も分からない、戦場に赴けばまっさきに死ぬような私をここまで支えてくれてたアルジュナ。万事において最たる冠を授かってきた彼からしたら一般人の私に従うなんて嫌であっただろうに、だが彼は慇懃に優しく引っ張ってくれた。


「貴女を殺したくはない。だが殺さなければ忸怩たる私の最奥が知られてしまう。何故私なんかを信用したのですか、マスター」


静謐な殺意の中に潜むは知られてしまうことへの恐怖と羞恥。だって貴方は大切な仲間だから。だって貴方は私を信頼してくれた。ああ違う。なんて言えばいいんだろう。でも何か言わないと。なんて言えばいい? なんて言えば彼は柔んでくれる? 違う、違うんだよ。ねえ、アルジュナ。私はいつだって理由もなく貴方を信用してるんだよ。理由なんてほんとはないの。定まらない本音が喉につっかえてしまい何も言えない。手のひらにじんわりと汗が滲み出てくる。


「裏切り者とは話したくないというわけですか」


泰然たる彼の物言いの中に、確かな失望があった。


「ですがそれが普通のこと。マスターに忠誠を誓った者がこうして貴女に矢の刃先を向けているのですから」


彼は長弓に矢を番えて私を真っ直ぐに見据える。彼は私に何かを望んでいる。それを感じたのならばしっかりしろ私。彼の、アルジュナのたった一人のマスターじゃないか。なんだっていい、上手な言葉じゃなくてもいいから、私は彼のすることを止めなければ。じゃないと彼は生前以上にもしかしたら己を悔いて後戻りできなくなるかもしれない。すうっと口を開く。


「私はアルジュナが来てくれて良かったと思ってる」


彼が息を呑むのが解った。きっと嘘だと訝しんでくる彼の双眸から、私は望んで視線を逸らさなかった。


「私は一般人だから『英雄』の何たるかは知らないし在り方も知らない。だけどアルジュナは、マスターとしてダメダメな私を支えてくれた優しい人ということは解る」


本音を晒すような機会はそうそうになかったものだから、自分の拙い語彙力を数少ない引き出しから引っ張って、それを彼に伝えるだけで手一杯だ。嘘偽りを吐く余裕なんてない。


「『英雄』だからこうじゃないといけない、ああじゃないといけない、そんな模範はないんだよきっと。『英雄』だって人間なんだから感情はあるし葛藤だってあるよ。いいじゃん『人間臭い英雄』が居たって。アルジュナは『英雄』の以前に一人の人間なんだから」


言いたいことも彼の葛藤に触れて感じたこともたくさんある。だけどそれらを上手く繋げてひとつの文章にまとめることができない。あれも言いたいこれも言いたい、だけどこれは違うあれも違う。私の頭の中はそんな状態だ。でもそれだけアルジュナに打たせたくないし、死ぬつもりだってない。私にはやらないといけないことがあるから。でもその長途にはアルジュナに居て欲しい。


「嫌いな部分があってもそれがアルジュナなら私はそれを嫌ったりしないし失望だってしない。それはアルジュナを知ろうとしなかった周りと一緒になるから。私はアルジュナに居て欲しい。ダメかな?」


アルジュナが自分で掲げた『英雄』から己がかけ離れていても、眼前のアルジュナは私からしたら充分に『英雄』だ。何か間違えてしまっただろうかと不安になった矢先、しばらくの間沈黙を貫いていたアルジュナが零すようにふっと口許を綻ばせた。呆れたような、それでいて嬉しいような。そんな彼を見るのは初めてだから、少しどきっとした。彼は矢を落とした片手で顔を覆いひとしきり笑った後、私を見据える。その眼差しは先程のような畏怖はなかった。


「己に矢先を向けた相手を尚も欲しますか」


「私はアルジュナのこと信頼してるから」


「ご覧になったとおりです。私は異父兄である宿敵カルナを騙し討ちのような形で射殺した真の英雄から程遠い人物です。マスターはそれでも私を欲しますか?」


真剣な双眸でじっと私を見る。今一度私の心底の意を確認しているのだろう。私はそれに毅然として頷いた。私は貴女のマスター。どんな貴方でも受け入れる度量くらいあるよ。彼はふっと微笑んで弓矢を下げた。


「私の無礼をお許しください。貴女の信頼の一切を託されたからには、このアルジュナ、その信頼に必ずや応えてみせましょう。今度こそ真に貴女の歩む先を切り開いてみせます」


「これからもよろしく、アルジュナ」


「はい」


質問に対する答えなんてなくていい。明確な答えなんてものよりも、彼がこの先も傍に居てくれるならそれだけでいい。