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奇襲にはご注意を



私の生前の行いは悪の代表格にも匹敵するほどのもので、裏切り、弑逆、拷問、快楽殺人など、例を挙げたらキリがないくらいに尽くしてきた。ご立派な思想もなく「気分」と称して殺人を繰り返した私は、もはや悪魔の域と言えるだろう。そんな私は善というものが嫌いだ。善人が嫌いで、善行を憎む。故に、善を具現化させたようなあいつのことは心から嫌っていた。


「よぉカルナ。またそんな、為にならねぇことしてんのかよ」


一介のカルデアスタッフを傍に、そいつは何やら重たそうな荷物を両手に抱えていた。相変わらず何考えているのか解らない双眸を送られる。様子を見るにおおかたこいつから進んで手伝おうなどと吐かしたんだろう。横の女スタッフからも、名だたる英霊の彼に荷物持ちをさせていることへの申し訳なさが滲み出ている。心無しか女の物腰が怖気気味なのは恐らく私に恐怖しているんだろう。狂気の権化と謳われる私に何されるか解らないことへの恐怖。それを感じて少し気分が高揚した。


「今日も大事ないようで何よりだ。ところで、お前はメディカルチェックは受けないのか? 看護婦の英霊とロマンが探していたぞ」


「あんなもん受けずとも自分の体調面は自分が把握している」


「そうか。自身の体を重んじるのは良いことだが、一度は受けた方がいい。万が一に自分で気づかなかったことが解るかもしれないからな」


「心配される謂れはねえよ! お前は私の母親か! チッ、すっかり気分が悪くなった。これでもし私が座に帰ることがあれば全てはお前の責任だな? カルナよ」


嫌いな奴に下手に見られたことからその腹いせに煽ってやったが、返ってきたのはカルナのいつもどおりの平静な声音だった。


「お前に何かあったら困る。マスターはお前の力を頼りにしている上、俺もお前の腕を信頼しているからな」


至って何も気にしていないといった声と表情。慌てる素振りも止める素振りもなく、なにひとつ変わらない様子なので余計気分が悪くなった。そもこいつが慌てるなど予想すらしていなかったことだが、しかしこうも足蹴にされるとむかっ腹どころかここで宝具のひとつでも展開したくなる。だがこいつに傷一つ負わせられないってところがまた腹立たしい。泡が立つ嫌悪感に再度の舌打ちが零れる。これ以上こいつの顔を見ていたらほんとうに宝具を展開してしまいそうだ。風を切る勢いでカルナと女の横を通り過ぎた。すると背後からカルナの声が投げられる。


「どこに行く気だ」


「部屋に戻る」


「気分が悪いなら医務室に行った方がいい」


「悪くねぇよ! 話しかけんな!」


これだから属性が善の奴は嫌いなんだ。部屋に戻った私はベッドの上で道中で出くわした事を思い返していた。会ったのはどれもカルデアスタッフばかりで、そのどいつも私に恐れを隠さなかった。不意に殺される恐怖、生前の行いからの倦厭、悪逆への強い嫌悪、私を囲む視線はどれもそれだった。私はそれらを嫌と疎んじたことはない。むしろ至高の酒を浴びたと言えよう。ゴミ共は何も出来ず私にただ蹂躙されるのみ。その様が酷く滑稽で愉快極まりない。生前も英霊として召喚された今も、ゴミ共の恐れ戦く眼差しこそ私は好いている。声高に響く笑い声に混じった不協和音には知らぬ顔をして、私は形だけの睡眠に陥った。次の日、私はいつもどおりの時間に起床し、何か暇を潰せるものはないかと施設内を宛もなく彷徨う。相変わらずここはゴミ以外には何も無い。同じ穴の狢である英霊達が居なければスタッフ共の首を躊躇わずに我が刃にかけていたことだろう。暇であることに苛立ちを感じ始めた時、最も聞きたくなかった声が後ろから掛けられた。


「少しいいか」


「話しかけんなって言っただろ。お前の記憶は翌日にはリセットされるのか?」


「それは無いが、もしそうならマスターに話さなくてはな」


聞かなかったフリして去りたいという本音を無理矢理押し込みつつ嫌々振り向けば、そこには昨日となんら変わりない姿のカルナが立っていた。嫌味のひとつにも皮肉のひとつにも相変わらず間の抜けた返事をする。それとも全く取り合っていないのか。どちらにしろカルナが根底からの善人で、愚直なまでの善行を見返りを求めずするという時点で嫌いだ。彼の性情も行動も知れば知る程嫌いになれずには居られない。


「で、用件はなんだ」


さっさと話せ。私はお前みたく暇でないんだ。その意を視線で送った。すると突然なんの前触れもなく距離を詰められた。私の全身は情けないほどまでに容易く彼の影で覆い隠されてしまう。見上げたそいつの視界には私が大きく映り、同様に私の視界にもそいつの顔しか映らなかった。何もかもを見透かしてしまう水色の瞳は、私が感じたこともない何かを孕んでいた。ぞくっと背中が粟立つ感覚と共に、突拍子もないことに不本意ながらも驚いて、反射的に後ろへ下がる。この私がカルナごときに恐れを成すなんて一生の恥だ。もう死んでいるが。


「なんだよ!」


「聞いて欲しいことがある」


「ならそこで言え! 近寄んな!」


「近付いたら駄目なのか?」


「駄目だ!」


「解った」


逆に何故近付く必要があるんだ。心臓の早鐘も徐々に平静を取り戻し始めた。合いの手を入れるが如くカルナはそのタイミングで口を開いた。


「愛している」


いつもと同じ調子でその言葉を吐いた。その瞬間、私は初めて自分の耳を疑った。言葉を返すどころか石のように固まった私を意に介することなくカルナは続ける。


「だがこれはあくまで俺の気持ちで、お前には関係ない。お前が俺を嫌っていることも承知だ。だから気にせず普段通りに接してくれればいい」


言いたいことを言えてすっきりしたカルナは自分の横を通り過ぎる。だがその一瞬の出来事に、当然反応なんて出来るはずもなく、目を見開いて颯爽と去っていく背中を見送ることしかできなかった。無機質な廊下に残された私。ぎゅっと拳を握る。あいつは何がしたいんだ!! 属性が善という奴は皆こうなのか!? 理解したくもないしそもそもできるか! 静かになった空間で聞こえるのは、己の姦しい心臓の鼓動だけだった。