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静かな部屋で



私に何の落ち度もなかったはずだ。むしろよくやっている方だと自負している。スタッフのメンタルケアやチェック、備品の過不足や設備の故障の有無などの確認、そして前述に不備などがあった際の発注まで。もう一度言おう。私はよくやっている有能なカルデアスタッフだ。然るに、信頼され委嘱こそされ、無下に扱われる謂れはない。


「献身的に頑張った見返りがこんな扱いなんて、全く以て承服しかねます」


四方を白い壁に囲まれた中で、私はベッドに腰を下ろしていた。今にも部屋を飛び出して行きそうな私に、同じ部屋に押し込められた上司ことDr.ロマンが宥めるように声を掛ける。


「まあまあ。急に仕事を取り上げられたのは嫌かもしれないけど、休めって言われただけだし」


「休息など不要。私から仕事を取り上げる行為は人間から娯楽を奪うと同義。そも、不必要な休息なんて時間の空費と言います。それに私は疲れてなんて居ません。休ませるならドクターだけでいいじゃありませんか。その方が仕事をより任されるので私としては大変結構な事ですが」


「声量下げても最後まで聞こえてるからね?」


ほんの十分前まで私はいつもどおり持ち場で業務を熟していたのだ。だのに突如通信室に呼び出されたかと思えば、ここの部屋の空調を確認してきてほしいと頼まれ、赴けば入るなり彼女は遠隔操作で扉を強制的に閉めてしまった。そして同室には上司が居る始末。憎たらしいほど器用にこの部屋のスピーカーから「日頃身を粉にした君達に報賞を与えよう。『休息』だ。二時間たぁーっぷり休みたまえ!あっ、因みに扉は二時間後にしか開かないから、何したって無駄だよ。ということで二時間後にまた会おう!」と明朗快活として悪びれもなくスピーカーを切った。無慈悲なその音が静寂を流す。ふつふつと沸騰してくる明確な殺意を持ったままはや十分。私はベッドに座り、ドクターは椅子に座って「どうしようか」なんて言っている。一応暇を潰せるようにと本棚や軽めな菓子などがあるが、私としてはダ・ヴィンチの面白いものを見つけたといわんばかりの笑顔がありありと脳内に映し出されてしまうので、絶対触れたくない。


「二時間も無駄にしろなんて、彼女は一体何を考えているんですか」


「だから休憩だよ。僕は別に嫌じゃないけど、ただ少し不安だね。何してるか解らないし」


「であれば一刻も早く出るべきです。少なくとも私には普段の業務というものがあります。それを熟すのが仕事というのに休憩などと。ドクター! 貴方、仮にもここのトップにも認められている人じゃありませんか! 開けるよう交渉してください」


「えぇそんな無茶な。だいたい僕は休めるからいいんだけどなぁ」


「何をそんな呑気なことを仰っているんですか。それにしてもほんとうに暇です、ドクター、何か面白い話をしてください」


「それこそ無茶だよ! 僕は一介のカルデアスタッフであってお笑い芸人じゃないんだよ!?」


「貴方が一介なはずないでしょう。つまらない人ですね」


時計を一瞥したらたったの三分しか過ぎていなかった。なんだこの時間の遅さは。私を殺す気か? ああ早く持ち場に戻りたい。言っておくが、私は仕事が好きという訳では無い。前述したが、私にとって「仕事」というのは「娯楽」に過ぎない。故にその娯楽に全霊になるのは至極当然のことだし、それを取り上げられることに憤りを感じるのも普通だと言えよう。ダメだ、眉間に皺が寄り過ぎたせいで眉間が痛み始めた。痛みを和らげるように指の間接でぐりぐりと撫で回す。すると視界の端に紅茶セットの輪郭が入った。


「紅茶でも飲みますか? ドクター」


「ああ、うん。飲もうかな」


「私が淹れますので待っててください」


「えっ、でも」


「紅茶の淹れ方、解るんですか?」


「それは」


「視線を泳がすくらいなら座ってください」


「解ったよ。任せた」


ただ座っているのも存外苦痛と感じた私は、紅茶セットに手を着ける。だがそのセットには茶葉以外にもココア粉があった。何故ここにココア粉が? 不審がりながら部屋をざっと見回してみる。推理系やホラーといった私が好む系統の本が数冊収められた本棚、ダージリンやアッサムなどの私が好む銘柄の茶葉。そこではっと気づく。ここには私の好きなものがある。本にしろ茶葉にしろ、どれも私が好む物だ。偶然の産物としてはあまりにも出来すぎている。であればここは予め用意された部屋で、ここには前もって私とドクターを閉じ込める気だったのか。だが閉じ込められたものは仕方ない。仮にこれらが私を調べて用意されたものなら、今手元にあるココア粉は一体誰が好むだろうか。その疑問はすぐに回答へと行き着く。


「ドクター、甘い物って好きだったりしますか?」


手元のココア粉を見ながら問いを投げかける。返ってきたのはドクターの少し驚いた声だった。


「そうだよ、君に言ったっけ?」


私以外にはドクターしか居ないのだからそれが普通か。ドクターが甘党だということは今知ったことだ。ふむ、であれば紅茶はやめにしよう。インドの紅茶は少々こだわりの主張が激しい味を持っているため、素人にはもしかしたら合わないかもしれない。幸いマシュマロと砂糖もあるのだし、ドクターには温かいココアを淹れよう。こし餡などの和菓子もドクターの好みというわけか。私はこし餡は嫌いではないが、そも和菓子より洋菓子派である。チョコレイトのケーキはまたの機会に食すとしよう。ポットからティーカップへと茶を注ぐ。ダージリンが持つ特有の香りが鼻を燻った。それは後ろで座っているドクターも一緒のよう。


「良い香りだね。できたのかい?」


「私のはできましたよ。ドクターのはもう少し待っててください」


「紅茶じゃないの?」


「何処ぞの誰かがココア粉を懇切丁寧に置いてくださったので、それを淹れます」


「ああ、なるほど。でもいいのかい? 手間じゃない?」


「ドクターはもう少し休むべきかと」


備え付けの電子レンジにて温めたマグカップを取り出す。温かな牛乳の上には溶けつつあるマシュマロが浮遊していた。それをスプーンで潰しながら攪拌する。するとマシュマロの甘い香りが淡くも漂ってきた。私は甘ったるい物は好かないため、無意識のうちに眉間に皺が寄ってしまう。ドクターだというのにこんな糖分の塊みたいなものを食すというのか。彼の血糖値はどうなっているんだろう。


「本職である医療関連以外に、機材の調整、特異点の探索、そしてレイシフト中の主人公の存在確率の固定。それからスタッフの統率とメンタルケア等々。それをどうにか貴方は熟していますが、本来なら卒倒しているレベルです。私もメンタルケアの一端を担っているものの、ドクターのそれとは比になりません」


砂糖を入れて混ぜる。それが持つジャリジャリ感が薄まったところでココア粉を入れた。真っ白な牛乳がココア粉を混ぜることで、渦を巻くようにして茶色みを帯びてきた。砂糖の甘い香りとココアの甘い香りが入り交じった香りが部屋を満たす。これ、紅茶の風味消えたりしないよね? さすがに甘ったるい部屋で紅茶を飲む気は起きないんだけど。完全に茶色に染まったところでスプーンを抜いた。しっかりと液をカップの中に垂らして傍に置く。少し熱いくらいのマグカップを片手に、飲みやすい温度にまで下がった紅茶が入ったティーカップを片手に振り返る。椅子に座っている上司はぽかんと間抜け面を晒していた。なんですか、その豆鉄砲を食らった鳩のような顔は。


「私達はマスターである藤丸くんを支えるためにも集められましたが、貴方の部下でもあります。いいですかドクター、体と時間こそ最大の資本です。そのどちらも徒に消費するなんて、まさに愚の骨頂。貴方ひとりで成り立たつような退廃的な施設にしないでください」


熱々なマグカップを彼に差し出す。未だ驚いているのか、それとも言葉を嚥下することに時間がかかっているのか、私を見たままぴくりとも動かない。休むのは結構ですが、私に腕を伸ばさせたまま休まないでください。二時間も差し出すのは嫌ですよ、私。早く受け取るようにと「貰ってくれませんか」と催促した。硬直から解放されたドクターは慌てて「ご、ごめん。ありがとう」と受け取る。私はベッドの端に座って紅茶を啜る。少しの間飲んでいなかったが、紅茶を淹れる腕は寸分たりとも落ちぶれていないようだ。


「そんなに頑張っているように見えるかな? 僕は」


「見えないなら言いませんよ」


「そっか。じゃあ今度から少し気を付けるよ」


「そうしてください」


物分りのいい上司で良かった。これで逆に「倒れないようにもっと頑張る」などとふざけたことを吐かすものであったら、私はもう何も言わないだろう。いっそ倒れてしまえと願うに違いない。そして私に仕事を委託しアスクレピオスに絞られてしまえとさえ思うことだろう。温かな紅茶を啜れば、それは凍った指にお湯をかけるようにじんわりとした痛みを伴いつつ全身の隅々にまで波及していく。思い返せばこうして落ち着いて紅茶を飲む時間が最近なかったように思える。仕事に苦を感じたことはないが、それでも極偶にひとりで居たいと感じる時がある。最近はそう感じることもなかったが。久しぶりのダージリンも気づけば飲み干していた。