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赤くなった月



万人が喜ぶであろう言葉を吐いたら、目の前の恋人は思いもよらぬ反応を見せた。


「えっ、なんで不貞腐れてるの? ネロ」


金髪緑眼の美女は私の戸惑いに尚も表情を崩さなかった。私は今、彼女に「愛してる」と告げただけだ。恋人である手前、その言葉を疎んでいるとは思えないが、しかし事実彼女は不服そうである。何故か、それは私にも解らない。「薔薇の美女」ともそやされた彼女は、桃色に色付いた小さな唇を不服そうな面持ちをそのままに動かした。


「むぅ、何故貴様はいつもそう」


「嫌だった?」


言葉尻が小さくなったので、やはりそうなのかと思い尋ねてみたところ、それは違うらしく間髪入れずに否定した。


「嫌な筈なかろう! 余が想い人の気持ちを嫌がる道理はない!」


「じゃあ何がそんなにも気に入らないのさ」


「言葉が嫌なのではない、貴様が嫌なのだ!」


おっと、これは、予想どころか考えても見なかった本音だ。つまりはなんだ、私が嫌いってことなのか? いやでも今しがた想い人と言っていたし違うのか? 彼女は、時々只人たる私の理解も及ばない事を言い出す節があるが、これは全く以て理解しかねる。それともなんだ、普段着の格好で言ったのがまずかったのだろうか。


「何故そうも貴様は格好いいのだ! 余とてたまには貴様に『格好いい』と言わせたいというのにっ」


なるほど。薔薇の美女はどうやら愛してると言われたのが嫌だったのではなく、単に悔しかったのか。いや、余計にどうしろと言うんだ。自分で自分のことを格好いいと認識したことは一度たりとてないし、ネロにそう思われたいと思ったこともない。一度しか。それにネロは十分格好いいだろうに。毅然とした態度や振る舞い、人を無意識に口説き落とすカリスマ性。「薔薇の美女」というのは単なる容姿への褒め言葉ではなく、その性格をも褒めていると言えるだろう。棘のような恐ろしさを持ち、けれども単なる恐ろしさだけを臣下達に与えさせず、恐ろしいと思いながらも着いていきたいと思わせる美しさも併せ持つ。そんな彼女だからこそ余人は彼女を「薔薇の美女」と讃えるんだろう。まさに言い得て妙だ。


「そういうところだぞ! 何故解らぬのだ貴様はっ」


素直な気持ちを述べただけなのに何故反応がそうも悔しさを隠さぬものばかりなのか。頬を紅潮させ、恥ずかしさを堪えんとする様はまこと愛らしいが、けれども私の賛美など彼女にとっては数ある星のうちのひとつの光と同じというのに。数多ある詩人や小説家の方がむしろ私より上手に褒めるだろう。悔しさなど感じるものか? そしてそんなに照れるものか? 純粋な疑問は、彼女の叱咤によって説き伏せられてしまった。


「馬鹿者! 貴様は誰の恋人だと心得る! この、ネロ・クラウディウスの恋人だぞ! しかるに、余人と一緒にするでない。貴様は星などではない、月だ。貴様の美しさも可憐さも無二とない月そのもの。無粋なことを言うでないぞ。それに余は『上手な言葉』に心を打たれたのではない、『貴様が言った言葉』故に心打たれたのだ。しかと理解せよ」


私を見つめたまま凛然と語る彼女。先程まで恥じらいを隠さぬ乙女であったのに、今ではすっかり本調子を取り戻している。返す言葉を見失ったのは私であった。心無しか心臓の音が喧しく感じる。


「む? 何故顔を隠すのだマスター?」


突然しゃがみ込んで膝頭に顔を埋めた私を心配の色で顔を覗き込むネロを傍に、顔に集中する熱の温度を確かに感じていた。私の恋人はこんなにかっこよかったっけ。