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諸悪の根源



私には口外できない好きな人が居る。単に恥ずかしいからだとか、周りの人間は噂大好きな人であるからだとかではなく、好きな人が私の直属の上司だからである。ゆえにどんなタイミングで何が彼の耳に入るか解らないから、私は仲の良い友人にさえそれを明かしていない。


「お疲れ様」


「あっ、すみません」


「ああ、いいよいいよ、僕のことは気にしないで」


上司であるドクターがひょっこりと顔を出したので、いつもの癖で席を立ってしまった。だが彼は気にするなと言って座らせる。今は休憩時間であるため、休憩スペースにドクターが顔を出すのはなんら不思議なことではないが、それでも彼が私の相席をするのは少しどころかかなり緊張してしまう。おかげでさっきまで食べていた大好物のオムライスの味さえ感じない。おまけに手は止まってしまった。それは単純な「上司だから」の緊張ではなく、「好きな人だから」の緊張である。目の前でジュースパックを飲んでる彼こそが私の好きな人だ。


「ドクターっていつもそれですよね。精のつくものを食べないと倒れますよ」


「そんな脆弱じゃないよ。君こそオムライスを食べる手が止まっているじゃないか」


「ああそうだ。ドクター、藤丸立香のことで話があるんですが」


へらへらとしていた雰囲気も仕事の話となれば瞬時に空気を切り替えた。底抜けにだらしなかったドクターも、この時だけは慧眼が冴え渡っていると言えるだろう。うんうんと時折相槌を打ちながら真剣に耳を傾ける彼。仕事の話を口にしながらも、頭の中ではドクターのことを考えていた。彼の元に配属して差程期間は長くない。なのにどうして惚れたんだろう、どこに惹かれたのだろう。ポメラニアンみたいな緩い髪? 笑うと可愛い笑顔? だらしなくもやる時はやる彼の姿?

解らない。解らないが、しかし彼と話すだけで緊張すると共に嬉しくなるのはまさに好きという証拠だ。こんな感情は彼にしか抱けない。そういえばドクターって甘い物が好きなんだよね、今度作ってみよう。はたりと気付く。私、ドクターの好物以外彼について殆ど知らない。何歳なのかも嫌いな物も出生地さえ。どくんと嫌な波が迫り上がる。知りたい、もっと知りたい。それはまるで死地に追いやられた子供のようだった。


「うん、解った。今度僕から聞いてみるよ」


話し終えると同時に目を細めてにこりと笑んだ彼。不穏な空気が入り交じった思考もそこでぱたりと切れる。やめておこう、焦りは禁物と言うじゃないか。公私混同をしてしまえばそれこそ一番恐れている本人への露呈に繋がりかねない。いくら鈍物の権化と揶揄されているドクターとはいえ、私が彼のことを好きかもしれないという根も葉もない噂を耳にすれば、多少なりの距離を置いてしまうだろう。そうならないためには自制心を強くしなければ。戒めるようにスプーンを握る手に力を込めた。


「君の達識にはいつも助けられているよ、ありがとう」


「い、いえ、そんなことは」


前触れのない感謝の言葉を上手く対処する機転の良い頭を持っているわけでない私は、驚きに心臓が大きく跳ねた。ありがとうございますの言葉も頭が真っ白になったせいで出てこない。こういう時自分を叩いてやりたくなる。縮こまってしまった私に、ドクターは首を不思議そうに傾げる。


「そうかい? もっと自信を持ってもいいと思うけどなぁ」


「ありがとう、ございます」


ようやく言えた言葉に少し胸を撫で下ろす。彼の声音に世辞も裏もないことは解る。解るがゆえに戸惑ってしまうし、驚いてしまう。ほんとうに大したことはしていないのに。戦地へ赴いているのは自分より一回り以上も下の子供で、それを指揮しているのはドクターやダ・ヴィンチちゃんである。私は一介のカルデアスタッフに過ぎない。そんな意を汲み取ったかのようにドクターは「君達が居るからここは回るんだ」と優しげに言う。手元を写していた私の視界はいつの間にか上がっていた。


「いつもありがとう」


柔く微笑む彼を見て苦しくなった。心臓がぎゅっと掴まれた感じだ。だけど嫌悪するような苦しさではない。嫌なら底から込み上げてくるこの激流は可笑しいから。嬉しい、この上なく。気持ちが溢れないようにとこっちは強く強く辛抱して、押し止めているのに、彼は与えるばかり。これではいつこの胸がはちきれても可笑しくないだろう。全て全て貴方のせいだ、ロマニ。