私はとうの昔に死んだ人間で、だけどマスターは今を生きて未来を切り拓く者だ。当然ながら双方の価値観に差異は生まれる。例えば生身の人間で言うところの無茶をして重症を負っても、サーヴァントだからで大半のことは片付けられてしまう。それは時として我がマスターを怒らせる要因にもなり、悲しませる要因にもなってしまう。私はそんなマスターを時には軽蔑したり、時には叱咤したり、そして時には「仕方ない」と呆れながらも力を貸すこともあった。だからだろうか、苦楽を共にし、無様を晒し合あったせいで気づけば私はそんなマスターを生前の友人以上に信頼し、心の片隅に残っていたいと想うようになってしまった。
「待ってっ、行かないで!」
私を見下ろしぐしゃぐしゃに丸めた紙のように表情を歪め、綺麗な双眸をこれでもかといわんばかりに濡らしている。後頭部に感じる地面の心地は良くないし、顔に当たる雨雫も痛い。雲一つない青空には全く以て似つかわしくないほどの土砂降りの雨と言えよう。けれども目に当たる雫の痛みよりも胸の辺りが一番痛かった。軋んで、軋んで、その音がほんとうに鬱陶しい。もはや無いに等しい僅かばかりの膂力で腕を持ち上げて、私を映すマスターの頬に指を擦った。
「目を腫らしてしまうよ、どうか落ち着いて」
「なんで無茶したのさ! 二度としないって約束したのにっ」
「したっけそんな約束」
「今更反故になんかしないからね。ちゃんとしたんだから!」
マスターの荒らげる声は時に肩と共に跳ねる。腫れてしまうといってもマスターは寸分足りとも聞き入れてはくれない様子。覚えているとも。私がマスターとの約束をひとつでも忘れるはずがない。周回の編成に組み込んでくれると言った約束も、負けた方が夕食のプリンをあげる約束も、あなたを泣かせないといった約束も全て。そのひとつひとつが私の胸をひしゃげて喉を潰す。
「貴女としたいことまだたくさんあるのにっ」
「ねえマスター」
「何?」
「私を覚えていてくれる?」
「そんなの当たり前だよ! 忘れたりしない!」
叱咤するように叫んだ。私はマスターの心の隅に留まっていたいと想っている。数多居る英雄と契約を交わしたマスターの片隅にさえ留まることができれば、私はそれ以上の幸福は願わない。
「やっぱり嘘」
「え?」
ぱちりと目を瞬かせるマスターにへらっと笑ってみせた。
「やっぱり君の記憶から消し去ってくれてもいいよ」
だけど冷静に。赤子のように感情が純粋なマスターを最期こそ私は背中を押してやらねば。既にマスターは「人類の救済」という誰よりも重い責務を背負っていて、今や命は文字通り誰からも掛け替えのないものとなった。そんなマスターに人ひとりの存在を背負わせる必要は無い。少なくとも今の私ができる君へのエールはこれしかなかった。
「頑張りなよ、マスター」
私は座から君の人生を見届けるとしよう。
