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コーヒードロップで覚める



幸せな夢を見ていた。日常会話のワンシーンだったけど、とても温かく感じたのだ。見知った面々が部屋に集まって、私に微笑みかけている。柔らかく、朗らかに。そして包み込むように。お父さんお母さん、そして気心が知れた友人も居て、みんなが私と楽しそうに話していた。それだけの夢だったけど、とても温かくてなんだか心の片隅が零れてしまった。引っ張られまいと必死に堪えていたものが、容易く指の間から零れてしまったかのように眦が濡れる。頬を伝うそれを見てみんなは慌てたように「大丈夫?」「どこか痛むのか?」と尋ねてくる。諭すように首を振り続けても、頬は濡れ続けるのでまるで説得がない。右を見ても左を見ても代わり映えのしない世界こそが私が恋してやまないもの。ずっとここに居たい。

すると背中にぴりっと電流が走った。誘導されるようにゆっくりと振り返った先には闇が広がっていた。けたたましく燃え盛る黒い炎。触れてしまえば全身が焼き尽くされてしまうかもしれないような、そんなおどろおどろしい闇がそこに佇んでいる。柔らかな世界とは似つかわしくないそれの中に、双眸が昏く輝いていた。憎悪、怨念、恩讐、それらに満ちた双眸は、満月のごとく眩しさで私を捉えている。けれども私にはそれは問い掛けているようにも感じられた。「そこにずっと溺れているつもりか」と。言葉のない問い掛けが私の気持ちを固めさせる。大丈夫だよ。私は閉じ籠ったりしない。この世界はあくまで私の羨望でしかない。微笑む皆は記憶をリソースに創られた気持ちの現れ。取り戻すのは自分の世界じゃない。今を生き、そして未来を創る本物の現実だ。闇に紛れた黄色い双眸が笑った気がした。歪み始めた視界がやがて事切れたようにふつりと暗転する。


「よく眠れたか?」


耳に聞き馴染みのある声と、鼻腔を燻る苦々しい暖かな香りが微睡みから起き上がった私を出迎える。瞼をぱっちりと開けると、そこは白い天井と白い壁で覆われていた。カルデアでの自室だ。ベッドの傍には、我が物顔で私の椅子に座り足を組んでいる巌窟王が居る。その手にはひとつのマグカップが握られていて、寝起きの私に差し出された。


「ありがとう、巌窟王」


「礼には及ばん」


「これもだけどそうじゃなくて」


言い終わる前に彼が椅子から立ち上がる。全身を覆うゆったりとしたコートが踵を返すと共に宙に弧を描いた。名を呼ぼうとする前に、彼は視線のみで振り返る。


「さてな」


そう言って微かに目を細めた。


「食堂で皆が待っている。早く来い」


そう言って彼は部屋を出て行く。彼が出て行った部屋に静けさが漂う。私の傍に家族は居ない。けれども信頼できる皆が居るんだ、私はまだやれる。早く皆の元へ行こう。温かなコーヒーを飲み干すと、ベッドから立ち上がった。