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その顔を忘れない



死ぬ間際に見える過去を走馬灯と呼ぶなら、まさしく今がそれに当てはまるだろう。脳裏に呼び起こされるのはひとりの友人の姿だった。破天荒でありながら誰よりも思慮深い私の唯一の友。よく笑いよく泣き、そして周囲の人間も大切にした誇り高い友人。名も知らぬ子供のために簡単に傷を負ってしまうような愚かな優しさをもつ友人だった。そんな友人をよく一蹴したし喧嘩もしたものだ。「目の前の人間を助けられるからといって簡単に傷を作るな」という私の忠告も聞かず友人は災禍に飛び込んでしまう。ほんとうに、愚かな人間だ。けれども私は口では罵りつつもそんな友人を実に誇らしく思い、そして信頼していた。友人は幸をあげるこそすれ不幸をばら撒くような人間ではなかった。

なのに。友人は殺されたのだ。花が咲くような笑みが美しかった顔は無惨にも切り裂かれ、傷すらも勲章としていた体は傷と乾いて変色した血に塗れていた。地面に這いつくばって血溜まりをつくる友人のどこを見ても、生前の面影は欠片もなかった。泣きじゃくる友人の母親、現実を受け止めきれずに酒と賭博に走った父親、束の間の悲しみに暮れる友人ら。ただその中で、私だけは悲しむことも無く絶望することもなく逃避をすることもなかった。傷だらけの死体となった我が友人を前にして胸中を占めたのは、全身を焦がすほどの苛烈な怒りだった。許さない。私の友人を殺した奴を、私は絶対に許さない。この世の果てに逃げても追いかけて必ずそいつを殺してやる。不屈の復讐を友人と自分に誓って、私は踵を返した。


「ここで果てるつもりか? 共犯者」


霞む視界と歪んだ思考の中に、雷光を放つ黒い炎が混ざってきた。力強いその声は私が復讐の道で手を組んだ者の声だ。ぬるりと生温い血が瞼から垂れる。腕が痛い、頭が痛い、息が出来ない。果てる? そんなわけない。私は復讐を果たすまで死んだりしない。奴らに縋りつかれても理不尽の贖いなど決してさせはしない。お前の死を奴らに突き付けてやると、あの時あいつに誓ったのだから。痛いほどの怒りがふつふつと弾ける。

けれども瞼が重くて上がらない。死ぬんじゃない、まだ死ねない。私はまだ果たせていないのだから。動け、動け私の腕。まだやれるだろ。もはや感覚がない腕に燻る怒りをぶつけた。だけど腕は動かない。ふざけるな! ここまで来たのに、あと少しで奴らの元へ辿り着けるというのに、こんなところで!! 静観していた黒い炎は黄色い閃光を孤に歪めて嗤った。


「それでこそ我が共犯者だ。いいだろう、一度のみその手を引いてやる。だがその後はお前が俺に道を示せ」


頭の中に響いていた声が止んだ。すると真っ黒に覆われていた視界がぱっと晴れる。見慣れた世界を映す時には、感じていた息苦しさはなくなっていた。けれど脳が完全に覚醒したと同時に言葉に尽くし難い強烈な痛みが右腕に走る。「うぅっ」と喘ぐのを噛み殺しながらそこへ視線を遣る。ある筈の右腕は途中で切れていて、生々しくも血肉が患部から顕になっていた。大量の血をどろりと流す腕。それを見た私は一瞬これは夢なんじゃないかと思った。だけど逃れようとしても痛みと匂いが無理矢理現実へ引き戻す。力すら入らず痛みだけをあげる右腕。

そこで今までの記憶が鮮明に蘇ってきた。そうだ、私はあと少しというところまで奴らを追い詰めたんだった。だけど待ち伏せしていた奴らのボディガードによって右腕を吹き飛ばされ海に突き落とされたんだった。大量出血に伴い右腕の損失。普通ならば確実に生還などできない。だけど私はこうして右腕を失っても生きている。そうだ!


「巌窟王!」


「呼んだか、我が共犯者よ」


慌てたように呼べば黒い炎を纏った彼が姿を現した。彼だ、沈んでいく海の中で問い掛けてきた人。私の協力者にして彼の共犯者。私を見据える双眼はまるで雷のように鋭く、容赦ない。挫けそうになった時も果てそうになった時も彼は休むことを許さず立ち上がらせてくれた。


「ここはどこ?」


「近くの洞窟だ。ここなら追っ手に見つかることはない。それよりもまず止血しろ、それではどの道死ぬぞ」


「ごめん、片手じゃできない」


「じっとしていろ」


深い溜息を吐いて彼は私の腕に布を宛てがい、強い力で押さえ付けながら何重にも巻き付けた。白い布はたちまち大量の血でしとどに濡れてその染みが手を離す間もなく広がっていく。巌窟王は顔を顰めて「チッ」と強く舌打ちする。今多分私の腕を吹き飛ばした男たちに苛立ってるんだろうな。普段は気長な彼だがこういう時は怒りが激しく燃え盛るのだ。小さく苦笑したら不服そうに彼が顔を持ち上げた。


「あいつらは俺が殺る」


「頼んだよ。私はその隙に親玉を殺すから」


友人を殺した奴は私が海へ落ちていく時、いい気味だといわんばかりに笑っていた。憎い、ああ憎い憎い。なんの咎もない友人は人生半ばにして無惨に殺されたのに、殺したあいつは上等な服を着て宝飾を垂れ下げ、いいものを食べて笑っている。友人を殺した時と同じように四肢を切り裂き、目を抉って臓腑を引きちぎってやりたい。今際の際まで力いっぱい苦しめてやりたい。怒りと憎悪が入り交じって心臓の鼓動が早くなる。脳裏に浮かんだそいつの顔にギリッと奥歯を鳴らすと、何の前触れもなく巌窟王の手で視界を覆い隠された。戸惑う私に彼は言う。


「その憎しみは忘れるな。だが今は己の回復に専念しろ、お前が憎めば憎むほど死が近づく」


諭すように彼はゆっくりと手を離した。事実右腕の赤色が深くなっていた。興奮すればそれだけ血が多く流れてしまう。近くに病院はないから行けない状態だというのに、これ以上出血を増やすわけにはいかない。落ち着け私。冷静になれ。深く息を吸い込んでそしてゆっくりと吐く。それを繰り返すうちに次第に聞こえていた心臓の鼓動が聞こえなくなっていった。すっかり平静になった私を見て、彼は「それでいい」と首を縦に振る。


「急いては事を仕損じると言うだろう。安心しろ、俺はお前の復讐の道に最期まで付き添ってやるとも。契約時そう約束したからな。お前がその憎しみを忘れない限り俺は破約するようなことはせん」


「ありがとう、巌窟王。頼りにしてるよ」


私から友人を奪い、あいつから人生を奪ったお前ら、雁首揃えて待っていろ。私は必ず貴様らの命に終止符を打ってやる!