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その剣は光を宿す



※立香視点。




彼女は剣のように裏表なく、白黒はっきりつける人だった。好きなものを好きと、嫌いなものを嫌いと断言し、それで孤立しようともそれが自身の招いた結果だと言ってにべもなく受け入れる人だった。おまけに愛想がないし、思いやりもないし、打算的で合理を求める性格であったから旅の最中は私と彼女とでしょっちゅう喧嘩してたなあ。紛争で怪我を負った子供を、手の施しようがないからと見殺しの選択をとった時は堪らず殴りかかった。自分がいかに子供じみて、甘ったれであることくらい理解しているつもり。それでもあの時、生きたいと涙した子供を捨てるなんてことはできなかった。自分が空腹になってもいい、多少怪我を負っても構わない。重症でも助けられる可能性がゼロじゃないなら、それを諦めるなんてこと、したくなかったんだ。子供は無事集落に預けられたけど、あの後しばらくは彼女と口を利かなかった。反省したら許してやる、なんて言われたけど、反省も後悔もしてないから突っぱねた。お互い意固地になって空気を悪くしちゃったことは、マシュ含め旅の仲間全員に謝りたいところ。それも数日続いた結果、私が折れた。反省したわけじゃないけど自分の気持ちを知ってもらおうと、みんなが寝静まった夜更けに話しかけた。もちろん最初は全然、まっったく、これぽっっちも返事してくれなくて、視線も別の場所を向いたまま。イラッとしたけど、ここでも突っぱねたらいよいよ話す機会が無くなると思って、「一方的に呟くから聞いてて」って言って話した。余裕のある旅をしてるわけじゃないのはちゃんと理解してること。ここが異聞帯で、剪定されることは変わらないし変えられないこと。それでも生きてる人間に偽りはなく、そこは私が取り戻そうとしてる汎人類史と寸分も違わないこと。生きようとする意志は私と違わない、だから助けられる者は助けたいこと。終始無言で顔も合わせてくれなかったけど、最後に彼女は「自分の役割というものを私は持っている。それの足枷にならないなら、好きにすればいい」と、彼女なりの理解を示してくれたので、硬化した態度は崩れ落ちた。そんな折、マシュや他の仲間の用事で、彼女とふたりきりになったことがある。月が隠れた森の中に響くのは焚き火の弾く音。暖を取りながら口を開いたのは、意外にも彼女の方だった。


「私は生きるものすべてが嫌いだ」


言ってすぐに「嫌いというより関わり合いたくない」と訂正した。木の枝に刺したマシュマロは炎に焼かれてとろける。


「どうして?」


「物差しが必ずしも真っ直ぐであることを求めるから」


「真っ直ぐじゃないって思ってるの?」


「お前は汚泥に塗れた悪意を綺麗と思うか?」


私は何も言えなかった。沈黙にぱちぱちと瞬きが響く。頃合のマシュマロはとても舌に乗せられる熱さではなくて、火傷した舌先を冷やすために空を見上げた。枝が無造作に伸びて黒の空が見えづらい。辛うじて窺える隙間からは点滅する小さな光が見えたけど、雲に隠されて消えてしまった。彼女は生きるものと相容れないと言った。自分自身を発生した歪みだと言った。それは卑下でも自虐でもないだろう。見据えてる瞳は真っ直ぐだった。彼女は剣のような人。裏も表もなく、そこにあるのは温度のない事実だけ。拙い価値観が生み出す優しさの定義に、彼女は当てはまらない。だから「あなたなりに優しい」なんて言葉は相応しくないし、そんな世辞を言えば最後。私は「そういう人間だった」と切り捨てられるんだろう。難しいな、彼女は。ウルクの王様とも違い、厭世的な作家とも違う。彼女は欲から離れ、愛すらも冷たく見下ろすんだ。獣と言うには理性的だけど、人間と言うには冷たすぎる。私は剣に触れたことがない。

旅は歩むたびに過酷なものになっていき、仲間も欠けていった。ひとり、またひとりと、共に夜を語り明かした人が消えていく。それは砂浜が海に呑まれていくようだった。安全も、明日もない旅を、マシュと共にカルデアに背中を押されて歩いている。けれど彼女は? 何に背中を押されて、なんの上を歩いているんだろう。役割を持っていると言った。その役割とはなんだろう。聞くことは容易い。でも望む答えが返ってこないことは、疑問を口にするより明白だった。そしてとうとう彼女が倒れた。倒されてしまった。剣のように冷たくて裏表ない彼女が、不意を突いた敵の攻撃なんかに殺されてしまった。誰も死なない旅でないことは解っていたのに、抱き上げた時の重さに蓋をしたはずの涙が溢れてしまった。怒られるんだろうと遠くで思っていたのに、目元をなぞる指は優しいもので。


「これだから甘ったれは嫌いなんだ……」


そうやって突き放す言葉は、健康体だった頃の彼女からかけ離れているくらいに弱々しいものだった。なんでそんなこと言うの。いつもの合理性はどこに行ったの。責め立てたい気持ちに駆られるのは、どうしても彼女の死を認めたくないと思ってしまったから。他の仲間たちには抱けなかった強い裏切りを感じてしまっている。彼女はこんな弱音を知ったら軽蔑するんだろう。「対価無しの人生を望むな」と諭すんだろう。ごほっ、と大量の血が口から吐かれた。拭ってくれた指すら地面に伸びてしまっている。置いていかれる。これが旅の犠牲。行かないで。立ち止まっていられない。もう、やめてしまいたい。それこそ水の泡になってしまう。脳内の押し問答に言葉が出なかったけど、最期にひとつ。聞きたかったことを聞いてみた。返ってこないと解ってても口にしたのは、少なくても彼女にとって後悔のない旅であったならばと思ったから。


「なんで私にずっと力を貸してくれたの?」


「『自分しか居ない』とすべてを背負って笑う、お前がムカついたから」


「なに……それ……」


「生きるものは嫌いだ。臭くてとても寄れたもんじゃない。中でもお前はいっとう匂いがキツくて、鼻から離れてくれないんだよ」


「最後まで悪口言わないでよ、ばか……」


「臭いからなぁ、私はどうしてもお前にまとわりつくその汚泥を斬ってしまいたいと思うんだよ。そしたらお前自身、多少はマシになるかもしれない」


それは、とてもだが綺麗とは言えない笑顔だった。口角を持ち上げただけの、歯が見える笑い方。子供が初めて笑顔を習得したかのよう。ほんと、ぶきっちょな笑顔だったけど、彼女はそのまま光を失っていった。剣のように生きた少女は、「不器用なひとりの人間」という終わり方を選んだ。彼女はいつだって一緒に居てくれた。その足元が雑草に覆われて見えなかっただけで、いつでも隣を歩いてくれていたんだ。剣を扱ったことはない。触れたことも。でもね。


「たとえ歪んでいても、いつだって剣は人の目に輝いて見えるんだよ」


あの時答えられなかったから。おのれの内にある僅かな光を剣で研ぎ澄まし、あなたは大切なその光を私に託してくれた。汚泥になんか埋もれさせない。背負って生きてみせるよ。これは「私自身」が決めたことだから。


◆◆◆


「―――クラス、セイバー。生きるものは大嫌いだけど、生きようとするものにまとわりつく臭さはもっと嫌いなんだ。だからね、マスター。私はこの剣でお前を生かせてみせるよ」


光が呼んだのかもしれないこの縁、私は固く結ぼう。そして見てて、誰よりも近い場所で。