達観と言うべきか寛容というべきか、何も言わぬ彼に、いっその事詰問された方がマシだと思ってしまう。帰ってきた時も「おかえり。お疲れ様、ご飯作ってあるよ」と、さながら新妻のごとき神聖さと恭しさで出迎えて、帰った私が「あれ?今日の主役は私だっけ?」と勘違い起こすくらいだった。愛すべき我が夫の誕生日、ケーキのひとつくらい買ってきて祝いたいと思うのは、この世の中私だけではないだろう。コンビニに売られているケーキを買ってこようか? 全力疾走すれば日付変わる前には間に合うはず。ちらりと時計を一瞥する。近場のコンビニまで走って十分。間に合うな、よし! と意気込んだ私を、彼の声が制した。
「どこへ行く気だい? こんな遅くに」
それまで沈黙の読書を貫いていた彼が、首を動かし横目で見る。赤い双眸は嘘を許さないと厳しい色を浮かべていて、即興で取り繕う気満々な私を容易く折れさせた。固い声色の前に貫く矜恃も度胸も持ち合わせていない私は、悪事がバレた子供のように項垂れる。
「コンビニでケーキ買って来ようかなと」
「君の好物は冷蔵庫にあるよ」
「ほんと!? じゃなくて! 私、征十郎の」
「要らないよ」
遮られたことで口を噤んだ。反論は許さない、そんな言葉。怒っているのだろうか。でも何故? その理由は生憎と鈍重な私には推し量れず本人に「なんで怒ってるの」と素直に聞いてみた。征十郎は呆れた風情で本を閉じテーブルの上に置く。「おいで」と言って隣を叩くので、大人しく彼の指示に従うことにした。彼の隣に座ればソファがヘコんで軋む。私を捉える視線は彼の誠実さを顕著に表す。
「君が俺を祝いたい気持ちは解る。それは嬉しいと自分も感じている」
「なら」
「こんな時間の外出を看過すると思うかい?」
「十分だよ?」
「それでもだ。街路灯があっても暗いし大切な人を行かせるはずがないだろう」
「でも私、征十郎の誕生日祝いたいし。おめでとう、なんて何もしてないと一緒じゃん」
「形式に拘りすぎだ。俺はケーキの有無は気にしていない」
「私が気にする」
「お前も強情な奴だな」
「年に一度の誕生日だからね」
「そうだな、ならひとつ、俺の願いを叶えてくれ」
「あるの? 征十郎に」
「俺だって人間だ、願いくらいある」
想像の規模を優に裏切る壮大な願いな気がして思わず生唾を飲み込んだ。固くなるなと苦笑されても肩に入る力は緩められない。今までらしいわがままなんて言ってこなかった彼の願い事、それを今から聞くのだから無理からぬことだと思う。そして私はそれをなるだけ叶いたい、いいや、叶えてみせるとも。私の願いも想いも愛も、すべて受け入れて叶えてくれて、ここまで幸せにしてくれたんだもの。愛する人の願いなら叶えてやりたい。それが私にできる彼へのせめてもの贈り物だ。
「俺と結婚して良かったと思える点を挙げてくれ」
なんか、大きな肩透かしを食らった気分だ。もっと壮大で、難題がくるかと思った。
「そんなんでいいの?」
「やはり聞きたいものだろう、妻からの愛の言葉は」
「愛の言葉って」
「人に知られたくない雑誌は隠しておくものだ」
「読んだの!?」
「隙間時間に少しね」
「ちゃんと隠しておこ」
「いい勉強になったじゃないか」
「え、ほんとに聞きたいの?」
「俺が嘘を吐くとでも?」
「思わないけど」
「叶えてくれるのだろう?」
不敵に笑う征十郎。薄く吊り上げられた口角が彼の悪戯心をより引き立たせて、私の心臓を唸らせる。愉しそうなのは何よりだが私で遊ぶのはやめてほしい。その端整な顔立ちも私が惚れている要因だと知っての翻弄だろうか。だとしたら相当タチが悪い。言っても何処吹く風で流すんだろうなあ。だけどこれを機に日頃の感謝や改善点も言ってやろうか。子供のように無邪気と笑う彼に、私も嬉しくなって言葉は口を滑り落ちていた。同じ時を歩める一年でありますように。
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赤司誕
2020.12.20.
2020.12.20.