画像

あなたの一部になりたい



そういえば彼の名前も星に因んでいたなと、課された宿題を片手間に片付けながら窓外の夜景を眺めながら不意に思った。静謐と瞬く星々の中に、彼の星も点在するのだろうか。居たとしてそれを私に見つけられるだろうか。文字通り星の数ほどある中からひとつの星を見つけるなんて、シニストラ先生であっても手を焼くこと必至だ。


「空に解答は載っていませんよ」


「夜景を楽しむ風情も貴族には必要だと思うの、レギュラス」


暖炉の炎が薪を燃やす音が響く閑散と静まり返っていた談話室に私以外の声が割って入ってくる。とっくに寝たと思っていたレギュラスである。消灯時間を大幅に上回っているためにさすがの彼も制服は纏っていない。黒いガウンを一枚羽織っているが、寝起きにしてはやけに髪型が整えられている。気にかけることでもないか。考え直せば彼が蓬髪のまま人様に出てくることの方が、天変地異が起こっても有り得ない話だ。


「まだそんな課題に手を焼いているんですか。子供でも五分とかからないものでしょう」


「じゃあ先生の悪戯で私だけ難しく作られてるみたい」


「日頃の行いというものでは?」


「清廉潔白なんだけど」


相変わらずの辛口評価を口にしながらレギュラスは向かい側の席に腰を下ろした。いつもの彼にしては珍しい行動だ。いつもは定時に起きて定時に寝るのに。もしや怖い夢でも見たのでは? 訝しんでも口にしないのは「貴女に関係ありません」と一蹴されるのが目に見えているからである。全く素直じゃない。見慣れた無表情をままに、広げていた浩瀚な教科書に指を滑らせる。そしてそれはとある一文の上でぴたりと止まった。


「その問題はこれを引用すれば解けます」


「教えてくれるの?」


「寮の点数のためです。早く解いて寝てください」


「はいはい」


今日のレギュラスはやけに親切だなと気味悪がりながらも、全く手が進まなかった課題を片付けられる絶好の機会と踏んだ私は、難癖が付いてくる彼の教えを素直に受けることにした。集中すると時間の流れに鈍くなると以前誰かが言っていたが全く以てそのようで、彼が「ようやく終わりましたね」と言う頃には真上の月は傾いていた。昼も薄暗いここは夜になるともはや火の灯りがないと足元さえ見えないほど暗くなる。精巧な装飾が施された大きな窓から射し込む月光だけが、怖気寒い談話室を満遍なく浮かび上がらせた。腕をめいいっぱい伸ばすと彼は「これで寝られます」と言って椅子から立ち上がる。


「レギュラス、外見て」


男子部屋に入ろうとする彼の手を引いて窓辺に近寄った。やっぱり今の時期の夜は窓辺に寄るだけで風邪を引きそうになる。ほんのり冷えた窓枠に半ば腰を下ろして、彼と一緒に窓外の夜景を覗き込む。


「星が綺麗だよ」


「空に気を配るほどロマンチシストでしたか」


「花より団子な私でも星を綺麗と思う純粋さはあるんだけど」


「『はなよりだんご』とは?」


「ムードより食い気を優先させる人のこと」


「ああ確かに、言い得て妙ですね」


「なんでそんな小難しい言葉は知ってるの!?」


「ブラック家は完璧でなければいけませんから」


「変なところで負けず嫌いだよね」


母国語を数個教えた途端水を得た魚の如く食い付きぶりで言葉の教授をせがんだ彼。どこから取り寄せたか知らないが、今では違和感なく使いこなせる程度にまで上達している。兄のシリウスと言い彼の性分と言い、ブラック家は負けず嫌いの体現者なのか。それとも完璧に固執している集団なのか。彼と小競り合いするよりも今は星を眺めたい情緒だ。しばらくして互いに言葉はなくなって、私は思考も途切れて星に魅入っていた。けれどその私の意識を引いたのが肩に置かれた彼の手である。突如の重みに驚いて「何?」と振り向く。


「寝ましょう」


「もう少しくらい……」


「行きますよ」


言い終えることなく今度は私が彼に手を引かれた。窓辺から強制的に遠ざけられる。窓にくっ付けていた手のひらに少しづつ熱が戻っていく。けれども彼に掴まれている手が今度は熱を失っていく。冷たさを感じる彼の手。それが少し湿っていることに後になって気づいた。何も言わず前を向く彼の手を払うことは、できなかった。ねえレギュラス、貴方はいつになったら私の言葉を信じてくれるの? 小さな痛みが心臓を刺す。頭の中に響く幼子の声。無邪気で、これから起こりうることなど何ひとつ知らない無知な声。私はその声で彼に言った。「どこに居ても必ず私が見つけ出す」と。それは今も変わっていないというのに、何に脅えているのか彼は昔から信じてくれない。

私が何かに没頭すれば必ず気を引いてくる。まるで自分を忘れるなと忠告するように。彼の名前はレグルスという恒星を用いている。最も暗い一等星。最も明るいシリウスとは対称的な星。兄に隠されて誰にも見つけられないだなんて思わないでよ、私が居るじゃん。積年の想いはどうやったら彼に伝わるのだろう。いっそのこと彼の一部にでもなれば信じてくれるのか。そうだとしたら喜んで身を捧げるというのに。でも私は人間だから言葉と行動でしか伝えられない。だから少しでも伝わればいいと願いながら、冷たい手を強く握り返した。